こい と 落語。 落語演題一覧表・あ行

落語・小料理 やきもち(公式)

こい と 落語

森田芳光監督の傑作、映画「の・ようなもの」はここからきてるんですね。 別題:ないものねだり 【あらすじ】 縄のれんに-油樽、切り回しているのは番頭と十二、三の小僧だけという、うらぶれた居酒屋に、湯の帰りなのか濡れ手拭いを肩に掛け、ドテラに三尺帯という酔っぱらいがふらふらと入ってくる。 むりやり小僧に酌をさせ、 「おめえの指は太くて肉がいっぱい詰まってそうだが、月夜にでも取れたのか」 と、人を蟹扱いにしたりして、からかい始める。 「肴はなにができる」 と聞かれて、小僧が早口で、 「へえい、できますものは、けんちん、おしたし、鱈昆布、あんこうのようなもの、鰤 ぶり にお芋に酢蛸でございます、へえーい」 と答えるのがおもしろいと言って、 「今言ったのはなんでもできるか?」 「そうです」 「それじゃ『ようなもの』ってのを一人前持ってこい」 その次は、壁に張ってある品書きを見て 「口上てえのを一人前熱くしてこい」 と言ったりして、小僧をいたぶる。 そうかと思えば、 「とせうけてえのはなんだ」 と聞くから、小僧が 「あれは『どぜう汁』と読むので、濁点が打ってあります。 イロハは、濁点を打つとみな音が違います」 と言うと、 「それじゃあ、イに濁点が付けばなんと読む、ロはどうだ、マは?」 と、点が打てない字ばかりを選んでからかう。 今度は 「向こうの方に真っ赤になってぶら下がっているのはなんだ」 と聞くので、 「あれはゆで蛸です」 と答えると、 「ゆでたものはなんでも赤くなるのか、じゃ猿のお尻やお稲荷さんの鳥居はゆでたか」 と、ますますからむ。 しまいに、 「その隣で腹が裂けて、裸になって逆さまになっているのはなんだ?」 「あんこうです。 鍋にします」 「それじゃ、その隣に鉢巻きをして算盤を持っているのは?」 「あれは番頭さん」 「あれを一人前持ってこい」 「そんなものできません」 「番公 =あんこう 鍋てえのができるだろう」 底本:三代目三遊亭金馬 【しりたい】 金馬の「居酒屋伝説」 昭和初期、居酒屋の金馬か金馬の居酒屋か、というぐらい三代目三遊亭金馬はこの噺で売れに売れました。 もちろん、戦後も人気は衰えず、金馬生涯の大ヒットといっていいでしょう。 特に、独特の抑揚で、「できますものはけんちんおしたし」と早口で言い、かん高く「へーい」と最後に付ける小僧の口調がウケにウケたわけです。 噺そのものはさしておもしろいわけでもなく、ただ、いい年をしたオッサンが子供をいたぶるというだけのもので、これといってくすぐりもないのに、こんなにも人気が出たのは、ひとえにこの「金馬節」とでも呼べる口調の賜物だったのでしょう。 噺のなりたち 文化3年 1806 刊の笑話本『噺の見世開』中の「酒呑の横着」が原話です。 本来、続編の「ずっこけ」とともに、「両国八景」という長い噺の一部だったようですが、三代目金馬が一席噺として独立させました。 金馬の速記にも、「ずっこけ」をつなげて演じているものがあります。 ずっこけ 居酒屋で小僧をいたぶったりして長っ尻をし、看板になってもなかなか帰らない酔っ払いを、たまたま通りかかった友達がやっと連れ帰る。 よろよろして歩けないので、ドテラの襟をつかんでようやく家までひきずっていき、かみさんに引き渡そうとするとドテラだけ残って当人が消えている。 あわててさがすと、往来で裸でグウグウ。 かみさんいわく 「よく拾われなかったわねえ」 上方落語の「二日酔」では、さらにこの続きがあり、実は、往来で寝込んでいたのは物乞い。 それを間違えて連れ帰り、寝かしてしまいます。 翌朝、亭主の方は酔いもさめて、コソコソ帰ってきますが、さすがに気恥ずかしくて裏口にまわり、 「ごめんください」 とそっと声をかけると、かみさんはてっきり物乞いと勘違いし、「 やる物は何も ないよ」 するってえと奥で寝ていた「本物」が、「おかみさん、一文やってください」というものです。 ここまでいかないとおもしろくありませんが、本来、「ずっこけ」も「二日酔」も、「居酒屋」とは原話が別で、まったく別の噺を一つにつなげたものとみられます。 居酒屋事始 江戸市中に初めて居酒屋が現れたのは、宝暦13年 1763 とされています。 それ以前にも、神田鎌倉河岸 現・千代田区内神田一、二丁目 の豊島屋という酒屋が、田楽を肴に出してコモ樽の酒を安売りしたために評判になったという話がありますが、これは、正式な店構えではなく、店頭でキュッと一杯やって帰る立ちのみ形式で、酒屋のサービス戦略だったようです。 初期の居酒屋は、看板に酒旗 さかばやし を立てて入口に縄のれんを掛け、店内には樽の腰掛と、板に脚をつけただけの粗末な食卓を置いて、肴も出しました。 「一膳めし屋」との違いは、一応飯が看板か、酒が主かという点ですが、実態はほとんど変わりなかったようです。 なお、木にうるしを塗った従来の盃が、陶磁器製に変わったのは、居酒屋が興隆してからです。 金馬の「居酒屋伝説」 その2 金馬のレコード初吹き込みは昭和4年7月。 ほかに同時代で、七代目春風亭柳枝や初代昔々亭桃太郎も演じましたが、金馬の名調子の前には影の薄いものでした。 金馬の回想記『浮世断語』によると、戦後、この「居酒屋」をラジオで放送したとき、「この酒は酸っぱいな。 甘口辛口は今までずいぶん飲んだことがあるが、酢ぱ口の酒は初めてだ」とやったら、スポンサーの酒造会社が下りてしまったとか。 投稿者 投稿日: カテゴリー タグ , , , , , 検索対象: 検索 最近の記事• 2020年4月2日• 2020年4月1日• 2020年3月31日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月30日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月29日• 2020年3月28日• 2020年3月27日• 2020年3月27日• 2020年3月27日• 2020年3月27日• 2020年3月27日• 2020年3月27日• 2020年3月26日• 2020年3月25日• 2020年3月24日• 2020年3月24日• 2020年3月24日• 2020年3月24日• 2020年3月24日• 2020年3月24日• 2020年3月23日• 2020年3月23日• 2020年3月23日• 2020年3月23日• 2020年3月22日 最近のコメント アーカイブ• カテゴリー• メタ情報•

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天神山(落語散歩56)

こい と 落語

第71話 落語「青菜」(あおな) 落語「青菜」の舞台を歩く 五代目柳家小さんの噺、「 青菜」(あおな)によると。 付け焼き刃は禿げやすい、と言います。 「植木屋さん、ご精が出ますな」、ご主人から声が掛かったが、一息入れている時だったと言うより、仕事したくなくてタバコばかりやっていたので、植木屋さん弁解に走った。 「植木屋さん。 貴方が撒いてくれるくれる水は誠に夕立があったように、青い葉陰から流れてくる風は気持ちが良い。 私は一人で酒をやっていたが、植木屋さんは酒がやれる方ですか」、「持っている金だけ飲んでしまう、銭だけ飲みです」、「それでは、縁側にお座りなさい。 大坂の友人からもらった『柳影』ですが、良かったらおやりなさい」、「綺麗なコップですな。 ではいただきます。 柳影とは幽霊が出そうな酒ですな。 (旨そうに飲む)旦那この酒は『直し』と言いませんか」、「そうです。 大坂で柳影、こちらで直しと言いますな」、「夏場は飲みやすいですな。 それに冷たいですね」、「貴方は暑い所で仕事をしていたので、冷たく感じるのです。 ここに、鯉の洗いがありますから、あがんなさい」、「冷たくて美味しいですね」、「淡泊な身で、下に氷が敷いてあるので冷たく感じるのです」、「この氷をいただきます」、口に入れた途端、シューシュー言いながら、頭を叩いて、氷をほおばっている。 「ところで、『菜のおしたし』はお好きですか」、「でーすき(大好き)です」。 奥様に菜の注文をしたが、「旦那様、鞍馬山から牛若丸が出まして、その名(菜)を九郎判官 くろうほうがん 」と妙な返事、「そうか、それなら義経にしておきなさい。 植木屋さん、男は勝手のことが解らんもんで、菜は無いという。 気の毒なことをした」。 「それは良いんですが、お客様が来たんじゃありませんか」、「菜の無い断りを言っていただけだよ」、「そんな事何も言ってませんでしたよ。 牛若丸さんとか、義経さんとか・・・」、「植木屋さんだから言うが、あれは家の隠し言葉なんだ。 『無い』とか『食べてしまった』と言うと、お客さんも私も赤面するから、菜は食べてしまってないから『菜は食らう=名は九郎判官』で、私は『それならよしとけ=義経にしておきな』というわけです」。 植木屋さん、いたく感心して残りの柳影を飲み干して、お屋敷を後にした。 「旦那様、鞍馬山から牛若丸が出まして、その名を九郎判官。 義経にしておきな」、なんて格好いいな。 一度言ってみたいな。 帰って来ると夕飯のおかずはイワシの尾頭付き。 カカアに旦那の話をして、お前にそんな事言えないだろう。 「言えるよ。 鯉の洗いを買ってみな」。 「隠し言葉を言うと、アイツは偉いやつだと皆から敬われる」と思っていたら、そこに大工の半公がやって来た。 嫌がる女房を無理矢理隣の部屋は無いから、押し入れに押し込んだ。 「大変ご精が出ますな」、「いや~。 今日は怠けちゃったんだ。 湯から出たから気持ちがいいや」、「青い所から渡ってくる風は涼しいな。 ハハハ」、「どこに青い物があるんだよ。 あれはゴミ箱だろ」、「ところで、植木屋さん」、「ますます、おかしくなったな。 植木屋はお前じゃないか」、「植木屋におなり。 ご酒はお好きかな。 好きなら、ではご馳走しよう。 そこの縁側にお座り」、「冗談じゃね~。 ここは板の間じゃないか。 それにしても汚れているな。 俺の着物が汚れてしまう」。 「大阪の友人から届いた柳陰だ、まあおあがり」、「直しというやつだな」、「そこのコップでお上がり」、「猪口じゃないか」、「コップだと思ってお呑み」、「柳影じゃないよ。 普通の酒じゃないか」、「お前さんは暑い所で仕事をしていたから口の中に熱がある」、「仕事もしていないし、湯上がりだから熱なんか無い」、「冷たくない物を飲んでも冷たく感じるのだな」、「冷たくないよ。 燗してある」。 「鯉の洗いは食べるかな」、「手間取りがそんな贅沢して・・・。 これはイワシの塩焼きだ」、「でも、洗いだと思ってお食べ。 それは淡泊だから・・・」、「ウソを付け」。 「冷たいのは下に氷が敷いてある」、「どこに・・・」。 「貴方は菜のおしたしがお好きか」、「嫌いだよ」。 「それは無いだろう。 嫌いだろうが『好き』と言ってくれ。 こちらも都合があるんだ」、「じゃ~、好きだよ」、「では、こちらに取り寄せるよ」、「いいよ。 取り寄せなくても」、「台所に廻らんでも良い」、「誰も行かないよ」、手を叩いてかみさんを呼んだ。 「これよ、・・・」、「旦那様」、「おい、冗談じゃないよ。 おかみさんがいないと思ったら、この暑いのに押し入れに入って、汗だくになっているよ」、「黙っていな。 植木屋さんが菜のおしたしが食べたいと言うから持って来な」、「旦那様、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官義経」、植木屋が言う台詞義経を先に言われて言葉に詰まったが、 「うーん、弁慶にしておけ」。 酒を飲みながら仲間と議論し、アンケートを取ろうと相談がまとまった。 しかし、酔いが覚めると誰がそんな馬鹿馬鹿しいことをするか、とお流れになったという。 だいたいこの噺は題こそ『青菜』でございますが、「青菜」そのものは登場しません。 これが一シーンでも出て来て、食べる振りなどいたしますと、何らかのイメージがわくんでしょうが、「ない」というんですからな。 「固うしぼって胡麻でもかけて」というのが唯一の手がかりなのであります。 ・青菜の候補としてまず上がるのは、 ほうれん草(ほうれんそう);高温下では生殖生長に傾きやすくなるため、冷涼な地域もしくは冷涼な季節に栽培されることが多い。 冷え込むと軟らかくなり、味がよりよくなる。 東アジアにはシルクロードを通って広まり、中国には7世紀頃、日本には江戸時代初期(17世紀)頃に東洋種が渡来した。 伊達政宗もホウレンソウを食べたという。 19世紀後半には西洋種が持ち込まれたが、普及しなかった。 しかし、大正末期から昭和初期にかけて東洋種と西洋種の交配品種が作られ、日本各地に普及した。 ホウレンソウの「ホウレン」とは中国の唐代に「頗稜(ホリン)国」(現在のネパール、もしくはペルシアを指す)から伝えられた事による。 後に改字して「菠薐(ホリン)」となり、日本では転訛して「ホウレン」となった。 ・もう一つの候補は 小松菜(コマツナ);江戸時代なかばまでは「葛西菜」とよばれていた。 『大和本草』には「葛西菘(かさいな)は長くして蘿蔔(だいこん)に似たり」とあり、『続江戸砂子』では、菜葉好きが全国の菜葉を取り寄せたが「葛西菜にまされるはなし」と高く評価した。 葛西菜が品種改良ののち小松菜になるが、『本草図譜』に描かれた葛西菜は現在の丸い葉のコマツナとは異なる。 『青葉高』によれば小松川の椀屋久兵衛(1651年 - 1676年)が葛西菜をコマツナに改良したというが、『江戸川区史』によれば椀屋久兵衛が評判の高かった葛西菜をわざわざ江戸から上方に取り寄せて人に振る舞ったという。 椀屋久兵衛とは、数々の豪遊のあまり身を持ち崩し、浮世草子『椀久一世の物語』にもなった上方の豪商である。 葛西菜が小松菜と改称された理由の一つに、江戸市中の糞尿を持ち帰って下肥とし、野菜を江戸に運んだ葛西船(かさいぶね)の存在を挙げる向きもある。 葛西船の異称として単に葛西と呼ばれていた。 当時のイメージとして屎尿臭を連想させる葛西の語を嫌って、めでたい常盤の松にあやかり、 八代将軍吉宗の命名により小松の名を採ったとする。 また、江戸川区小松川で栽培されていたからとも言います。 ・ つまみ菜は如何でしょうか。 もともとは大根、しろ菜、かぶ、小松菜、漬け菜などの若苗を生長させるため摘み取った(間引いた)もの。 東京が主産地で冬以外は一年中収穫でき市場にでまわります。 癖がないので誰でも食べられるのもいい。 写真・右 ・ しろ菜;アブラナ科のつけ菜の仲間で、不結球ハクサイ類、巻かない白菜です。 しろ菜は白菜と漬け菜を品種改良されたもので、関西の市場ではよく知られています。 アクやクセが少なく、あっさりした食味が特徴で、しょうゆ、みそ等どんな調味料にも合います。 昔から、煮もの、おひたし、ごま和え、浅漬け 、炒め物など多彩に利用されており、食卓の一品には欠かせない野菜となっています。 つけ菜類の原産地は地中海沿岸で、日本には中国から入ってきたと言われています。 古事記につけ菜の栽培が記載されており、当時すでに広く栽培されていたと推察されます。 江戸時代から各地にしろ菜類はありましたが、大阪が起源の つけ菜(大阪しろ菜)としては、明治初期に天満付近が産地で、ここで多く作られていたことから、別名「天満菜」ともいわれています。 ほぼ通年栽培され出荷されています。 夏場の葉野菜としてしろ菜はその重要度を高めてきました。 右写真:しろ菜。 青菜と言ってイメージに登ってくるのが、ほうれん草と小松菜ですが、どちらも江戸・明治時代の旬は寒い時期でこの落語、夏には合いません。 つまみ菜やしろ菜は通年食べられると言い、この野菜が浮上してきます。 しかし、ですよ。 落語は誤りが無い伝承芸として認知されていますが、やはり人の子、作られたときに既に間違っていたか、伝承される内に間違ってしまったのか、どちらかではないかと私は思います。 青菜とはどんな野菜か?という前に原点が違っている可能性もあるように思います。 この噺「青菜」のナゾが聞き手をくすぐりますが、それはそれで楽しめばいい話です。 アバウトすぎる私です。 陰・蔭とも書く)」、京都では「南蛮酒」。 アルコール度数約20度。 焼酎に味醂を混ぜたもの。 安くて悪い酒を飲みやすく「直す」ものを「直し酒」といったのに対して、味醂のものを「直し味醂」と呼んだ。 上方で好まれた。 本直し(ほんなおし)は、アルコール飲料の一種で、直しとも。 調味料でもある甘味の強いみりんに焼酎を加えて甘味を抑え、飲みやすくしたもの。 江戸時代の風俗をまとめた『守貞漫稿』によると、みりんと焼酎をほぼ半々(最近はみりんと焼酎を1:2くらい)に混ぜたものを上方では「柳蔭(やなぎかげ)」、江戸では「本直し」と呼び、冷用酒として飲まれていた。 「飲みにくい酒を手直しする」というニュアンスから「直し」という呼称が発生した。 江戸時代には焼酎の亜種としてよく飲まれていたが、現在では一般にはマイナーな存在です。 かつては夏の暑気払いとして、井戸で冷やされて楽しまれ、高級品として扱われていたことが、上方版「青菜」に登場します。 酒税法上では「飲用みりん」と言われる。 かつては酒税法上、「本みりん」とは区別され、飲用みりんは本みりんより課税額が安かったが、のちには一本化された。 平成2年(1990)代にWTOの勧告により、ウィスキーの酒税が下がる一方で焼酎の酒税は上昇したが、料理酒と同一視された本直しは看過され、相対的に低い税率に抑えられた。 そこで一部の焼酎・みりん製造業者は、現在の発泡酒同様に「節税焼酎」として本直しに着目、1990年代末期には飲用酒としての販売量が急激に増加した。 しかし大蔵省(現・財務省)はこれを見逃さず、平成12年(2000)の酒税改正において、焼酎を多く加えた飲用みりん(アルコール分23度以上、またはエキス分8度未満)については焼酎と同じ税率となり、直しへの需要は急激に廃れた。 現在の本直しは、比較的限られた業者が製造・販売するに止まっています。 夏の料理として喜ばれ、酢味噌か芥子(からし)酢味噌を付けて食べる。 洗いは歯触りの良さを楽しんで食す。 川魚は刺身で通常食べないので、身に付着している虫を洗い流す意味も込めて、刺身では無く洗いとして出す。 ただし、他にも名前に「イワシ」とついた魚は数多い。 日本を含む世界各地で漁獲され、食用や飼料・肥料などに利用される。 このため、海のお米とも言われる。 魚の中でもゲスな魚と言われるが、「イワシも七度洗えば鯛の味」、と言われるほど美味い。 その為、紫式部は亭主の目を盗んで食べていたとも言われます。 植木屋さんの家みたいに塩焼きも良いですし、煮魚、刺身、西洋料理、何でもござれのイワシです。 反対に暑いのは「西日差す、九尺二間に、太っちょの、背なで子が泣く、飯(まま)が焦げ付く」。 さもありなんと思う情景です。 ・ 蜀山人=大田南畝(おおた なんぽ)天明期(1781-1789)を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。 膨大な量の随筆を残す傍ら、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。 特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われる。 ・ 伊予すだれ=伊予竹で作った伊予すだれは古来最高級品とされているが、伊予竹は伊予山中で採れる篠竹で、幹が細く軽いうえ光沢が美しいのですだれ材として最適です。 すだれは一般には縁(へり)がつかないが、縁つきの高級品を御簾(みす)という。 ・ 透綾縮み(すきやちじみ)=(「すきあや」の転) 透けるほど非常に薄い絹縮み。 明治以降、種々の織り方がある。 さらりと肌ざわりがよく、夏の婦人着尺とする。 また、配色の必要から半練糸や練糸をも混用。 文政(1818~1830)年間、京都西陣の宮本某が越後国十日町で創製。 越後透綾。 絹上布。 ・たぼ(髱)=もともと、首筋の上(襟足)、日本髪の後ろに張り出した部分を言い、転じて若い女性を指す。 若い女性は涼やかなのでしょう。 右図:広辞苑より ・水を打つ庭=木々の緑の間だから涼しい風が縁側に吹いてくる庭は身近には無くなりました。 植木屋さんが撒いた水は誠に気持ちが良い。 ・ 西日差す(にしびさす)=夏の西日が差し込む部屋は、暑さに耐えられないほどです。 陽が没しても、いつまでも熱気は抜けません。 ・ 九尺二間(くしゃくにけん)=長屋の中で一番小さい間取りの部屋。 1Kで、間口が9尺(1間半)で入ると土間になっていて、出入り口が3尺角、その横に畳一畳分の台所。 そこに流し、水瓶、へっつい(かまど)等が有ります。 奥が四畳半の座敷で・・・、それだけです。 壁の向こうは隣家で薄い壁ですから声は筒抜け、プライバシーは有りません。 トイレ、井戸、ゴミ捨て場は長屋で共用。 ・ 権助が言う気候の挨拶とは、教えられたとおり寒い時は「今頃、山は雪だんべ」、そのうち暑くなってきて、返答に困って「今頃、山は・・・、火事だんべ」。 人から教わって自分の物になっていないと、この噺のように何処かでメッキが剥げます。 また、その人。 左衛門尉だったことから。 判官は輩行名で九郎は源義朝の九男だったことによる。 古来この義経に限って「ほうがん」と読んでいたが、近年では「はんがん」も通用している。 幼名を牛若丸(うしわかまる)。 身体はひ弱で女性のようだったと言います。 その鞍馬山の南斜面に牛若丸が育った鞍馬寺が位置します。 鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、能の『鞍馬天狗』でも知られる。 新西国十九番札所。 なお、鞍馬寺への輸送機関としてケーブルカー(鞍馬山鋼索鉄道)を運営しており、宗教法人としては唯一の鉄道事業者ともなっている。 源義経の郎党。 五条の大橋で義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされる。 なお、和歌山県田辺市は、弁慶の生誕地であると観光資料などに記している。 元は比叡山の僧で、武術を好み、義経に仕えたと言われるが、その生涯についてはほとんど判らない。 一時期は実在すら疑われたこともある。 しかし、『義経記』を初めとした創作の世界では大活躍をしており、義経と並んで主役格の人気がある。 右図:五条大橋で義経と弁慶の戦いを描いた浮世絵(歌川国芳画) 2015年9月記.

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寄合酒(落語散歩124)

こい と 落語

落語「恋の山手線」の舞台を歩く 四代目柳亭痴楽の噺、「 恋の山手線(こい の やまのてせん)」によると。 上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り、 彼女は奇麗なうぐいす芸者( 鶯谷)、にっぽり( 日暮里)笑ったあのえくぼ、 田畑( 田端)を売っても命懸け、思うはあの娘(コ)の事ばかり。 我が胸の内、こまごめ( 駒込)と、愛のすがも( 巣鴨)へ伝えたい。 おおつか( 大塚)なビックリ、度胸を定め、彼女に会いに行けぶくろ( 池袋)、 行けば男がめじろ( 目白)押し。 そんな女は駄目だよと、たかたの婆( 高田馬場)や 新大久保のおじさん達の意見でも、 しんじゅく( 新宿)聞いてはいられません。 夜よぎ( 代々木)なったら家を出て、腹じゅく( 原宿)減ったと、渋や( 渋谷)顔。 彼女に会えればエビス( 恵比寿)顔。 親父が生きてて目黒い内( 目黒)は私もいくらか豪胆だ( 五反田)、 おお先( 大崎)真っ暗恋の鳥。 彼女に贈るプレゼント、どんなしながわ( 品川)良いのやら、 魂ちぃも( 田町)宙に踊るよな、色よい返事をはま待つちょう( 浜松町)、 そんな事ばかりが心ばし( 新橋)で、誰に悩みを言うらくちょう( 有楽町)、 思った私が素っ頓狂( 東京)。 何だかんだ( 神田)の行き違い、彼女はとうに飽きはばら( 秋葉原)、 ホントにおかち( 御徒町)な事ばかり。 やまて(山手線)は消えゆく恋でした。 柳亭痴楽「痴楽綴方狂室」 より 山手線に西日暮里が開業すると、これも加えていた。 「にっぽり( 日暮里)笑ったあのえくぼ」の後に「 西日暮里と濡れてみたいが人の常」と入れていた。 ただ、これを入れてから2年経たずに倒れたので聞いている人は少ないと思います。 私も聞いた事がありません。 舞台の山手線を歩く (いつもと構成を変えています) 1.さぁ、山手線(やまのてせん)に乗って出掛けましょう 駅順 駅名 (地図) 所在区 順位 人数 距離 接続路線 1 台東区 10 186,147 0. 0 営団銀座線・営団日比谷線・京成本線・東北新幹線・上越新幹線・長野新幹線・常磐線・京浜東北線・東北本線・高崎線 振り出しの上野駅です。 落語「」、「」、池之端「」の舞台です。 1 京浜東北線 落語「」 根岸が舞台です。 林家三平もここに住んでいました。 3 荒川区 48 79,852 2. 2 京成本線・常磐線・京浜東北線 日暮里・西日暮里間が一番距離が短い。 隣の駅が見えます。 4 荒川区 36 91,973 2. 7 営団千代田線・京浜東北線 地下鉄「千代田線」との乗り継ぎで栄えています。 近くには有名な高校もあって学生で賑わっています。 5 北区 94 44,351 3. 5 京浜東北線 京浜東北線と山手線の分岐駅です。 1 営団南北線 駒込はツツジでも有名な駅です。 周りの土手のツツジは見事。 7 豊島区 50 76,943 5. 8 都営三田線 小朝言うところの爺婆の原宿。 とげ抜き地蔵の有る地ですので、老人が集まり、賑わっています。 8 豊島区 79 54,927 6. 9 都電荒川線 都電との乗換駅で、庶民の駅と感じます。 9 豊島区 2 566,071 8. 7 営団丸ノ内線・営団有楽町線・営団有楽町新線・東武東上線・西武池袋線・埼京線・湘南新宿ライン 西口、東武デパート。 東口、西武デパート。 それぞれ特色を見せて賑わっています。 乗降客No2の賑わい。 9 高級住宅地と文教地区が混ざった所です。 11 新宿区 9 206,623 10. 8 営団東西線・西武新宿線 早稲田大学に代表される学生の街です。 発車ベルは「鉄腕アトム」。 落語「」の舞台です。 2 新宿の北の奥座敷。 13 新宿区 1 748,515 13. 5 営団丸ノ内線・都営新宿線・都営大江戸線・ 京王線・京王新線・ 西武新宿線・小田急小田原線・埼京線・ 中央緩行線・中央快速線・湘南新宿ライン 都の新宿副都心です。 都庁や高層ビル群や歓楽街など多彩な上、私鉄が乗り入れ、乗降客No.1。 小田急、副都心側は西口。 東口は歓楽街、タモリの番組「アルタ」はここにあります。 落語「」、「」の舞台です。 14 渋谷区 61 65,427 14. 2 都営大江戸線・中央緩行線 予備校やハイセンスの店が集まり、若者が多い町です。 15 渋谷区 55 72,463 15. 北側に皇室専用ホームがあります。 16 渋谷区 3 424,460 16. 9 営団銀座線・営団半蔵門線・東急東横線・ 東急田園都市線・京王井の頭線・ 埼京線・湘南新宿ライン 東急がターミナルとして開発に力を入れた駅で、現在は若者の街として賑やか。 忠犬ハチ公もここにあります。 17 渋谷区 23 124,152 18. 5 営団日比谷線・埼京線・湘南新宿ライン 元々は『恵比寿ビール工場』のために、貨物駅として開業した駅。 跡地には恵比寿ガーデンプレスがある。 18 品川区 33 99,413 20. 0 営団南北線・都営三田線・東急目黒線 目黒不動から駅名がついています。 落語「」の舞台です。 19 品川区 21 128,260 21. 2 都営浅草線・東急池上線 国道1号線をまたいだ駅です。 1 埼京線・湘南新宿ライン・りんかい線 山手線の始発駅です。 JRはここを基準に距離やダイヤを書いています。 乗務員の交代もここです。 21 港区 6 264,815 24. 1 京急本線・東海道新幹線・京浜東北線・東海道本線・横須賀線 この駅には駅長さんが2人居ます。 JR東海とJR東日本です。 東海道新幹線出来立ての駅が有ります。 落語「」、「」 、「」の舞台です。 22 港区 14 149,429 26. 3 都営浅草線・都営三田線・京浜東北線 駅舎も新装なってあか抜けした駅に変身。 落語「」の舞台です。 23 港区 15 148,144 29. 0 都営浅草線・都営大江戸線・東京モノレール羽田線・京浜東北線 小便小僧は3、4ホームの品川よりにあり、そのときそのときで様々な服装をしています。 今はサンタさんの服装で小便をしています。 モノレール(羽田空港行き)の駅として賑わっています。 24 港区 8 224,759 29. 駅前には汽車の動輪や、蒸気機関車が飾ってあります。 落語「」の舞台です。 25 千代田区 13 153,830 30. 1 営団有楽町線・京浜東北線 銀座を控えた歓楽地です。 落語「」、「」の舞台です。 26 千代田区 5 374,922 30. 9 営団丸ノ内線・東海道新幹線・東北新幹線・上越新幹線・長野新幹線・ 京浜東北線・中央快速線・東海道本線・横須賀線・総武快速線・京葉線 全国の列車がここに集まってきます。 文字通り鉄道起点駅。 丸の内側の赤煉瓦の駅舎は有名です。 駅名の表示も石に刻んで松の木の前に置かれています。 (写真中)。 落語「」の舞台です。 27 千代田区 26 108,754 32. 2 営団銀座線・京浜東北線・中央快速線 サラリーマンの街で、気楽に赤提灯に入れます。 落語「」、「」の舞台です。 28 千代田区 17 145,157 32. 9 営団日比谷線・総武緩行線・京浜東北線 電気街で有名な駅です。 家電中心からパソコン中心に変身しています。 +に交差した駅で、3F総武線、2F山手・京浜東北線、1F改札、B1F地下鉄。 常磐新線 つくばエキスプレス も乗り入れてきます。 29 台東区 47 80,253 33. 30 上野 34. 同社内の2002年順位及び1日当たりの平均乗降客数。 100位まで。 1周34.5km、1時間1〜3分。 この噺を聞いていても時代を感じます。 過去には「やまて線」と「やまのて線」の二通りの読み(言い)方が有りました。 やまて線が主流だったように記憶していますが、歴史とか地理的にとかで、今の「やまのて線」に統一されました。 この噺の時代背景からして、痴楽も「やまて」と言っています。 山手線はご存じ、東京の中心をぐるりと一周しているJRの電車です。 照代が「山手線は29駅有る」と言うと、三球が「30駅有る」と言い張ります。 では数えてみましょうと、東京駅から出発して駅名を順番にあげていき、手前の有楽町まで来て29駅有りましたので、「29駅だ」と照代が胸を張ります。 三球「じゃぁ、有楽町と東京間は線路が無いのか」と突っ込みます。 「有る!」と照代。 三球「だったら、東京まで来て初めて一週するので、30駅だ!」。 東京駅山手線内回りと外回りの間にある「0km」ポスト 4・5番線ホームの中程にあります。 ここを起点に全国の鉄道距離が表されます。 道路の起点が日本橋に有るのと同じです。 写真をクリックすると大きな写真になります。 線路名称で正しく言えば、品川〜新宿〜田端間が山手線で、田端〜上野〜東京間は東北線、東京〜新橋〜品川間は東海道線です。 すなわち山手線は、品川を起点として田端を終点とするC字形の路線なのです。 だから、山手線の電車に乗ってグルっと一回りすると、気づかないうちに 3つの路線を走ったことになります。 品川駅1番線(山手線)ホーム8号車乗り場前にある山手線の0kmポスト。 ホーム上には山手線の起点を示すモニュメントもあります。 一度に運転される列車の本数は、もちろん丸一日同じわけではありません。 一番運転本数が多くなるのは、平日朝のラッシュ時で、24本(内回り・外回り計48本)となってい ます。 駅の数は全部で29ですから、どこかの駅には大抵電車が止まっているような感じになります。 山手線の電車は、現在52本(編成)あり、これらはすべて、大崎にある車両基地「東京総合車両センター」に所属してい ます。 平日の使用本数は50本で、残りの2本は、故障した時の予備や、電車区での1日検査あるいは工場での定期検査に入る車両となっています。 2. 幽霊タクシー本題の最初の話 先代柳亭痴楽「幽霊タクシー」を久々に聞きました。 当時落語芸術協会の会長を務め、スポンサーと言われるほどの金離れの良い師匠でした。 人気絶頂期の時、病に倒れ、その後高座に立つ事が出来ませんでした。 話を聞き直すと、当時の人気と勢いと力が伝わってきます。 やはり名人だった噺家です。 「破壊された顔の 所有者・・・」で始まるフレーズは楽しいもので、本当は男らしいイイ男でした。 痴楽綴り方教室「恋の山手線」はあまりにも有名でした。 その話「幽霊タクシー」の噺の内から、 都内を流していたタクシー・ドライバーさんの体験談。 「雨のシトシトと降る寂しい夜。 何かありそうな、いやな感じが先ほどからしていた。 池袋から新宿に向かって走っていると、お婆さんが道の中央を歩いていた。 危ないな、と思って左にハンドルを切ったら、お婆さんも左に寄ってしまった。 アッと!思った瞬間、お婆さんを空中高く跳ね飛ばしてしまった。 お婆さんは逆さまになってこちらに向かって、ニタッと笑った。 あまりにもばかばかしい内容ですが、痴楽師匠が演ると真に迫ってものすごく、オチの後の場内の笑いの渦と、そのすがすがしさは何でしょうか。 注;池袋と新宿の間に高田馬場という、地名があります。 2003年 12月13日 [最近思う事]より 3. 先代柳亭痴楽(りゅうていちらく) 痴楽さんは1921年、現在の富山市の呉羽で生まれ、幼少時に上京。 義太夫から落語に転身し、45年、第2次大戦後で第1号の真打ちになった。 落語のまくらに使った「つづり方」では、「柳亭痴楽はいい男 鶴田浩二や錦之助 あれよりグーンといい男」「上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近ごろ外回り」といった節回しが受け、「爆笑王」と呼ばれた。 後に人間国宝となった柳家小さんさん(昨年5月死去)らと、若手の花形とされた。 72年に落語芸術協会の初代理事長になったが、73年、大阪・角座で出演中に脳卒中で倒れ、闘病生活に。 93年、東京・新宿で一時高座に復帰したが、 当時の勢いは無かった。 同年12月、72歳で亡くなった。 人気絶頂期に倒れ、約20年間、闘病を続けたため、痴楽さんは、忘れられた存在となり、活動を伝える高座の映像や音声、資料もごく限られているという。 2003年10月06日富山面朝刊に掲載。 読売新聞・富山版より 地図 地図をクリックすると大きな地図になります。 JR東京近郊連絡図より 、若緑色が山手線です。 2003年12月記 [PR].

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