ありおり。 ◇あり、おり、知らない;日本語の状態動詞: 万象酔歩

「しております」「しています」の意味の違いと使い分け

ありおり

考えやすくするため、それぞれを2つの文に分けてみます。 (そのため、)そこからは誰も家には入れません。 (そのため、)そこからは誰も家には入れません。 (そのため、)そこからは誰も家には入れません。 」なら自然に感じます。 」とするべきなのかもしれません。 どちらを使っても同じ意味です。 それは個人の自由です。 意味は変わりませんから。 以前、こういう用法(中止法の「おり」)の話で長いやり取りになったことがあります。 【相手の行為に「おる」を使えるのか。 】 当方のコメントはNo. 6です。 信頼できる大家が、[ニュートラルな用法]と明記しているとおりだと思います。 A ベストアンサー 追加です。 相対 有様 一言 一期 一番 一目 一角 一寸 一筆 一方 出立 入会 後手 大勢 大手 上方 芥子 生地 日照 半身 物心 分別 末期 明朝 目下 利益 送り仮名の問題があるものもありますが。 今回の分は、 「読みの違いで意味のちがう言葉」『最新日本語活用辞典』 (『現代用語の基礎知識1999』別冊付録) という本の一節から、これまでにあげられた以外の語を拾ったものです。 見落としで ダブったものがあるかもしれません。 ) もう一つ、そのころ見た本で、三省堂だったか、「ことばの小百科」とか「日本語 小百科」とかいうような題名の小さめの辞典があったのですが、そこにもこのような 語が並べられていたと記憶しています。 立ち読みで見ただけなので、どんな語があったかは記憶していません。 そのころ、私もこういう語(同字異義語?)に興味があったので。 ご参考になれば。 saburoo 蛇足 「上下」には、「うえした・じょうげ・しょうか・じょうか・かみしも・かるめる ! 」 という読み方があるそうです。 Q という気もするのですが、どう思われますか? 大辞泉の補説によるなら、接尾語「らし・い」が先に存在して、助動詞「らしい」はその関連で後からできたとのことなので、接尾語の「…という気持ちを起こさせる、…と感じられる、などの意を表す」という用法と、助動詞の推量用法は、その意味において関連性があると考えて良さそうです。 であれば、「かわいらしい」と「かわいいらしい」も語釈的に密接な関係があると言えるでしょう。 「うちのポチは本当にかわいい」 これは断定。 自分(側)のことなので主観で断定しやすい。 「あなたのミケも本当にかわいらしい」 これは、あなたのミケに対して、意識的に「かわいい」という主観的判断を表明するのではなく、「かわいい、という気持ちを(自然に)起こさせる」猫ちゃんですね、と言っている。 (のではないか?) 仮にそうだとした場合、こうした自発的表現に委ねる最大の理由は、客観的に見て、あなたのミケは「かわいい、という気持ちを(自然に)起こさせる」存在であろう、と言いたいから。 この点に関してはシチュエーション次第で2つの切り口があり、ひとつは、相手(側)のことなので主観で断定する無遠慮を回避するため。 たとえば、「彼は楽しい」という表現の不適切さと似ているかもしれません。 「彼は楽しそうだ」が妥当でしょう。 もう一つは、あくまで客観的に見れば「かわいい、という気持ちを(自然に)起こさせる」だろうという意味であり、私自身が「かわいい」という積極的評価を主観的に下しているわけではない、という意図を表明するため。 こうした点で、助動詞の推量用法が関係していると言えそうです。 むろん、こういった違いは、あくまで語釈上の問題であり、たとえ相手(側)のことであっても主観的に断定したい場合もあるし、あるいは主観的に断定するのがふさわしいと判断した場合は、「あなたのミケも本当にかわいい」と表現することでしょう。 同様に、自分だけではなく、客観的評価としてのかわいらしさを求めたい飼い主は「うちのポチは本当にかわいらしい」と言う可能性は高い。 未検証ですが、こんなことを思いましたので、みなさんのご見解をお聞かせくだされば有難いです。 「台風が接近しているらしく、風雨が強まってきた」 2 伝聞や推量に基づく婉曲 えんきょく な断定の意を表す。 「冬山というのは非常に危険らしい」 3 (多くは体言に付いて)ぴったりした状態、よく似た状態にある意を表す。 いかにも…のようである。 まさに…と見うけられる。 「名探偵らしい見事な推理だ」 [補説]近世になって、古語の「らし」と、活用があって形容詞を作る接尾語「らしい」との類推から生まれたといわれる。 また、3は接尾語との区別のつかない場合もある。 goo. goo. であれば、「かわいらしい」と「かわいいらしい」も語釈的に密接な関係があると言えるでしょう。 「うちのポチは本当にかわいい」 これは断定。 自分(側)のことなので... 思考する。 …だと感ずる。 意図する。 処罰する。 思考する。 A ベストアンサー 昔は「ある」は人がいることにも使っていましたが、今では違和感を覚える人が増えています。 ・むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがありました。 ・賛成の人もある。 ・私には妹がある。 上の文は辞書や文法書には書いてありますが、実際にはもう使われないでしょう。 もっとも、古い昔の本を読む外国人もいるから、説明はしておかなければならないのが、日本語教師のつらいところ。 「~『に』は(モノ)があります」ならいい。 ・彼には才能がある。 ・私には時間だけはたっぷりある。 ・両国間にはつながりがある。 ・その意見には問題がある。 この場合、「に」はなくてもいいかもしれない。 ・彼は才能がある。 ・私は時間だけはたっぷりある。 ・両国間はつながりがある。 ・その意見は問題がある。 ただし、体の部分は難しい。 というか、無理だろう。 ・私には高い鼻がある。 ・象には長い鼻がある。 「約5人の親友」という言い方にもびっくりですけどね。 「約100人の友達」ならともかく。 A ベストアンサー #6です。 誠に申し訳ありません。 辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。 (大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています) お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。 ただ、「です」が丁寧語であることから、「ません」よりも丁寧な表現になると思われ、特に若者の話し言葉として浸透していったとのこと。 2008年には、「ないです」の使用が「ません」の使用を約 3 倍も上回る結果が出たという研究結果もあります。 lang. nagoya-u. pdf 因みに、わたしは(若くはありませんが)書き言葉でも使っています。 とはいえ、子供の頃は使っていなかったように記憶している。 #6です。 誠に申し訳ありません。 辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。 (大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています) お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。 Q 下記の質問から派生した質問です。 goo. html 「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか。 ネット検索すると多数ヒットしますが、何がなんだかわかりません。 【かわいらしい かわいい】の検索結果。 yahoo. 「かわいい」と「かわいらしい」と同じような関係の言葉はほかに何がありますか。 思いついたのは下記の2組です。 「憎い」と「憎らしい」 「汚(きたな)い」と「汚(きたな)らしい」 下記の質問から派生した質問です。 goo. html 「かわいい」と「かわいらしい」はどう違うのでしょうか。 ネット検索すると多数ヒットしますが、何がなんだかわかりません。 【かわいらしい かわいい】の検索結果。 yahoo. A ベストアンサー こんにちは。 「かわいい:かわいらしい」については、前に国語辞書を引き比べてみたことがあります。 その時は結局よくわかりませんでした。 次のところです。 hatenablog. 1 このような感情を表す形容詞には、「話し手側の感情」を表すとともに、「対象となるものの属性」を表す面もある。 「かわいい」は、話し手が持つ感情であり、また対象が持つ属性でもある。 この不細工な犬が可愛くてしかたがない。 誰が見てもあの子は可愛いね。 2 「かわいらしい」は、「そのような様子である」ということで、より「属性」の表現の面が強い。 (という仮説) (新明解国語辞典は、「かわいい」の用法を3つに分け、「かわいらしい」はその「かわいい23」に対応すると言っています。 つまり、「かわいい1」の用法はない、と。 ) 3 「憎い」の場合は、対象の属性は表さない。 よって、対象の属性をも表す「憎らしい」とその点で対立する。 (感情の表現として、「憎らしい」のほうが程度が軽い、という面もあるか。 ) 4 「きたない」と「汚らしい」では、逆に、「きたない」のほうが対象の属性を表し、「汚らしい」が対象の属性を表すとともに、それに対する話し手の感情を含みとして表す。 (「汚らしい」のほうが、忌避感がはっきり出るように思います。 ) 以上をまとめると、 話し手の感情 両方 対象の属性 かわいい かわいらしい 憎い 憎らしい 汚らしい きたない こんな風に位置づけられるかなあ、と。 saburoo 以下は蛇足です。 下のほうで何かめちゃくちゃなことを書いている人がいます。 私の知識は怪しいので、形容詞の活用表を岩波国語辞典から写します。 (「かわい」「きたな」は「語幹」ですね。 ) どうして何も知らない人が、「回答」するのでしょうか。 今回は、質問者のほうがよく分かっているような人だから、トンデモを書いても無視されるだけでしょうから、まだいいのですが、日本語学習者の質問にいい加減な「回答」を書かれては、学習者が混乱するだけですので、私は日本語教師としてやめてほしいと思います。 それから、回答の書き方として、思いついたことをただダラダラと並べるのではなく、よく考えてから、論理を整理して書いたほうがいいだろうと思います。 質問に回答するとは、人に説明することで、相手にわかるように書かなければいけません。 自分のメモではありません。 高校や大学で教えられる「レポートの書き方」の基本です。 以上、蛇足でした。 こんにちは。 「かわいい:かわいらしい」については、前に国語辞書を引き比べてみたことがあります。 その時は結局よくわかりませんでした。 次のところです。 hatenablog. 1 このような感情を表す形容詞には、「話し手側の感情」を表すとともに、「対象となるものの属性」を表す面もある。 「かわいい」は、話し手... A ベストアンサー 「のだ」の「の」は形式 抽象 名詞で、「だ」は肯定判断を表す助動詞の「だ」です。 明日会議があるんだ。 は、「明日会議がある」と言う内容を媒介的に実体として「の」で捉え直し、「だ」と肯定判断しています。 つまり、内容を実体的に「の」で捉え直し、自分の判断を相手、聞き手に明確に打ち出しています。 明日会議があったんだ。 は、「明日会議がある」を「の」で捉え直し、それを過去に確認したことを「た」で思い出し、「だ」と判断をしています。 昨日会議があったんだ。 は、昨日で過去に観念的に戻り「会議がある」と確認し、「た」で現在に戻り、それを「の」で捉え直し、「だ」と判断をしています。 明日会議があるんだった。 は、「明日会議がある」という内容を「の」で捉え直し、それを過去に確認したことを「た」で思い出し、これを「の」で捉え直し「だ」と肯定判断しています。 昨日会議があったんだった。 は、「明日会議があった」という内容を「の」で捉え直し、「だ」と肯定判断し、その後さらにその判断を過去のこととして捉え直し「た」と表現しています。 言語は、話者の認識の表現なので、その話者の認識の観念的な運動が背後にあり、これを正しく捉えなければなりません。 明日会議があるんだ。 は、「明日会議がある」と言う内容を媒介的に実体として「の」で捉え直し、「だ」と肯定判断しています。 つまり、内容を実体的に「の」で捉え直し、自分の判断を相手、聞き手に明確に打ち出しています。 明日会議があったんだ。 は、「明日会議がある」を「の」で捉え直し、それを過去に確認したことを「た」で思い出し、「だ」と判断をしています。 昨日会議があったんだ。 は、昨日で過去に観念的に戻... つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。 〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。 ・何(円)が答えですか? という設問に対応している。 〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに使う。 ・100円は何ですか? という設問に対応している。 A と B はどちらもあり得るシチュエーションなので、どちらも間違ってはいません。 ただ、B のように「100円は何ですか?」と問われるようなシチュエーションは稀であるため不自然に感じられるだけです。 稀なシチュエーションとは、たとえば、 ・100円を私にくれると言ったのですか? ・いえ違いますよ。 〔答えが、100円ですよ〕と言ったのです。 といった会話の場合など。 〔答えは、100円ですよ〕は、答えについて「それは100円だ、というコメント」を表明したいときに使う。 ・「答え」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか? という設問に対応している。 「明日の天気が雨という状態であること」を表わしている。 ・いつ(何日)が雨ですか? という設問に対応している。 [ 桜がきれいだ ] 「桜がきれいという状態であること」を表わしたいときに使う。 ・何がきれいですか? という設問に対応している。 [ 桜はきれいだ ] 桜について「それはきれいだ、というコメント」を表明したいときに使う。 ・「桜」について、あなたのコメントを述べてもらえませんか? という設問に対応している。 因みに、以上で申し上げてきた「設問」は「暗黙的な設問」の場合も多い。 特に聞かれなくても、そういう設問があったという前提で答える形になる場合も多い、という意味です。 あくまで、構造をわかりやすくするために想定された「設問」、というふうに捉えていただければ。 つまり、主と述が直接的な関係にあることを表現していることになります。 〔100円が、答えですよ〕は、「100円が答えという状態であること」を表わしたいときに使う。 ・何(円)が答えですか? という設問に対応している。 〔答えが、100円ですよ〕は、「答えが100円という状態であること」を表わしたいときに...

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「しております」「しています」の意味の違いと使い分け

ありおり

特に新聞や論文などの文章で、 例えば、 「10年続いており、毎回100人が参加している」 といった「~ており」と書かれる文章を見かけます。 「おり」を使っているのものの、同時に「いる」も使っていて、違和感を覚えます。 新聞などの文章では、表記の統一性が求められると思います。 辞書によると「おる」は 『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。 』 とあります。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」 「10年続いており、毎回100人が参加しておる」 両者を比較すると、「~ていて」のほうが、統一性があり現代風なように思います。 新旧混ざった言い方は様々な場面で見れますが、 新聞などが、古風でかつ、不統一な表記を使用しているのはどうかと思います。 (「~しております。 9でふれた菊地康人氏の『敬語』の記述について。 詳しくは下記をご参照ください。 】 以下は一部の抜粋(重言)。 【引用部】 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。 322) P. 318~のテーマは「おる」。 これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。 当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。 これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。 話は前後するが、途中に興味深い記述がある。 【引用部】 5 [ニュートラルな用法] (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。 また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。 ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉 ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P. 321~322) この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。 よく見聞するのはちょっと違うと思う。 「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。 手元の本を調べまくった記憶がある。 「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。 後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。 とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。 ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。 こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。 【引用部】 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。 333) 「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。 辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。 この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。 この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。 当方の考え方は下記。 間違ってはいないよな。 ドキドキ。 ってことで、下記をどうぞ。 おる おられる おられた おられます【まとめ】 以下は一部の抜粋(重言)。 ================引用開始 本動詞の「おる」のほかに補助動詞の「~ておられる」もあるがほぼ同じだろう。 辞書の引用は末尾に。 『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。 『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。 〉と明記されている。 この点に関しては『大辞泉』も同様。 これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。 ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。 これが一応の結論。 以降はマニアックな部類に入る話。 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。 かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。 【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? この点について『大辞林』には下記のようにある。 ================引用開始 自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。 時には尊大な物言いに用いられることもある。 ================引用終了 〈自分の動作を卑下したり〉は謙譲語のニュアンスが強いと思うが、謙譲語とは明記していない。 『大辞泉』にいたっては、そのテの記述がいっさいない。 もしかすると、辞書は「(~して)おる」に対して相当神経質になっているのでは。 そりゃ、「(~して)おる」を謙譲語としたら、「(~して)おられる」は謙譲語+尊敬語で意味合いは尊敬語という訳のわからんことになるからね(詳細は後述)。 最初この辞書の記述を見たとき、最近この形にしたのでは……と思った。 一般には、「(~して)おる」は「(~して)いる」の謙譲語なんだから。 ところが、〈1〉で見た6 によると、2006年12月には、ほぼ現状の記述になっている。 問題の根が深いorz。 【2】「おります」で丁寧な言い方? 『大辞林』の書き方は〈「おります」で丁寧な言い方〉。 『大辞泉』の書き方は〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉。 この2つの書き方の微妙な違いが理解できるだろうか。 〈1〉の1 で見た〈ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです〉のような誤解と関係あるのかないのか。 まず、「丁寧語」と「丁寧な言い方」はちと違う。 「丁寧語」はだいたい「丁寧な言い方」だけどね。 たとえば、「よろしくお願い申し上げたい」は「丁寧な言い方」で謙譲語ではあるけど、丁寧語ではない(はず)。 「遠いところをわざわざどうもありがとう」は「丁寧な言い方」だけど、丁寧語ではない(はず)。 「確認願います」は「丁寧語」ではあるけれど、あまり「丁寧な言い方」とは言えない。 「ご確認(のほど)お願いいたします」なら「丁寧語」で「謙譲語」(I&II)で、「丁寧な言い方」。 ちなみに、丁寧語は、「5分類」法だと「丁寧語」と「美化語」に分かれる。 ここでは「美化語」のことは除外し、「5分類」法の「丁寧語」のことを書いている。 乱暴な書き方をすると、「丁寧語」か否かはデス・マス体か否かとほぼ同義。 極端なことを書くと「そんなことを抜かしているとぶっ殺しますよ」も「丁寧語」と言えなくはない(さすがに無理?)。 敬語の「5分類」法と「3分類」法の話を始めると長くなるので、下記の「日本語における敬語表現」の表を見てほしい。 ちなみに、Wikipediaの後半の「不規則動詞一覧」に「丁寧語」の項目があるが、無視したほうがいい。 で、辞書の記述に戻る。 それぞれの辞書の記述に細かいインネンをつける。 (略) ================引用終了 中止形の「~おり(、)」と「~いて(、)」。 「~している。 」「~しておる。 」という終止形とはちょっと違う話です。 』は終止形の話でしょう。 現代では「~しておる。 」の形はあまり使われず「~しております。 」の形で謙譲語として使われます(異説もあります)。 中止形の「~おり(、)」は、すでにコメントがあるように、ニュートラルでしょう。 『敬語』でこの話が出てくるのは「~しておられる/おられる」の話の中で、これがまた厄介です。 詳しくはコメントを別にします。 新聞で中止形の「~いて(、)」を使ってますか? 当方の記憶だと、新聞は圧倒的に「~おり(、)」が多い印象です。 どちらが正しいということではなく、どちらも使われます。 「~おり(、)」のほうが昔ながらの言い方なので、言葉を厳格に使う人はこちらを使うようです。 「昔ながらの言い方」は、古風とも言えます。 当方は一応プロのライターですが、もう何十年も「~いて(、)」を使っています。 それでも問題になったことはありません。 一度だけ年配者に「文法的におかしいのでは……」と指摘されたことがありますが、「おかしい」理由はいくら調べても見つからないはずです。 当方は、古くさい言葉づかいがイヤなので避けている言い回しがいくつかあります。 中止形の「~おり(、)」もそのひとつです。 やや古風で格調の高い印象の文章が書きたければ、下記の心得の逆を心がければよいでしょう。 こういうときは、「いい」にはしにくい(泣)。 1 「~である」を使わずに「~だ」を使う(理想を言えば「~だ」もできるだけ使わない) 2 「よい」は使わず「いい」を使う(ex. 「いい方法がある」「こうすればいい」) 3 補助動詞の「ゆく」は使わず「いく」を使う(ex. 問題はこの点だけ) 6 むやみに漢字を使わない 7 結果を表す「と」は使わず「に」を使う(ex. 「~することとした」を「~することにした」にする) 8 「行う」はできるだけ使わない。 とくに過去形の「行(おこな)った」は「行(い)った」とまぎらわしい場合があるので、極力避ける。 みんなで行った花火大会。 個人的には本則ではないことを承知で「行なう」と書くことにしている。 9 重文のつなぎの「~おり」(正確にはなんと言えばいいかわからないorz)は使わず「~いて」を使う。 この件はすでに解決していて、~ 10 接続詞の「また」は極力つかわない だいたい削除できる。 助詞の「も」をうまく使う。 「それもまた一理ある」のような副詞は許容(個人的にはまず使わない)。 #5です。 #6さんがお示しになった菊池康人氏の下記の記述は興味深いですね。 ------------------------------------------------ 「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方と見られる。 ------------------------------------------------ この菊池氏は、たしか文化審議会国語小委員会の副主査だったと思いますが、<敬語の指針>作成メンバーの一員とは思えない記述です。 >「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがある : と言っているわけですが、なぜ「いる」を「おる」と言い換えることができるのか?また、言い換えた場合、どのような差異が意味的、ニュアンス的に生じるのか、という点についての言及がまったくありません。 そもそも、言葉が違えば必ず別の意味やニュアンスが生じるはずであり、そうでなければ別の言葉の存在意義はないでしょう。 単に言いやすいから「おり」を使うという説は腑に落ちないですね。 実際、 >謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方 : とは言っていますが、古風な言い方ではない、とまでは言っていません。 古風な表現を採用することで、である調の歯切れよさを維持しようとした、と考えるのが自然でしょう。 「10年続いてい、」が本来の表現とおっしゃる方もおられます。 それはそうなのでしょうが、先述いたしましたように、「10年続いており、」とまったく同じ意味、ニュアンスにはならないはずです。 「古風な言い方」というのは、言葉を変えれば「改まった言い方」です。 「改まった言い方」というのは、必然的に尊大に使うこともできますし、明快に歯切れ良く使うこともできます。 その意味で、軽快に述べたい場合には適した表現だと言えるでしょう。 (むろん、古風な言い方のすべてが適していると言っているわけでないことはご理解いただけると思います) とは言うものの、#4さんや#6さんがおっしゃるところの、連用中止法という用語は勉強になりました。 #5で、わたしは、 ----------------------------------------------------- 「10年続いていて、毎回100人が参加している」の場合は、である調であるにも拘わらず「歯切れの良さ」が減少してしまうだけでなく、重複による語感の悪さも伴うことになります。 ----------------------------------------------------- と述べました。 「歯切れの良さ」が減少してしまうのは、「おる」ではなく「いる」を使っているため、としたわけですが、これに加えて、接続助詞「て」を使っているため、であることがわかります。 #4さんがすでに指摘されていますが、この「ている」は、下記辞書の、 7 (補助動詞)動詞連用形に接続助詞「て」が付いた形に付く。 ア 動作・状態が続いて、現在に至ることを表す。 「猫が鳴いている」「花が咲いている」 という用法です。 「10年続いて現在に至っている。 【そして】、毎回100人が参加している」というニュアンスになります。 この【そして】が勢いを削いでしまい、歯切れの良さが減少するわけです。 「おる」は古風な言い方でもありますが、聞き手に対して丁重な表現をするという謙譲語2でもあります。 下記辞書の1-イが前者であり、2が後者です。 謙譲語2は現役表現ですが、それとは別に古風な言い方、という用法もあるわけで、これらを同列に論じようとすると収拾がつかなくなります。 これは#1さんが「現役の表現方法」とされ、さらに#4さんが「単純な回答をすれば…」としてご指摘の通りなのです。 古風でも、である調でも、尊大なわけでも、不統一なのでもありません。 日本語学習者など、日本語が不慣れな人限定の「テ形 te-form 」で済ますところですが、実際には「い(補助動詞連用形)」+「接続助詞「て」の2語から成っており、この接続助詞「て」を加えるとアスペクトも変化し、順次成立型へと限定拘束されてしまうきらいがあるからです。 本来は「10年続いてい、」とすべきなのですが、実際作家などはそういう遣い方もするのですが、この新聞記事のように「10年続いており、」と記して余計な接続助詞の介入を排除し、連用中止法を守って文脈を自然にするのが一般的なやり方なのです。 参考:菊池康人「敬語」講談社学術文庫 「標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので、「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁寧などの趣は特に含まないニュートラルな使い方と見られる。 また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず」をニュートラルに使う人もいる。 」(322頁) これは、である調の文ですね。 丁重さよりも歯切れの良さを重視しているのでしょう。 「歯切れの良さ」を重視する場合、「古風な表現」も有効になるため「おる」が採用され、 「10年続いており、毎回100人が参加している」という文になった。 「参加しておる」を使わないのには、2つの理由があると思います。 文末なので、尊大な表現になってしまうから。 また、前の「おる」と重複し語感が良くないから。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」の場合は、である調であるにも拘わらず「歯切れの良さ」が減少してしまうだけでなく、重複による語感の悪さも伴うことになります。 因みに、文化審議会<敬語の指針>で、「おる」は謙譲語2に分類されています。 18&28ページ 謙譲語2とは、聞き手に対して丁重な表現をするという用法の敬語で、丁重語とも呼ばれます。 生徒が聞き手である先生に対して「昨日はずっと部屋にいました」ではなく「昨日はずっと部屋におりました」と言うのが謙譲語2の敬語表現です。 性質上、基本的に丁寧語を伴って使います。 「10年続いていて、毎回100人が参加している」を聞き手(読み手)に丁重に伝えるためには、謙譲語2を使い、 「10年続いていて、毎回100人が参加しております」と表現します。 ただ、これは、です・ます調の場合。 新聞記事とは異なり、歯切れの良さには重点が置かれていないため、「続いており」と古風な表現をする必要がありません。 また、「参加している」ではなく丁重表現の「参加しております」を使うため、「ている」の重複も避けられ、自然な表現になります。 質問者がおっしゃることも、3人の回答者のおっしゃることも、いずれもうなずけるところがあり、やはり「いる」「おる」の問題は根が深いようです。 単純な回答をすれば、「おる」は「おり」という(連用形)中止法が使えるのに対し、「いる」の連用形は「い」ですから、そこで止めるためには「い、」で切ることになります。 しかし「いる」だけは「い、い、い」 例えば「人がい、犬がい、猫もい、」のように のようには使えません。 これは、No. 2のかたがおっしゃるように「不自然な言い方」にも聞こえます。 「て」を付ければいいとも考えられますが、実はNo. 1の方が触れられたように「ている」というのは別の意味を表します。 いわゆる「アスペクト」でいう、「動作が完了した状態が残っている」または「動作が引き続き行われている」ことを表す言い方でもあるのです。 そうしたことは、「おり」を使えば直ちに解決できるという理由があります。 しかし、質問者のおっしゃるように、「おる」は共通語の立場からすれば、ちょっと異様なな印象を与えるでしょう。 辞書の説明に『「…ている」の古風な、または尊大な言い方。 』とあるようですが、「尊大」という印象は「武家言葉」の「おり申す」などから来るのでしょう。 「い申す」とは言いにくかったのです。 ある大学教授が「関西の先生方は、どうして『おられる』という言葉を平気で使われるのでしょう」と発言されたのを聞いたことがあります。 実は共通語からすれば、「おる」は「いる」の謙譲語だといわれます。 その謙譲語に「れる」を付けて敬語のように使うのが腑に落ちないということですね。 今日のテレビで、元首相の細川氏が「言っておられることと、やっておられることが違う」と現首相を批判されていましたが、やはり関西出身だなと思いました。 古文の勉強をしたとき、「あり・をり・侍り・いますかり」とラ変動詞を覚えたものですが、この「あり・をり」こそが古い時代の「存在動詞」でありました。 (現代の存在動詞は「ある・いる」)この「をり」が「おる」に変化しました。 一方、「いる」という動詞も上一段活用としてありました。 どうして、「をり」と「いる」の両方が存在したのかというと、「いる」は別の意味を表していました。 人間で言えば「座る」の意味です。 (鳥などで言えば「とまる」の意味。 )そして「立つ」に対応する意味でもありました。 今も残る「立ち居振る舞い」「居ても立ってもいられない」はその名残です。 また「月」を表す言葉で「いざよい月」「立ち待ち月」「居待ち月」「寝待ち月」(臥し待ち月とも)と続きますが、「立って待つ」「座って待つ」「寝て待つ」と一日ずつ月が出る時間の遅れを表しています。 この「いる」が実は関東方言として定着し、後に江戸では現在の存在動詞と同様に使われました。 政治経済の中心が江戸に移って以後は、全国の各藩の武士たちも参勤交代などによって江戸に住むものも増え、武士以外の人々も各地から集まって、ちょうど近世英国のロンドンにおける「言葉の坩堝(るつぼ)」状態と似た状況になりました。 英国で「キングズ イングリッシュ」が生まれたのと同じ現象が、江戸時代から東京時代にかけて起こり、明治期に「標準語」と名づけただけの理由はあったわけです。 多分に「江戸っ子弁」とも言うべきものが残ってはいますが。 しかし、京・大坂などでは「おる」を使い続けてきました。 「家にいるか」を関西では「家におるか」というのが普通です。 方言に聞こえたり、古い言葉に思えるのは、当然のことです。 「イルカ、オルカ」と動物の名の語呂合わせにもなるところですね。 一部で「言っちょる」(薩摩弁?)もあったようです。 以上、「いる」と「おる」についての考察でした。 文法的な内容は書かず、(多くの人が感じるが認識していない)無意識的な部分を書いていきます。 ほとんどの人は文法的な内容などは考えず、自分がその時(聞いた時)に感じた感覚を元に話しているからです。 「あり」と「いて」の違いですが、これは文章の位置によって変わってきます。 今回の文章の位置とは、「途中」(あなたが挙げられた文章では「、」付近)と「最後」つまり「。 」があるところです。 「途中」に関しては、「おり」のほうが品があり少しそこで「区切り」がつくようになります。 それに比べ「いて」は前後の内容がつながれることが前提であり、すぐに後ろの言葉を話す(聞く)ことが求められます。 そのため、お寺やお城や貴族・皇族などの重厚感がある場面では「おり」が使われ、スピード感が求められるスポーツの実況などは「おり」は使われにくく、通常は「いて」や省略されやすいです(「続いていて」も「続いて」になります)。 一方「最後」では「おり」は現代語では「おる」になりますが、「おる」は古風というより「年配者が使う言葉」になります(また、関東人には「関西人が使う言葉」にも感じます)。 一方「いる」には特別な感覚はありません。 そのためか、おなじセリフでも「おる」にしただけで年寄りっぽくなります(たいていは語尾に言葉を追加して「おるんじゃ」などになりますし、関西人は「おるんや」になります)。 「おる」にこうした意味が付加された経緯はわかりませんが、感覚的にこうしたことを読み取り(音質的にそうした特徴があるかもしれません)それを使い続けているのが、こうした感覚が続いている理由ではあるでしょう。 「おる」自体に年寄り要素があるというより、年寄りがよく使う言葉が「おり」であり、その結果「おり」に年寄りくささがついた というものです。 比較するならこんな感じです。 「10年続いておって、毎回100人が参加しておる」 2. 「10年続いていて、毎回100人が参加している」 3. 「10年続いており、毎回100人が参加しておる」 4A. 「10年続いてい、毎回100人が参加している」 4B. 「10年続いており、毎回100人が参加している」 1. が対応します。 は古風あるいは方言のような感じです。 は格調高さがありません。 と4A. が対応します。 と同様に古風あるいは方言のような感じです。 は不自然な言い方です。 4Aの代わりに4Bを使うと 不自然さはなくなり,かつ程よい格調の高さが生まれます。 には統一性があり現代風だとは思いますが,少し幼稚に聞こえます。 この回答への補足 「おる」と「いる」は「デジタル大辞泉」の解説 を見ました。 「…ている」の古風な、または尊大な言い方。 ア:動作・状態が続いて、現在に至ることを表す。 「猫が鳴いている」「花が咲いている」 イ:動作・作用の結果が、続いて現在もあることを表す。 「枝が枯れている」「窓があいている」 ウ:現在の状態を表す。 「彼の気持ちはもう変わっている」 とありました。 外国の友達から次のような内容のメールをもらいました。 「去年から家庭教師を雇って、毎週日本語を勉強して、今年からあなたとメールのやり取りをしています。 」 そこで、「去年から家庭教師を雇って毎週日本語を勉強し、今年からあなたとメールのやり取りを始めました。 」と訂正してあげました。 (この文章も何だか変なのですが・・・) するとその友達から『「勉強して、・・・。 」と「勉強し、・・・。 」の違いを教えて欲しい」』と言われました。 私なりに考えてみた結果、 「~て、~て」では、同じような表現の繰り返しになってしまい、幼稚な 感じになってしまうので避けたほうが良い。 むしろ、「~て、~て」と繰り返すよりも「雇って、」の句点を取ったほうがスッキリする。 「勉強し、」 ; 動詞「勉強する」の連用中止形。 で、良いのでしょうか? 意味にはほとんど違いは無く、中止形の方が書きことば的だと思うのですが、どうなのでしょうか? 一生懸命日本語を勉強している人に(私よりも目上の方です)対して、 「幼稚な文です。 」と言ったら気分を害されてしまうでしょうか? 長文になってしまい申し訳ありません。 ぜひ、ご意見をお聞かせください。 宜しくお願いします。 「~し、」と「~して、」の違いを教えて下さい。 外国の友達から次のような内容のメールをもらいました。 「去年から家庭教師を雇って、毎週日本語を勉強して、今年からあなたとメールのやり取りをしています。 」 そこで、「去年から家庭教師を雇って毎週日本語を勉強し、今年からあなたとメールのやり取りを始めました。 」と訂正してあげました。 (この文章も何だか変なのですが・・・) するとその友達から『「勉強して、・・・。 」と「勉強し、・・・。 」の違いを教えて欲しい」』と言われました... A ベストアンサー たしかに、ひとつの文に「て」が複数あると、見苦しく感じる場合はあります。 ただし、その前に、 「雇って」は「勉強して」を修飾しています。 このような修飾する/されるの関係がある場合は、修飾する側の動詞に「て」を付けないといけません。 よって、 「雇って勉強し」か「雇って勉強して」のどちらかに絞られます。 ここで、「て」が2箇所あると不自然だという考え方を適用して、 「雇って勉強し」 のほうが望ましい、ということになります。 ただし、口で言う場合は、「雇って勉強して」のほうが普通ですね。 本題とは離れるかもしれませんが、 複数の動詞を羅列する場合は、 (話し言葉) 「新宿までバスで行って、山手線で渋谷まで行って、田園都市線でニコタマまで行って、駅から5分歩いて」 (書き言葉) 「新宿までバスで行き、山手線で渋谷まで行き、田園都市線でニコタマまで行き、駅から5分歩き」 ですね。 「勉強し、」 ; 動詞「勉強する」の連用中止形。 で、良いのでしょうか? よいです。 たしかに、ひとつの文に「て」が複数あると、見苦しく感じる場合はあります。 ただし、その前に、 「雇って」は「勉強して」を修飾しています。 このような修飾する/されるの関係がある場合は、修飾する側の動詞に「て」を付けないといけません。 よって、 「雇って勉強し」か「雇って勉強して」のどちらかに絞られます。 ここで、「て」が2箇所あると不自然だという考え方を適用して、 「雇って勉強し」 のほうが望ましい、ということになります。 ただし、口で言う場合は、「雇って勉強して」のほ... A ベストアンサー 格助詞「に」と「と」の違いですね。 この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。 「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。 「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」 「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。 「すったもんだの末、結局彼が村長となった。 また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。 html Q 私は社会人歴7年、ひととおりのビジネスマナーはまあまあ覚えていたつもりなのですが、実は未だにちょっと分からないことがあります。 例えば、仕事上で相手の会社に電話をかける際、はじめに目的の人物以外が電話に対応する場合のはよくあることですね。 振り返って思い出してみると地元の人たちで「おられますか?」を使うのを殆ど聞いたことが無い気がします。 どちらかと言えば、他県、それも関西方面の人たちが「おられますか?」をよく使っていたような…。 私は新社会人当時、関西の言葉を話す社員が多い会社にいたので、「おられますか?」は耳に馴染んでいて、今でもその時々によって「いらっしゃいますか?」と合わせて半々に使います。 A ベストアンサー 学校文法的に言えば、 敬語には尊敬語、謙譲語、丁寧語の三種類があります。 「おる」は謙譲語です。 したがって、これに尊敬語の助動詞「られる」をつけるのは間違いです。 ということになります。 私もそのように教えられた覚えがあります。 しかし、「おる(をる)」は元々謙譲語というより丁寧語であって、これに「られる」という助動詞をつけて尊敬の意味を表わすことは、何ら間違いではないと言う説もあります。 このことについて、説得力のある説明をしているサイトを見たことがあります。 文部省や国語審議会の言うことなど、学問的にさほど権威があるとも思えません。 ただ、学校の試験などでどう答えるか、ということが問題ならば、彼らのいうことが金科玉条ですが。。。 alc. html A ベストアンサー 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。 それも「かかわる」でなく「かかる」です。 「人命に係 かか る問題」「係 かか り結び」など。 前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合 常用漢字の基準では 「係わる」でなく「かかわる」です。 結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。 漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。 ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。 漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。 一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的 「関わらない」「係わらない」 にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。 ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。 念のため。 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい... A ベストアンサー 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか? ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、 私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。 「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。 これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。 1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。 」 2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。 」 1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。 2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。 1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。 」 2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。 」 これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。 2は素直な人が話しているなら単なる並列。 ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。 とまあ、こんなところです。 前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。 色々な回答がつくといいですね。 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか?... A ベストアンサー かなりややこしい問題です。 はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。 ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。 大辞泉では、 「はじめ【始め・初め】 5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多くの中で、主となるもの。 また、先に立つもの。 つまり、5の文例は「初め」を慣用とするとしているようです。 岩波国語辞典では、 「はじめ【始め・初め】」としているだけで、特にどちらを が 用いる・用いられるかは明確にしていません。 ただし、副詞に限っては「初め」としています。 新明解国語辞典 「はじめ【初め】」として、末尾に「「始め」とも書く」としています。 Windows付属のIMEでは、 始め: [一般的][物事に関して][動詞的] 初め: [時間に関して][副詞的] としています。 IMEだけは、はっきりと「校長を始めとして」と用例をあげています。 しかし根拠は ? です。 漢字の由来としては、 「始」は「終わり」に対する「始め」の意味だけです。 [始皇帝、終始、始終、始末、始めは処女のごとく後には脱兎のごとく] ま、大辞林のとおりですね。 IME他、時間的な始まりと物事の始まり、という分け方をしているものを時々みかけますが、どうでしょうか。 「並んでいる一番目」「第一の」というようにとらえれば「初め」になるようです。 初恋、初陣、初夜などは時間とばかりはいえないでしょう。 少なくとも、「社長をはじめ、職員の…」であれば「はじめ」は動詞・連用形と考えられるので「始め」になります。 しかし、「社長をはじめとする職員の…」となると「ははじめ」は名詞ですから、やはり ? です。 歯切れのいい回答にならず申しわけありません。 かなりややこしい問題です。 はっきりと正解・間違いかと答えられる人がいるのでしょうか、と感じるくらい難しいことのようです。 ただ末尾に〔普通、順序の意には「初」、開始の意には「始」を用いる〕」とあります。 大辞泉では、 「はじめ【始め・初め】 5 (「…をはじめ」「…をはじめとして」の形で用いる)多く... A ベストアンサー #3です。 ビジネス文書なので簡潔な言い回しがふさわしいでしょう。 #4さんのおっしゃる ・ご案内いたします ・ご手伝いいたします ・ご返却いたします ですが、 「ご案内」「お手伝い」は 「ご挨拶」「お電話」などと同様、 丁寧語として耳慣れています。 例えば、「おみおつけ」(味噌汁)などは丁寧部分をとると 「つけ」だけになりますしね。 でも、「ご返却」の場合、 「ご出席」「ご意見」「ご確認」などに「致します」が続くと 変に思うように、 自分の行動に「御」をつけるなんて・・・となると思うのですが、 如何でしょう? 「致します」に繋げるところに問題があるのでしょうね。 変に感じたら、続くことばで工夫ですね。 「ご返却させていただきます」なら、変じゃないですよ。

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ありおり。色覚異常について

ありおり

基本の状態動詞 日本語の動詞の殆どは変化動詞です。 状態を表すものではありません。 状態を表す動詞としては• いる があります。 おる も使われますが、若干古い言葉という感じもします。 古文だと• あり、おり、はべり、いまそがり です。 変化動詞の状態表現 変化動詞の状態表現には、「て」を付加した上、 状態動詞「ある」「いる」あるいは その省略表現である「る」を付加します。 例えば• 「持つ」の状態表現は「持っている(持ってる)」• 「食べる」の状態表現は「食べている(食べてる)」 となります。 そして、• 「知る」の状態表現は「知っている(知ってる)」 です。 変化動詞の状態表現の否定形 さて、状態表現の否定形はどうでしょう?• ところが、• 自然な表現では• 「知る」は半状態語である 「知る」は変化動詞なのですが、その形態的否定語• 「知らない」は変化の否定語ではなく、否定状態を表す語 となっているのです。 つまり• 日本語の状態動詞は「ある」「いる」「知らない(否定形のみ 」 があると言えるのです。 「知る」は単体では変化語ですが、その否定「知らない」「知りません」 が「状態語」となる「半状態動詞」なのです。 否定語の時制に関する考察が にも書かれています。 #「知らない」が特殊化した理由 「知らない」が特殊である理由の一つは「知る」という変化が 認識しづらいということがあると思います。 意識的動作と見なし難いこともあります。 「覚える」というのは 「作業」ですが「知る」というのは「作業」とは言いづらい面 があります。 「覚える」ことは否定できても「知る」ことは否定が難しい のです。 「知る?」などという現在形疑問が考え難いというのもそもそも "知る"という概念がかなり特殊なものであることを示しています。 「知らない」は頻度が低いため古い言い方が残った。 例えば 「君知るや南の国・・」という表現では「知る」は状態を 表す言葉です。 # 状態活用(現在進行形連体活用 状態語でない語でも、体言に結びつく場合、現在進行状態 を表す活用ができる場合があります。 例えば• 眠れる森の美女• 迷える子羊 などです。 これらに関する考察を に置きました。 英語ではknowそのものが「特殊」な状態語となっています。 他の言語ではどうなのか興味が沸きます。 ### 余談 タイトルが「ある、いる、知らない」でなくて「あり、おり、知らない」 となっているのはもちろん「あり、おり、はべり、いまそがり」を 連想してもらうためです。 ちょっとわざとらしすぎるかも知れません。 ### ところで 「あり、おり、はべり、いまそがり」というのは妙に語呂が良くて 気にいってるんですが、 「いまそがる」って本当に普通の言葉として使われていたんでしょうか? あんまり見たことが無いように思います。 」というフレーズが有ったような 気もしますが、当時としても特殊な言葉だったとか、 ある特定の著者しか使ったことのない言葉だとかって ことはないのでしょうか? あるいは"流行語"のように一時期のみ使われた 言葉だった。

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