ヴァージニア ヘンダーソン。 課題1 ヘンダーソンとナイチンゲールの看護理論の比較

第2回新たな看護のあり方に関する検討会資料

ヴァージニア ヘンダーソン

父親の仕事の関係上、ヴァージニア州で育つ。 1918年 第1次世界大戦中に、傷病兵の世話をしたいという気持ちから看護への関心 を高めワシントンの陸軍看護学校へ入学。 1921年 同校卒業。 訪問看護婦として働く。 1922年 故郷のヴァージニア州の病院看護学校で教鞭をとる。 1929年 看護に関わる自然科学と人文科学を学ぶ為にコロンビア大学のティーチャー ズ・カレッジに進学。 学士号と修士号を取得。 1961年 『看護の基本となるもの』を出版。 1966年 『看護論』を出版。 1996年 生涯を閉じる。 看護婦の独自の機能は、「病人であれ健康人であれ各人が、健康あるいは健康の回復(あるいは平和な死)に資するような行動をするのを援助することである。 その人が必要なだけの体力と意思力と知識とをもっていれば、これらの行動は他者の援助を得なくても可能であろう。 この援助は、その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う。 と述べている。 そして、ヘンダーソンは看護の構成要素として14の基本的ニーズを挙げ、「対象が健康人であっても病人であっても、看護婦は衣食住に対する人間の免れえない欲望を念頭におかなければならない。 と述べ、看護師の役割は、患者がこれらのニーズを満たせるよう補助することであると示し、看護が人間の基本的ニーズに根ざしていることを強調している。 14の基本的ニーズについては後述のとおりである。 この本質的ないし独自の機能は、看護師が自らの主導において遂行でき、それに関しては看護師が最も優れているとしている。 著書 1) V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護の基本となるもの、 日本看護協会 出版会 、 1995 年、p. 11 2) 小玉香津子訳:ヴァージニア・ヘンダーソン論文集、日本看護協会出版会、 3) V・ヘンダーソン著(湯槇ます、小玉香津子訳): 看護論、日本看護協会出版会、.

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課題1 ヘンダーソンとナイチンゲールの看護理論の比較

ヴァージニア ヘンダーソン

ヘンダーソン( Henderson) 人名(五十音順)• (Archibald Henderson)- アメリカ海兵隊の軍人。 (Arthur Henderson)- イギリスの政治家。 (Virginia Henderson)- アメリカの看護学者。 (Shirley Henderson)- イギリスの女優。 (Joe Henderson)- アメリカのジャズ・ミュージシャン。 (Jordan Henderson)- イギリスのサッカー選手。 (Scott Henderson)- アメリカのギタリスト。 (Dan Henderson)- アメリカの総合格闘家。 (David Lee "Dave" Henderson)- アメリカの野球選手。 (Thomas James Henderson)- スコットランドの天文学者。 (John Nicholas Henderson)- イギリスの外交官、作家。 (Fletcher Henderson)- アメリカのジャズ・ピアニスト。 (Hazel Henderson)- アメリカの経済学者。 (Ben Henderson)- アメリカの総合格闘家。 (Marjorie Henderson Buell)- アメリカの漫画家。 (Martin Henderson)- ニュージーランドの俳優。 (Monique Henderson)- アメリカの陸上競技選手。 (Rickey Henley Henderson)- アメリカの野球選手。 (Loy Wesley Henderson)- アメリカの外交官。 地名・その他• - アメリカ合衆国ケンタッキー州の都市。 - アメリカ合衆国ネバダ州の都市。 - アメリカ合衆国ケンタッキー州の郡。 - 南太平洋、ピトケアン諸島の島。 - 南極の島。 - の舞台となったの基地。 は同義。 戦後となる。 - に所属するお笑いコンビ。 このページは です。 一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。 お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。 を見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。

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ヴァージニア ヘンダーソン

序詞 アンジェラ・バロン・マクブライド あまりにも変化が急速なために混乱はなはだしい世の中にあって,『ヴァージニア・ヘンダーソン選集』の出版はまことに時宜にかなっていると思う。 病院の数の削減ならびに構造の再編成は多くのナースたちに,居場所をずらされたような感じを与え,また,質の高いケアによりは医療保障の払い戻し処置のほうに関心を向けている気配のあるヘルスケア供給システムのなかでどのように仕事をしていけばよいか,自信をもてなくさせてしまった。 ミス・ヘンダーソンはよき師であったアニー・グッドリッチと同じように,患者ケアへの機械論的な取り組みに批判の目を向けていた。 看護以外の職種の人でも十分できるような,保険による払い戻しが可能な一連の手順仕事へと看護を変えたがっている諸勢力のある現在,彼女の言葉は重みを増しつつある。 ミス・ヘンダーソンのきわめつきの貢献は,国際看護師協会(ICN)が採択した看護の作業上の定義を生み出し,それが何十か国語にも翻訳されたことである。 ミス・ヘンダーソンは看護を,日常の生活行動をするうえで患者が誰かにしてもらう必要のあることを供給することによってその患者の不足を満たす,そういう複合サービスであると考えた。 この見解は,患者を中心に置くということと人間の機能を最大にすることとの強調をもって,当惑の時代にあった看護にある方向感覚を与える力をもっていた。 時機にかなう本書に集められた著作には,健康増進,継続的なケア,患者の代弁,アートとサイエンスの統合,境界に橋を架けてつなぐ,などに対する彼女の熱意がみなぎっている。 われわれはまたこれらの著作を読むと,ヴァージニア・ヘンダーソンが何と見事な役割モデルであったかに気づかせられる。 彼女の思考は彼女が生きた時代の知的発達史が形づくったのであり,彼女は『ナーシング・スタディズ・インデックス』,『インターナショナル・ナーシング・インデックス』その他の仕事を通してその発達史の集成に非常な貢献をした。 彼女の認識はデータに基づいており,自分の学問分野を形づくるためにさまざまな研究結果をどう使うかを彼女は知っていた。 なかでも特筆すべきは,ナースについて研究することから,ナースが人々の生活のなかに起こすことのできる変化を研究することへと,研究を移行させるための知見の活用である。 彼女の著作には,たとえば明快な看護の任務といったようなテーマがいつもあるのだが,それらテーマは彼女の並はずれた職業生活を通じての10年きざみの新たな洞察と結びついていた。 本書に収められた著作は今日なお有意義であるばかりでなく,優れた実践家,教育者および研究者に欠くことのできない特性,ものを見る目の新鮮さ,の手本でもある。 本書の最後に置かれた健康記録についての考え方の一文は,ヘンダーソンという存在をくっきりと浮かび上がらせたある瞬間を私に思い出させた。 1985年6月,ICNは彼女が文句なく世界一のナースであることを認め,第1回クリスティアヌ・レイマン賞を授与した。 テルアビブ大会に集った人々の前に立った彼女は,与えられた5分間を使い,次のような感謝とお願いを述べたのであった。 (a)贈られた名誉に対する丁重な御礼,(b)クリスティアヌ・レイマンの生涯およびその時代と自分ヘンダーソンとのきずなへの思い,(c)自分の健康記録についてよく理解しているように患者を促すための方策を講じよとの会衆への呼びかけ,である。 与えられた短い時間をいかに生かすかを知っている専門家がここにいる,と会衆は思った。 それは,われわれが何か変化を起こしたければ必ず身につけねばならない手腕なのである。 1990年,シグマ・シータ・タウの国際看護図書館にヴァージニア・ヘンダーソンと冠することを彼女に承知してもらうべく動いた私は,その決定が公表されたあと,私の学生や周囲の若者たちの多くが彼女の著作を知らないことに驚かされた。 私自身は,ハーマーとヘンダーソンの『看護の原理と実際』がバイブルであった時代に育ったのだったが,彼らはといえば,2,000頁を超えるような必修テキストは受け入れない時代に成年になったのだ。 エドワード・ハロランが賢明にも,若い世代のナースたちにミス・ヘンダーソンの豊かで味わい深い文章を広めようと決断したことに,われわれは感謝してやまない。

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