リヴァー フェニックス 死因。 『ジョーカー』ホアキン・フェニックス、目の前で死んだ兄リヴァー・フェニックスの思い出を明かす

リヴァー・フェニックスの死因が明らかに! /2013年11月1日 1ページ目

リヴァー フェニックス 死因

1993年に23歳の若さで急逝したリヴァー・フェニックスが、8月23日に、生きていれば48回目となる誕生日を迎えた。 当時、反抗期まっただ中のティーンエイジャーだった私は、特にリヴァーの熱狂的なファンというわけではなかったけれど、その物憂げで鋭い眼差しや、反抗的な佇まいの中に光る知性に、異性としてというよりも同じ人間として、言い得ぬ共感と憧れを抱いていたように思う。 これほど遠い存在にそんな思いを抱いたのは、実のところ後にも先にも、その翌年に亡くなったニルヴァーナのとリヴァーだけだ(いかにも90年代な顔ぶれですが)。 そして、才能あふれる二人を奪ったドラッグという未知なる恐怖に、身体の底から慄いたことも鮮明に覚えている。 48歳のリヴァーがどんな人物になっていたかは想像の世界に任せるとして、こうして彼の写真を見返すと、どこかジェンダーを超越するような美しさに改めて圧倒される。 『君の名前で僕を呼んで』のもそれはそれは美しかったが、悲哀を孕んだ繊細な神々しさは、やはり彼だけのものだ。 おそらく多くの人と同様に、わたしがリヴァーに出会ったのも『スタンド・バイ・ミー』だった。 当時わたしは、家出が何かも知らないピュアな小学生。 リヴァー演じるクリスという存在と、どこか達観したような眼差しを、その美しさに興奮しまくる母親の隣で、どことなく怖い思いで観たように記憶している。 本作で「ヴィーガン版ジェームス・ディーン」と絶賛されたリヴァーは(彼は両親の影響で生涯ヴィーガンを貫いた)、その後も良作に恵まれた。 反戦活動家の両親のもとに生まれたダニーの苦悩を好演した1989年の主演作『旅立ちの時』では、アカデミー賞にノミネートされ、ナルコレプシーの男娼役を演じた1991年のガス・ヴァン・サント監督作『マイ・プライベート・アイダホ』では、ヴェネチア国際映画祭の主演男優賞を受賞。 この作品で共演したキアヌ・リーブスや、同じく友人だったジョニー・デップらとともに、将来を嘱望された俳優だった。

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リバー・フェニックスの死について

リヴァー フェニックス 死因

ハリウッド・スターとしてスポットライトの真下に立っていたリバー・フェニックスですが、その幼少期は壮絶なものでした。 1972年に両親が「神の子」と呼ばれる宗教団体へ加わったことにより、リバーの人生は大きく狂い始めます。 四歳のときに教団から性的暴力を受け、伝道師となった両親とともにメキシコへと移らされると、そこからさらにプエルトリコへと移住を繰り返すことになります。 両親は次第に教祖であるデヴィッド・バーグの歪んだ方針に耐えられなくなり、1977年に一家は無断で「神の子」から離団をします。 それからしばらく仕事にも就かず放浪生活を続けていましたが、リバーが七歳の誕生日を迎えるころにお金も食料も底をつき、アメリカに帰ることもできなくなった一家は、カラカスの宣教師であるカトリック教の神父に助けを求め、アメリカへ帰国する手立てを用意してもらったのです。 1977年に無事帰国を果たしましたが、大工として働いていた父が体を壊し再び収入のなくなってしまった両親は、リバーと妹のレイン・フェニックスを様々なコンテストに出場させたり、路上パフォーマンスをさせて日銭を稼がせていました。 14歳にして名立たる映画俳優の一人となったリバーは、その後も数々の作品に出演をし、さらに注目を集めていきます。 1986年公開の映画『モスキート・コースト』では、ハリソン・フォードの息子役を演じました。 そして、1988年公開の映画『旅立ちの時』ではアカデミー賞やゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネート。 そして、『スタンド・バイ・ミー』と並び代表作と評される『マイ・プライベート・アイダホ』は、キアヌ・リーブスとの共演作とあって、公開当時、大きな関心を集めました。 ポートランドの街角に立ち、男娼をして暮らすマイクとスコット。 やがてマイクは密かに想いを寄せるスコットと連れ立ち、幼い頃捨てられた母親を探す旅に出るのです。 売春、同性愛、ドラッグというセンセーショナルなテーマのためか、エージェントから強い反対を受けながらほぼノーギャラで本作への出演を決意。 儚くも純粋な主人公マイクを見事に演じ切り、ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞に輝きました。

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思い出してほしい…永遠の23歳リバー・フェニックス

リヴァー フェニックス 死因

リバー・フェニックスを覚えているだろうか?1980年代その甘いルックスと実力で、多くのティーンと映画ファンを魅了した。 環境保護についても積極的に発言し、クリーンなイメージがあった彼が薬物が原因で命を落としたという訃報が入ったときは、にわかに信じられなかった。 あれから25年以上が立ち、弟のホアキン・フェニックスはアカデミー賞主演男優賞を受賞。 これまでに、あまり兄について公の場で触れてこなかった彼が、受賞スピーチの最後に、涙をこらえながら兄の言葉を語る姿に全世界が胸を打たれた。 リバーの言葉にはまさに現代に必要なことがつまっていた。 その悲劇はハロウィーンに起きた 25年前のハロウィーンの早朝、サンセット通りとララビー通りが交差する一角にあるナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」のうす暗い店内から、リバーフェニックスは運び出された。 目撃者の証言によると、彼は意識が朦朧とする中、歩道で倒れ込み、そのまま息を引き取った。 ヘロインやコカイン、そしてハリウッドの裏の世界の犠牲者となったのである。 18歳の頃のフェニックス。 「彼はとにかく潔癖で、地球に優しい生活にこだわっていました」 多くの10代のアイドルと同様、フェニックスはスタイルが良く、信じられないほど美しかった。 すっと伸びた完璧な鼻と、アンニュイな眼差しによく似合う、さらさらのブロンドヘア。 彼は映画の中や初期のテレビ出演、撮影の間めったに笑わなかった。 いつも無愛想な表情をしており、インタビューが苦手だった。

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