モンゴメリー クリフト。 (2ページ目)モンゴメリー・クリフトの甥が描いた本人の生き様が浮かびあがるドキュメンタリー映画「Making Montgomery Clift」|@DIME アットダイム

モンゴメリー・クリフト (今週のスター)

モンゴメリー クリフト

JUGEMテーマ: 1.彼はどんな映画に出演したか 私の映画研究「三大女優について」でエリザベス・テイラーのことを思い出していろいろ書いているうちに彼女の相手役をしたモンゴメリー・クリフトのことを思い出した。 彼の虚ろげで物寂しげな表情はいまだに忘れられない。 彼は結構、名作や傑作といわれる映画に出ている。 彼が出演した映画を上げて見ると次のようになる。 ただし製作年は多少前後するかもしれない。 まず最初は何と言ってもジョージ・スティーブンス監督の「陽のあたる場所」( 51 年)だ。 次いでフレッド・ジンネマン監督の「山河遥かなり」( 48 年)と「地上より永遠に」( 53 年)、ハワード・ホークス監督の「赤い河」( 48 年)、エドワード・ドミトリク監督の「愛情の花咲く樹」( 57 年)と「若き獅子たち」( 58 年)、アルフレッド・ヒッチコック監督の「私は告白する」( 53 年)、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の「去年の夏 突然に」( 59 年)、ジョン・ヒューストン監督の「荒馬と女」( 61 年)、スタンリー・クレーマー監督の「ニュールンベルグ裁判」( 61 年)がある。 こうやってみてくると名監督の作品に結構出演している。 それだけ彼は魅力のあるスターだったのだろう。 2.彼の経歴 モンゴメリー・クリフト ( Montgomery Clift, - )は、出身の俳優。 13歳で で初舞台を踏み、以後10年間は舞台で経験を積み、多くの作品で主演を演じて高い評価を得た。 ハリウッドからの誘いを断り続けていた彼だが、1948年、 主演の『 』で映画デビュー。 同年の『 』で にノミネート。 その後『 』、『 』でもノミネートされ、二枚目俳優として活躍する。 映画スタジオとの長期契約を結ばず、大作や話題作への出演も断ることが多かった。 『 』、『』、『』、『』などは彼が断った作品の一部である。 1950年頃からアレルギーと大腸炎に悩まされるようになり、その結果アルコールとドラッグの問題を抱えるようになる。 更に1956年に交通事故に遭い顔面を負傷、整形手術をするも顔の筋肉の一部が動かなくなってしまい、以後更に健康上の問題を抱えるようになる。 1959年には の戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年には 、 主演の『 』に出演。 1961年の『 』では にノミネートされ、その後の活躍も期待されたが、1966年に で死去した。 現在では であったことが知られている。 3. 驚嘆の「何処のクリフなの? 」という言葉 以上のように彼はハリウッドの映画史に残るような作品に出演しているわけだが、ある有名な映画評論家が映画を志す若い人たちと話した時にモンゴメリー・クリフトの話をしたら「それは何処のクリフ(最近話題になった中国映画「レッド・クリフ」のことだろう)ですか?」と訊いてきたと言う。 少しハリウッド映画史を勉強した人ならすぐ分かるはずなのに少しも映画史を勉強していない、と言っていた。 それにしてもモンゴメリー・クリフトも知らない人たちが映画を作る時代なんだというのは大変な驚きだが、もうそういう時代なんだなとも思う。 知らなくたって映画は作れるし、だいたい観る人たちがモンゴメリー・クリフトを知らない人たちなんだろうからしょうがないんだろうなと思う。 1950 年から 1960 年代にかけて彼の映画をたっぷり観てきた私たちの世代にとっては彼を忘れられない存在だし、彼の映画なくして我が青春は語れない。 4 .デビュー作はジョン・ウェインとの殴り合いの西部劇「赤い河」 彼のデビュー作品はハワード・ホークス監督の「赤い河」だ。 なんとジョン・ウェインと共演している。 これが格好良かった!実はこの作品を観る前に、彼の後の出演映画「陽のあたる場所」を観てしまってそのイメージが固定してしまったので、「赤い河」を観たときは驚いた!えっ、彼ってこんな役も出来るんだ、と。 こんな逞しいカウボーイ役もやるんだ。 特に気に入ったのはラストでジョン・ウェインと殴り合うシーン。 互角に渡り合っていた。 頼もしかった! 5.もしかしたら彼は「シェーン」をやったかもしれない? その後、彼はこのような役をやらなかったがこんな話を聞いたことがある。 あの有名になったジョージ・スティーブンス監督の西部劇「シェーン」は、当初、モンゴメリー・クリフト、キャサリン・ヘップバーン、ウィリアム・ホールデンで企画されていたが、結局、最終的にはアラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリンに落ち着いたという。 前のキャストで作られていたらどんな「シェーン」になっていただろう。 もし、アラン・ラッドの役をモンゴメリー・クリフトが演じていたらどんなシェーンになっていただろう。 想像するだけでも楽しい。 6.私のモンゴメリー・クリフトの代表作2本 彼はフレッド・ジンネマン監督の映画2本に出演している。 それは「山河遥かなり」と「地上より永遠に」だ。 「山河遥かなり」は第二次大戦直後にドイツに進駐したアメリカ軍のGI役で、もう一つの「地上より永遠に」は日本の真珠湾攻撃直前のハワイのアメリカ軍の内部をえぐった異色作品で彼は他から回されてきた上役の言うことを聞かないボクシングは強いが優しくて気弱な兵士の役。 同僚で親友役のフランク・シナトラが殺されたので彼の敵をとって軍を脱走するところを射殺されてしまう。 シナトラはこの役でアカデミー賞助演男優賞を取った。 モンゴメリー・クリフトのこんな役が持ち味だと思うし、彼の魅力だし私が彼のファンになる由縁だ。 私にとって彼の代表作は、「アメリカの悲劇」と「地上より永遠に」だ。 いやこの2作品が私の青春期に一番影響を与えられたし印象的だった。 いまだに彼のことを思い出すとこの2本がまず瞼に思い浮かぶ。 7.エリザベス・テイラーとの共演 一人のスターが同じ共演者と何本もの映画に出演することはそうあることではない。 ところがモンゴメリー・クリフトはエリザベス・テイラーと3本の映画に共演している。 実は共演ということになるとエリザベス・テイラーにはもっと凄い共演者がいる。 それはリチャード・バートンだ。 なんと5本の映画で共演している。 挙げると、まず「クレオパトラ」そして「予期せぬ出来事」、「いそしぎ」、「ヴァージニア・ウルフなんか怖くない」、「じゃま馬ならし」ということになるが、これは凄い。 この二人は結婚する前からスキャンダルでメディアを騒がせ、結婚、離婚を繰り返している。 それでもなお且つ多くの映画に共演しているのは余程気が合ったのだろう。 ではモンゴメリー・クリフトがエリザベス・テイラーと共演した映画は何かと言うと、それは「アメリカの悲劇」と「愛情の花咲く樹」と「去年の夏突然に」だ。 彼がリズと共演したのはお互いがまだ若く、デビューしたての頃だ。 リズの初々しくて可憐で綺麗でひたむきさは観るものを感動させたし、そしてその相手役だったモンゴメリ・クリフトはその優しく哀しげで孤独な姿はリズも心惹かれただろうし、この二人を観る若い観客たちはその二人に魅了され、二人の成り行きに心ときめかせた。 今も思いだす。 あの「アメリカの悲劇」のラストで電気椅子での死刑が決まったモンゴメリー・クリフトを刑務所を訪ね鉄格子をはさんで言った台詞がいまだに忘れられない。 それは一言「私たちは別れるために逢ったのね」と・・・。 8.リチャード・バートンとの違い 先にも述べたように、リズはバートンとは5本の映画に共演したが、クリフトとは3本の映画で共演した。 バートンとの共演は、どちらかというと成熟した男と女の愛であり、それは憎しみやいがみ合いと裏表であり、それらを二人の役者によって演じられ、観る側がそれを堪能する。 つまり、人生の酸いも甘いも分かった人間として演じ、観ている。 しかし若かりし頃のクリフトとの共演では、惹かれるが不安と焦りと嫉妬とが入り混じった複雑な愛に翻弄される。 それは正に若さの象徴だ。 人は誰でもここを通る。 私もそこを通った。 そんな時にめぐり合ったのがモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーの映画だった。 銀幕の上といえ、そこで演じられたモンゴメリー・クリフトにどれだけ感情移入して心を高ぶらせたか。 私にとってこちらの愛の方がよしんば成就しなくとも大切だった。 9.彼はホモだった? 若い時に共演した二人は当然仲良くなる。 しかもわずかな年数の内に3本もの映画で恋人役を演じるわけだから映画を離れたってなるべくようになるだろうと思うのは当然だが、そうはならかった。 なぜなら彼はホモだった!親しくなっても友人にしかなれたかった。 これを悲劇と言うべきか喜ぶべきかは分からない。 彼女のその後の結婚、離婚を繰り返す人生をみていると友人でいた方が付き合いが長続きしただろうし良かったのだろうと思う。 10 .彼の死 クリフトは「愛情の花咲く樹」の制作中に交通事故に会い九死に一生を得たが顔面が破壊されたが手術により役者復帰を果たし、その後も何本かの映画に出演した。 しかし彼はハリウッドではその世界の人たちとは一切つき合わなかったというし、パーティーなどにも一切出なかったと言う。 かなり奇人変人の扱いをされていたともいう。 そして最後は、ニューヨークのマンションで一人寂しく心臓発作で亡くなった、しかも全裸だったという。 このニュースを新聞紙上で知った時、なんとも言われぬ寂しさを感じたと同時に自分の心にあったあの青春はもはや終わったなと思った。 11 .最後に あの精神的にも物質的にも貧しかった私の青春時代に観たモンゴメリー・クリフトの「陽のあたる場所」はずうっと心の片隅にあった。 その後、結婚もし家庭も持ち心も落ち着いた頃、たまたまテレビで「陽あたる場所」を見る機会があった。 映画始まり、あの懐かしいシーンが出てきたが、あの映画持つなんともいえぬ暗くさびしい雰囲気に耐え切れず、思わずスイッチを切ってしまった。 これは何だったのだろうかとその後しばらく考えていたが、今思うともう「陽のあたる場所」を始めて観たあの時代に自分の心を戻したくなかっただろうと思った。 これからは心を入れ替えて、ひとつの名作映画として「陽あたる場所」を観ていくことを決めた。 June 2020 profile• selected entries• 198• 367• 971• 243• 350• 128• 163 archives• 104• 112• 171• 102• 2 recent comment• search this site. others• recommend.

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モンゴメリー・クリフトの甥が描いた本人の生き様が浮かびあがるドキュメンタリー映画「Making Montgomery Clift」|@DIME アットダイム

モンゴメリー クリフト

JUGEMテーマ: 1.彼はどんな映画に出演したか 私の映画研究「三大女優について」でエリザベス・テイラーのことを思い出していろいろ書いているうちに彼女の相手役をしたモンゴメリー・クリフトのことを思い出した。 彼の虚ろげで物寂しげな表情はいまだに忘れられない。 彼は結構、名作や傑作といわれる映画に出ている。 彼が出演した映画を上げて見ると次のようになる。 ただし製作年は多少前後するかもしれない。 まず最初は何と言ってもジョージ・スティーブンス監督の「陽のあたる場所」( 51 年)だ。 次いでフレッド・ジンネマン監督の「山河遥かなり」( 48 年)と「地上より永遠に」( 53 年)、ハワード・ホークス監督の「赤い河」( 48 年)、エドワード・ドミトリク監督の「愛情の花咲く樹」( 57 年)と「若き獅子たち」( 58 年)、アルフレッド・ヒッチコック監督の「私は告白する」( 53 年)、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の「去年の夏 突然に」( 59 年)、ジョン・ヒューストン監督の「荒馬と女」( 61 年)、スタンリー・クレーマー監督の「ニュールンベルグ裁判」( 61 年)がある。 こうやってみてくると名監督の作品に結構出演している。 それだけ彼は魅力のあるスターだったのだろう。 2.彼の経歴 モンゴメリー・クリフト ( Montgomery Clift, - )は、出身の俳優。 13歳で で初舞台を踏み、以後10年間は舞台で経験を積み、多くの作品で主演を演じて高い評価を得た。 ハリウッドからの誘いを断り続けていた彼だが、1948年、 主演の『 』で映画デビュー。 同年の『 』で にノミネート。 その後『 』、『 』でもノミネートされ、二枚目俳優として活躍する。 映画スタジオとの長期契約を結ばず、大作や話題作への出演も断ることが多かった。 『 』、『』、『』、『』などは彼が断った作品の一部である。 1950年頃からアレルギーと大腸炎に悩まされるようになり、その結果アルコールとドラッグの問題を抱えるようになる。 更に1956年に交通事故に遭い顔面を負傷、整形手術をするも顔の筋肉の一部が動かなくなってしまい、以後更に健康上の問題を抱えるようになる。 1959年には の戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年には 、 主演の『 』に出演。 1961年の『 』では にノミネートされ、その後の活躍も期待されたが、1966年に で死去した。 現在では であったことが知られている。 3. 驚嘆の「何処のクリフなの? 」という言葉 以上のように彼はハリウッドの映画史に残るような作品に出演しているわけだが、ある有名な映画評論家が映画を志す若い人たちと話した時にモンゴメリー・クリフトの話をしたら「それは何処のクリフ(最近話題になった中国映画「レッド・クリフ」のことだろう)ですか?」と訊いてきたと言う。 少しハリウッド映画史を勉強した人ならすぐ分かるはずなのに少しも映画史を勉強していない、と言っていた。 それにしてもモンゴメリー・クリフトも知らない人たちが映画を作る時代なんだというのは大変な驚きだが、もうそういう時代なんだなとも思う。 知らなくたって映画は作れるし、だいたい観る人たちがモンゴメリー・クリフトを知らない人たちなんだろうからしょうがないんだろうなと思う。 1950 年から 1960 年代にかけて彼の映画をたっぷり観てきた私たちの世代にとっては彼を忘れられない存在だし、彼の映画なくして我が青春は語れない。 4 .デビュー作はジョン・ウェインとの殴り合いの西部劇「赤い河」 彼のデビュー作品はハワード・ホークス監督の「赤い河」だ。 なんとジョン・ウェインと共演している。 これが格好良かった!実はこの作品を観る前に、彼の後の出演映画「陽のあたる場所」を観てしまってそのイメージが固定してしまったので、「赤い河」を観たときは驚いた!えっ、彼ってこんな役も出来るんだ、と。 こんな逞しいカウボーイ役もやるんだ。 特に気に入ったのはラストでジョン・ウェインと殴り合うシーン。 互角に渡り合っていた。 頼もしかった! 5.もしかしたら彼は「シェーン」をやったかもしれない? その後、彼はこのような役をやらなかったがこんな話を聞いたことがある。 あの有名になったジョージ・スティーブンス監督の西部劇「シェーン」は、当初、モンゴメリー・クリフト、キャサリン・ヘップバーン、ウィリアム・ホールデンで企画されていたが、結局、最終的にはアラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリンに落ち着いたという。 前のキャストで作られていたらどんな「シェーン」になっていただろう。 もし、アラン・ラッドの役をモンゴメリー・クリフトが演じていたらどんなシェーンになっていただろう。 想像するだけでも楽しい。 6.私のモンゴメリー・クリフトの代表作2本 彼はフレッド・ジンネマン監督の映画2本に出演している。 それは「山河遥かなり」と「地上より永遠に」だ。 「山河遥かなり」は第二次大戦直後にドイツに進駐したアメリカ軍のGI役で、もう一つの「地上より永遠に」は日本の真珠湾攻撃直前のハワイのアメリカ軍の内部をえぐった異色作品で彼は他から回されてきた上役の言うことを聞かないボクシングは強いが優しくて気弱な兵士の役。 同僚で親友役のフランク・シナトラが殺されたので彼の敵をとって軍を脱走するところを射殺されてしまう。 シナトラはこの役でアカデミー賞助演男優賞を取った。 モンゴメリー・クリフトのこんな役が持ち味だと思うし、彼の魅力だし私が彼のファンになる由縁だ。 私にとって彼の代表作は、「アメリカの悲劇」と「地上より永遠に」だ。 いやこの2作品が私の青春期に一番影響を与えられたし印象的だった。 いまだに彼のことを思い出すとこの2本がまず瞼に思い浮かぶ。 7.エリザベス・テイラーとの共演 一人のスターが同じ共演者と何本もの映画に出演することはそうあることではない。 ところがモンゴメリー・クリフトはエリザベス・テイラーと3本の映画に共演している。 実は共演ということになるとエリザベス・テイラーにはもっと凄い共演者がいる。 それはリチャード・バートンだ。 なんと5本の映画で共演している。 挙げると、まず「クレオパトラ」そして「予期せぬ出来事」、「いそしぎ」、「ヴァージニア・ウルフなんか怖くない」、「じゃま馬ならし」ということになるが、これは凄い。 この二人は結婚する前からスキャンダルでメディアを騒がせ、結婚、離婚を繰り返している。 それでもなお且つ多くの映画に共演しているのは余程気が合ったのだろう。 ではモンゴメリー・クリフトがエリザベス・テイラーと共演した映画は何かと言うと、それは「アメリカの悲劇」と「愛情の花咲く樹」と「去年の夏突然に」だ。 彼がリズと共演したのはお互いがまだ若く、デビューしたての頃だ。 リズの初々しくて可憐で綺麗でひたむきさは観るものを感動させたし、そしてその相手役だったモンゴメリ・クリフトはその優しく哀しげで孤独な姿はリズも心惹かれただろうし、この二人を観る若い観客たちはその二人に魅了され、二人の成り行きに心ときめかせた。 今も思いだす。 あの「アメリカの悲劇」のラストで電気椅子での死刑が決まったモンゴメリー・クリフトを刑務所を訪ね鉄格子をはさんで言った台詞がいまだに忘れられない。 それは一言「私たちは別れるために逢ったのね」と・・・。 8.リチャード・バートンとの違い 先にも述べたように、リズはバートンとは5本の映画に共演したが、クリフトとは3本の映画で共演した。 バートンとの共演は、どちらかというと成熟した男と女の愛であり、それは憎しみやいがみ合いと裏表であり、それらを二人の役者によって演じられ、観る側がそれを堪能する。 つまり、人生の酸いも甘いも分かった人間として演じ、観ている。 しかし若かりし頃のクリフトとの共演では、惹かれるが不安と焦りと嫉妬とが入り混じった複雑な愛に翻弄される。 それは正に若さの象徴だ。 人は誰でもここを通る。 私もそこを通った。 そんな時にめぐり合ったのがモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーの映画だった。 銀幕の上といえ、そこで演じられたモンゴメリー・クリフトにどれだけ感情移入して心を高ぶらせたか。 私にとってこちらの愛の方がよしんば成就しなくとも大切だった。 9.彼はホモだった? 若い時に共演した二人は当然仲良くなる。 しかもわずかな年数の内に3本もの映画で恋人役を演じるわけだから映画を離れたってなるべくようになるだろうと思うのは当然だが、そうはならかった。 なぜなら彼はホモだった!親しくなっても友人にしかなれたかった。 これを悲劇と言うべきか喜ぶべきかは分からない。 彼女のその後の結婚、離婚を繰り返す人生をみていると友人でいた方が付き合いが長続きしただろうし良かったのだろうと思う。 10 .彼の死 クリフトは「愛情の花咲く樹」の制作中に交通事故に会い九死に一生を得たが顔面が破壊されたが手術により役者復帰を果たし、その後も何本かの映画に出演した。 しかし彼はハリウッドではその世界の人たちとは一切つき合わなかったというし、パーティーなどにも一切出なかったと言う。 かなり奇人変人の扱いをされていたともいう。 そして最後は、ニューヨークのマンションで一人寂しく心臓発作で亡くなった、しかも全裸だったという。 このニュースを新聞紙上で知った時、なんとも言われぬ寂しさを感じたと同時に自分の心にあったあの青春はもはや終わったなと思った。 11 .最後に あの精神的にも物質的にも貧しかった私の青春時代に観たモンゴメリー・クリフトの「陽のあたる場所」はずうっと心の片隅にあった。 その後、結婚もし家庭も持ち心も落ち着いた頃、たまたまテレビで「陽あたる場所」を見る機会があった。 映画始まり、あの懐かしいシーンが出てきたが、あの映画持つなんともいえぬ暗くさびしい雰囲気に耐え切れず、思わずスイッチを切ってしまった。 これは何だったのだろうかとその後しばらく考えていたが、今思うともう「陽のあたる場所」を始めて観たあの時代に自分の心を戻したくなかっただろうと思った。 これからは心を入れ替えて、ひとつの名作映画として「陽あたる場所」を観ていくことを決めた。 June 2020 profile• selected entries• 198• 367• 971• 243• 350• 128• 163 archives• 104• 112• 171• 102• 2 recent comment• search this site. others• recommend.

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男も女も虜になったイケメン俳優、モンゴメリー・クリフトの時代

モンゴメリー クリフト

JUGEMテーマ: 1.彼はどんな映画に出演したか 私の映画研究「三大女優について」でエリザベス・テイラーのことを思い出していろいろ書いているうちに彼女の相手役をしたモンゴメリー・クリフトのことを思い出した。 彼の虚ろげで物寂しげな表情はいまだに忘れられない。 彼は結構、名作や傑作といわれる映画に出ている。 彼が出演した映画を上げて見ると次のようになる。 ただし製作年は多少前後するかもしれない。 まず最初は何と言ってもジョージ・スティーブンス監督の「陽のあたる場所」( 51 年)だ。 次いでフレッド・ジンネマン監督の「山河遥かなり」( 48 年)と「地上より永遠に」( 53 年)、ハワード・ホークス監督の「赤い河」( 48 年)、エドワード・ドミトリク監督の「愛情の花咲く樹」( 57 年)と「若き獅子たち」( 58 年)、アルフレッド・ヒッチコック監督の「私は告白する」( 53 年)、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の「去年の夏 突然に」( 59 年)、ジョン・ヒューストン監督の「荒馬と女」( 61 年)、スタンリー・クレーマー監督の「ニュールンベルグ裁判」( 61 年)がある。 こうやってみてくると名監督の作品に結構出演している。 それだけ彼は魅力のあるスターだったのだろう。 2.彼の経歴 モンゴメリー・クリフト ( Montgomery Clift, - )は、出身の俳優。 13歳で で初舞台を踏み、以後10年間は舞台で経験を積み、多くの作品で主演を演じて高い評価を得た。 ハリウッドからの誘いを断り続けていた彼だが、1948年、 主演の『 』で映画デビュー。 同年の『 』で にノミネート。 その後『 』、『 』でもノミネートされ、二枚目俳優として活躍する。 映画スタジオとの長期契約を結ばず、大作や話題作への出演も断ることが多かった。 『 』、『』、『』、『』などは彼が断った作品の一部である。 1950年頃からアレルギーと大腸炎に悩まされるようになり、その結果アルコールとドラッグの問題を抱えるようになる。 更に1956年に交通事故に遭い顔面を負傷、整形手術をするも顔の筋肉の一部が動かなくなってしまい、以後更に健康上の問題を抱えるようになる。 1959年には の戯曲の映画化『去年の夏 突然に』、1961年には 、 主演の『 』に出演。 1961年の『 』では にノミネートされ、その後の活躍も期待されたが、1966年に で死去した。 現在では であったことが知られている。 3. 驚嘆の「何処のクリフなの? 」という言葉 以上のように彼はハリウッドの映画史に残るような作品に出演しているわけだが、ある有名な映画評論家が映画を志す若い人たちと話した時にモンゴメリー・クリフトの話をしたら「それは何処のクリフ(最近話題になった中国映画「レッド・クリフ」のことだろう)ですか?」と訊いてきたと言う。 少しハリウッド映画史を勉強した人ならすぐ分かるはずなのに少しも映画史を勉強していない、と言っていた。 それにしてもモンゴメリー・クリフトも知らない人たちが映画を作る時代なんだというのは大変な驚きだが、もうそういう時代なんだなとも思う。 知らなくたって映画は作れるし、だいたい観る人たちがモンゴメリー・クリフトを知らない人たちなんだろうからしょうがないんだろうなと思う。 1950 年から 1960 年代にかけて彼の映画をたっぷり観てきた私たちの世代にとっては彼を忘れられない存在だし、彼の映画なくして我が青春は語れない。 4 .デビュー作はジョン・ウェインとの殴り合いの西部劇「赤い河」 彼のデビュー作品はハワード・ホークス監督の「赤い河」だ。 なんとジョン・ウェインと共演している。 これが格好良かった!実はこの作品を観る前に、彼の後の出演映画「陽のあたる場所」を観てしまってそのイメージが固定してしまったので、「赤い河」を観たときは驚いた!えっ、彼ってこんな役も出来るんだ、と。 こんな逞しいカウボーイ役もやるんだ。 特に気に入ったのはラストでジョン・ウェインと殴り合うシーン。 互角に渡り合っていた。 頼もしかった! 5.もしかしたら彼は「シェーン」をやったかもしれない? その後、彼はこのような役をやらなかったがこんな話を聞いたことがある。 あの有名になったジョージ・スティーブンス監督の西部劇「シェーン」は、当初、モンゴメリー・クリフト、キャサリン・ヘップバーン、ウィリアム・ホールデンで企画されていたが、結局、最終的にはアラン・ラッド、ジーン・アーサー、ヴァン・ヘフリンに落ち着いたという。 前のキャストで作られていたらどんな「シェーン」になっていただろう。 もし、アラン・ラッドの役をモンゴメリー・クリフトが演じていたらどんなシェーンになっていただろう。 想像するだけでも楽しい。 6.私のモンゴメリー・クリフトの代表作2本 彼はフレッド・ジンネマン監督の映画2本に出演している。 それは「山河遥かなり」と「地上より永遠に」だ。 「山河遥かなり」は第二次大戦直後にドイツに進駐したアメリカ軍のGI役で、もう一つの「地上より永遠に」は日本の真珠湾攻撃直前のハワイのアメリカ軍の内部をえぐった異色作品で彼は他から回されてきた上役の言うことを聞かないボクシングは強いが優しくて気弱な兵士の役。 同僚で親友役のフランク・シナトラが殺されたので彼の敵をとって軍を脱走するところを射殺されてしまう。 シナトラはこの役でアカデミー賞助演男優賞を取った。 モンゴメリー・クリフトのこんな役が持ち味だと思うし、彼の魅力だし私が彼のファンになる由縁だ。 私にとって彼の代表作は、「アメリカの悲劇」と「地上より永遠に」だ。 いやこの2作品が私の青春期に一番影響を与えられたし印象的だった。 いまだに彼のことを思い出すとこの2本がまず瞼に思い浮かぶ。 7.エリザベス・テイラーとの共演 一人のスターが同じ共演者と何本もの映画に出演することはそうあることではない。 ところがモンゴメリー・クリフトはエリザベス・テイラーと3本の映画に共演している。 実は共演ということになるとエリザベス・テイラーにはもっと凄い共演者がいる。 それはリチャード・バートンだ。 なんと5本の映画で共演している。 挙げると、まず「クレオパトラ」そして「予期せぬ出来事」、「いそしぎ」、「ヴァージニア・ウルフなんか怖くない」、「じゃま馬ならし」ということになるが、これは凄い。 この二人は結婚する前からスキャンダルでメディアを騒がせ、結婚、離婚を繰り返している。 それでもなお且つ多くの映画に共演しているのは余程気が合ったのだろう。 ではモンゴメリー・クリフトがエリザベス・テイラーと共演した映画は何かと言うと、それは「アメリカの悲劇」と「愛情の花咲く樹」と「去年の夏突然に」だ。 彼がリズと共演したのはお互いがまだ若く、デビューしたての頃だ。 リズの初々しくて可憐で綺麗でひたむきさは観るものを感動させたし、そしてその相手役だったモンゴメリ・クリフトはその優しく哀しげで孤独な姿はリズも心惹かれただろうし、この二人を観る若い観客たちはその二人に魅了され、二人の成り行きに心ときめかせた。 今も思いだす。 あの「アメリカの悲劇」のラストで電気椅子での死刑が決まったモンゴメリー・クリフトを刑務所を訪ね鉄格子をはさんで言った台詞がいまだに忘れられない。 それは一言「私たちは別れるために逢ったのね」と・・・。 8.リチャード・バートンとの違い 先にも述べたように、リズはバートンとは5本の映画に共演したが、クリフトとは3本の映画で共演した。 バートンとの共演は、どちらかというと成熟した男と女の愛であり、それは憎しみやいがみ合いと裏表であり、それらを二人の役者によって演じられ、観る側がそれを堪能する。 つまり、人生の酸いも甘いも分かった人間として演じ、観ている。 しかし若かりし頃のクリフトとの共演では、惹かれるが不安と焦りと嫉妬とが入り混じった複雑な愛に翻弄される。 それは正に若さの象徴だ。 人は誰でもここを通る。 私もそこを通った。 そんな時にめぐり合ったのがモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーの映画だった。 銀幕の上といえ、そこで演じられたモンゴメリー・クリフトにどれだけ感情移入して心を高ぶらせたか。 私にとってこちらの愛の方がよしんば成就しなくとも大切だった。 9.彼はホモだった? 若い時に共演した二人は当然仲良くなる。 しかもわずかな年数の内に3本もの映画で恋人役を演じるわけだから映画を離れたってなるべくようになるだろうと思うのは当然だが、そうはならかった。 なぜなら彼はホモだった!親しくなっても友人にしかなれたかった。 これを悲劇と言うべきか喜ぶべきかは分からない。 彼女のその後の結婚、離婚を繰り返す人生をみていると友人でいた方が付き合いが長続きしただろうし良かったのだろうと思う。 10 .彼の死 クリフトは「愛情の花咲く樹」の制作中に交通事故に会い九死に一生を得たが顔面が破壊されたが手術により役者復帰を果たし、その後も何本かの映画に出演した。 しかし彼はハリウッドではその世界の人たちとは一切つき合わなかったというし、パーティーなどにも一切出なかったと言う。 かなり奇人変人の扱いをされていたともいう。 そして最後は、ニューヨークのマンションで一人寂しく心臓発作で亡くなった、しかも全裸だったという。 このニュースを新聞紙上で知った時、なんとも言われぬ寂しさを感じたと同時に自分の心にあったあの青春はもはや終わったなと思った。 11 .最後に あの精神的にも物質的にも貧しかった私の青春時代に観たモンゴメリー・クリフトの「陽のあたる場所」はずうっと心の片隅にあった。 その後、結婚もし家庭も持ち心も落ち着いた頃、たまたまテレビで「陽あたる場所」を見る機会があった。 映画始まり、あの懐かしいシーンが出てきたが、あの映画持つなんともいえぬ暗くさびしい雰囲気に耐え切れず、思わずスイッチを切ってしまった。 これは何だったのだろうかとその後しばらく考えていたが、今思うともう「陽のあたる場所」を始めて観たあの時代に自分の心を戻したくなかっただろうと思った。 これからは心を入れ替えて、ひとつの名作映画として「陽あたる場所」を観ていくことを決めた。 June 2020 profile• selected entries• 198• 367• 971• 243• 350• 128• 163 archives• 104• 112• 171• 102• 2 recent comment• search this site. others• recommend.

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