ロシア 飢饉。 ロシア内戦

人類の歴史を変えた火山大噴火

ロシア 飢饉

ホロドモールとはウクライナでおきた大飢饉のことを言います。 ソビエト連邦(現ロシア)にとって、ウクライナの小麦の輸出はお金を稼ぐために重要なモノでした。 なので当時の ソビエトがウクライナから徹底的に小麦を搾取、市民が食べるパンさえも奪ったことで、推定で400~1400万人以上が死亡したと言われます。 ホロドモールは1932~33年に発生、ソ連が計画的におこしたと議論され、2006年にウクライナ議会がジェノサイド(大量虐殺)であると認定してます。 ジェノサイドと言えば、ナチスドイツのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)が有名ですが、飢餓という点からみるとこちらもエグイですね… 人肉を食べるしかない 人間、食べるモノがないと生きていけませんから、鳥、犬、猫などを捕まえて食べたり、しまいにはドングリ、雑草、ミミズなども食べるようになります。 それでも食べるようになったウクライナ人は究極の選択に迫られます。 死体や赤ん坊を食べるか? このまま死ぬか? 「食人なんてできない」と餓死していった人もいれば、仕方なく家族の人肉を食べて飢えをしのいだ人もいるでしょう。 逃げることはできなかったのか? 日本と違ってウクライナは島国ではないので、「他国に難民として逃げれなかったのか?」と疑問に思うかもしれません。 しかし 村を軍隊で包囲されて、飢えた状態で逃げ出せないようにされていたので、人肉を食べて飢えをしのぐしか手段がなかったのです。 逃げ出せないような仕組みを作ると言う意味では、ナチスのホロコーストと似てるように感じますね。 日本で同じようなことが起きたらとおもうとゾッとします。 「飢餓で苦しむくらいなら…」と首つり自殺をする人も多かったようで、かわいそうな子供を苦痛から解放するために殺してしまう母親もいたようです。 そしてその子供をたべる食人が生まれるわけです。 旧ソビエト連邦(ロシア)はホロドモールの事実を長年認めようとしませんでしたが、国際社会での非難を考えると隠蔽したいと思うのは当然ですね。 政治危機 ウクライナ情勢がニュースで取りあげられ、ロシアとの関係が問題になっています。 クリミア半島がうんぬんみたいな感じで。 私自身、日本から離れた国なので、ウクライナ情勢の問題はよく理解していませんでしたが、 過去のホロドモールを考えると、ロシアと仲良くできないのは当然と言えます。 日本でも中国、韓国などと歴史認識のすれ違いから問題がおきてますが、ホロドモール問題があったウクライナ、ロシア情勢は根が深そうですね。 食人をしたドイツ人 食人のことをカニバリズムと呼び、 「人肉ってどんな味なんだろう?」とギモンに思う方もいるかもしれません。 ドイツの殺人犯アルミン・マイヴェスは刑務所内のインタビューで、 人肉の味は豚のようで少し苦味があるが、とっても美味しかったと言ってます。 牛や豚と同じで、肉の部位によって味が変わると思われますが、日本版ホロドモールでもないかぎりは食べることはないですし、食糧危機で餓死するのはゴメンなので、第三次世界大戦がおきないことを祈るばかりです。 こちらの記事もよく読まれてます•

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疫病と蝗害…聖書的な災いが現実に:狂気的な数千億のイナゴの大発生による被害範囲がアフリカ、中東から中国までの20カ国以上に拡大。国連は6月までにイナゴの数が「現在の500倍に膨れあがる可能性」を警告

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、、、等と並んでの最大のの一つ。 ウクライナ人たちは強制により、やを奪われたために400万人から1,450万人が死亡した。 また、600万人以上の。 この大飢饉が当時のソ連の最高指導者による計画的な飢餓ではないかとする議論が長年続いていた。 にウクライナ議会は、「ウクライナ人に対する」であると認定した。 また、米英などにおいても同様の見解が示されており、ソビエト連邦による犯罪行為であるとしている。 ホロドモールの主な地域は以下の通り• の、沿岸地域、南、北など この記事の内容の信頼性について。 確認のための文献やをご存じの方はご提示ください。 、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。 ウクライナではのの成立を経て、にはやとともにソビエト連邦を構成した。 ソビエト・ロシアにとって、ウクライナから収穫される小麦の輸出は貴重な外貨獲得手段であった。 飢餓が発生してもウクライナの小麦は徴発され、輸出に回され続けたため、それが更なる食糧不足を招くことになった()。 初め頃にはは自発的に行われていたが、次第に強制的なものになっていった。 ソ連のは、ウクライナ、ウクライナ人の知識人、集団化政策への反対者、そして共産党政権にとって脅威であると見なした者を容赦なく処罰した。 豊かな土壌に恵まれたウクライナでも、課せられた収穫高の達成は困難で、更に当局による厳しい食料徴発に耐えられず、不満を表明する動きが現われた。 また、農村部は民族主義者の溜まり場として目をつけられていた。 スタニッツァ・ボルタフスカヤという人口4万人の村は、食料調達に応じる事が出来ず、村の住民が丸ごと追い立てられ、男性は建設へ、女性はウラルの地帯に送られ、離散を余儀なくされた。 集団化政策の強行は減産を招き、割高を提出すると農民達には食料が残らなかった。 更に、数々の条例が制定された。 農産物は全て人民に属するものとされ、パンの取引や調達不達成、落ち穂拾い、穂を刈ると「人民の財産を収奪した」という罪状で10年の刑を課せられた。 春には、や、といった飼料を「悪用」すると「10年はへ送られる」と言われた。 、国内パスポート制が導入され、農民達はさながらに村や集団農場に縛り付けられた。 ウクライナのは封鎖され、自由な出入りは許されず、首尾よく脱出してパンを持ち帰った農民達もその場でパンをされた。 都市から派遣された労働者や党メンバーから構成された団は空中パトロールで畑をし、農場にはのメンバーが見張りに送り込まれ、肉親をすれば子供にも食物や衣類やメダルが与えられた。 党の活動家達は家々を回り、食卓から焼いたを、鍋からまでも奪っていったと言われる。 食料を没収された農民達はで飢えをしのぎ、やや、やまで食べた。 遂に人々は病死したや人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死しており、赤ん坊を食べた事さえもあった。 通りには死体が転がり、所々に山積みされ、死臭が漂っていた。 取り締まりや死体処理作業のため都市から人が送り込まれたものの、逃げ帰る者も多かった。 子供を持つ親はを恐れて子供達を戸外へ出さなくなった。 形ばかりの診療にあたった達には、「飢え」という言葉を使う事が禁じられ、には婉曲的な表現が用いられた。 困り果てた農民達が村やに陳情に行っても「隠しているパンでも食べていろ」と言われるだけだった。 ソ連政府が飢餓の事実を認める事はウクライナ農民に譲歩することを意味したが、の成功をし、的承認を得ようとしていたソ連としては飢饉を認めるわけにはいかなかった。 国際政治の場での名誉失墜は避けねばならなかったのである。 当時ソ連に招かれていたや、記者の()等は、「模範的な運営が成されている農村」を見せられ、当局の望み通りの視察報告を行っただけであった。 一方、、、、等各国及び国際連盟は国際赤十字を通じて、ウクライナ飢饉に手を打つようソ連政府に要請をおこなったが、ソ連政府は頑として飢饉の存在を認めず、「存在しない飢饉への救済は不要」という一点張りだった。 ウクライナは想像を絶する飢餓に遭い、反ソ・反共感情が高まった。 そのため、のちにによりヒトラーのドイツ軍が侵攻した時は「解放軍」として喜んで歓迎し、大勢のウクライナ人が兵士に志願し共産党員を引き渡すなどドイツの支配に積極的に加担したほどであった。 しかし、の拡大とウクライナ人を含む系諸民族の排除を目指すナチス・ドイツもまた、ウクライナ人に過酷な政策を実施した。 結局、ソ連政府が一連の飢餓の事実を認めるのは、まで待たなければならなかった。 議論 [ ] ウクライナ大統領と共に慰霊碑を訪れた、ロシア大統領(2010年) 飢餓による餓死者の総数に関しては未だ議論が続いており、飢饉の犠牲者数についても学説によって250万から1450万人までの幅がある。 この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物をしたことにあった。 その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。 ウクライナの政権は、これをもってウクライナ人に対するであったと主張し、国際的な同調を募った。 一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずやにも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対するであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。 、ヴィクトル・ユシチェンコはホロドモールを否定した者を刑事的に処罰するための法案提出を促した。 刑は罰金最大1000ドル、懲役最大4年となる予定であった。 これと似た例にドイツのホロコースト、アルメニアのオスマン帝国でのアルメニア人虐殺を否定した場合の懲役刑に関する法律がある。 、ホロドモール発生75年を記念して、キエフにウクライナ飢饉犠牲者追悼記念館が開設。 2010年には国立化され、「 (: )」と改称された。 なおセヴァストポリは以降以降ロシアの下にある。 4月27日、ユシチェンコの後継で親露派である大統領は、「1930年代の大飢饉をウクライナ人に対するジェノサイドと見なすことはできない。 この大飢饉はソ連に含まれていた諸民族共通の悲劇であった [ ]」と述べ、事実上前政権の路線を転換した。 犠牲者数 [ ]• 150万人 [ — ]• 240万人 [ — ]• 400万人• 600万人• 1200万人• 1450万人 ホロドモールの承認 [ ] 国 [ ] アメリカ合衆国のウクライナ正教会聖ウラジミール大聖堂の敷地に立つホロドモール慰霊碑 ジェノサイドとして• :(国会)• :、(元老院)、(衆議院)• :(元老院)、(衆議院)• :(国会)• :(国会)• :(国会)• :(元老院)、(国会)• :(国会)• :(国会)• :(国会)• :(国会)• :(国会)• :(国会)• :(政府委員会)、(上院)、(下院)、(上院) 人道に対する罪として• :(元老院)、(元老院)、(衆議院)• :(国会)• :(国会)• :(国会)• :(国会)• :(国会)「ジェノサイド」ではないことを強調。 地域 [ ] 団体 [ ] ジェノサイドとして• バルト協会:• : 人道に対する罪として• :(議会)• :(65ヶ国)• :(193ヶ国) ホロドモールを扱った作品 [ ] 書籍 [ ]• 『』(作:)• 小説『』(作:)• コミックス『』(、作:) - 女性戦闘機パイロットである主人公(および敵国に寝返った幼馴染)の出自を描いた前日譚として作中に織り込まれている。 映像作品 [ ]• 映画『』• 映画『』 - 前述の小説『チャイルド44』映像化。 関連項目 [ ]• (、)• 脚注 [ ] []• ウクライナ語で「飢饉(ホロド)」で「苦死(モール)」させることを意する。 (英語) Shelton, Dinah. Encyclopedia of Genocide and Crimes Against Humanity. Macmillan Library Reference, 2004. 1059. , (ウクライナ語)• 2011年4月20日閲覧。 2010年11月29日時点のよりアーカイブ。 2010年11月27日閲覧。 (ウクライナ語)• (ウクライナ語) ウクライナ大統領の公式サイト。 ホロドモールの国際的承認。 2009年1月12日。 (英語) Shelton, Dinah. Encyclopedia of Genocide and Crimes Against Humanity. Macmillan Library Reference, 2004. 1059. (英語)• 2019閲覧。 "DaviesWheatcroft": R. Wheatcroft, "The Years of Hunger: Soviet Agriculture 1931-33", Palgrave 2004. Timothy Snyder, Bloodlands: Europe Between Hitler and Stalin, p. 53 he states that this figure "must be substantially low, since many deaths were not recorded. 2010閲覧。 , 2010. Rosefielde, Steven. "Excess Mortality in the Soviet Union: A Reconsideration of the Demographic Consequences of Forced Industrialization, 1929-1949. " Soviet Studies 35 July 1983 : 385-409• 「ジェノサイド」としての承認はスペイン社会労働党の反対によって退けられた。 参考文献 [ ]• 318-321. (英語) Shelton, Dinah. Encyclopedia of Genocide and Crimes Against Humanity. Macmillan Library Reference, 2004. 1059. (英語) Snyder, Timothy. 2010. Bloodlands: Europe Between Hitler and Stalin. London: The Bodley Head. 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 ウィキソースに の原文があります。 (ウクライナ語).

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人類の歴史を変えた火山大噴火

ロシア 飢饉

1600年 ワイナプチナ火山噴火(ペルー) ヨーロッパで大飢饉を引き起こした南米の大噴火 ワイナプチナ火山はペルー南部にある火山で、現地の言葉で「新しい火山」を意味します。 1600年2月19日に起こったワイナプチナ火山の噴火は、これまで南米で起こった噴火で最大のもので、少なくとも2週間は噴火が続き、最初の2日で噴出された大量の火山灰で12平方キロメートルは埋め尽くされました。 1600万〜3200万トンの二酸化硫黄が吹き出し、その一部は大気圏まで到達しオゾンを破壊すると同時に、火山灰は空一面に広がり太陽光を遮りました。 その結果、1600年〜1602年はヨーロッパで冬の気温が史上最低を記録し、北欧や東欧では飢餓が発生。 スウェーデンでは記録的な雪量に見舞われ、春には大洪水が起きて甚大な被害が出ました。 ロシアではこの寒さによって食料が不足し、当時の人口の3分の1に相当する200万人が死ぬ「ロシア大飢饉」が発生。 この混乱により皇帝の求心力は失われてロシアは弱体化し、偽皇帝が乱立し、ポーランド=リトアニア王国に国を占領される「動乱時代」に突入したのでした。 1902年 サンタ・マリア火山噴火(グアテマラ) 中米のコーヒー産業を壊滅させた大噴火 グアテマラにあるサンタ・マリア火山は標高3772メートルほどで富士山と同程度の山。 世界的にはさほど大きくない山ですが、1902年に起きた噴火は20世紀に起きた噴火の中で2番めに大きなものでした。 1902年10月24日の午後5時ごろから地震が激しくなり30分ほど轟音が続き灰が降り始め、7時頃には白熱が現れ始め、8時頃には巨大な黒い雲が空に上がり始めました。 噴火柱は28キロに達し、10立方キロメートル以上に灰を撒き散らし、一部は4000キロも離れたカリフォルニア州にすら達したと記録されています。 火山灰と地すべりにより約5000名が死亡し、その後衛生状態が悪化してマラリアが発生しさらに多くの犠牲者が出ました。 また、火山灰を受けてグアテマラ一帯のコーヒー産業は壊滅しました。 10世紀 白頭山噴火(朝鮮半島) Photo by 渤海王国崩壊と関係する説もある巨大噴火 白頭山は北朝鮮と中国の国境地帯にある火山で、朝鮮半島では伝説の王朝・檀君朝鮮の始祖檀君が生まれたのが白頭山であると言われており、神聖な山と見なされています。 ちなみに、北朝鮮では故金正日主席が生まれたのは白頭山であると信じられており、檀君の神話と関連付けて「金王朝」の神性と正当性をアピールしていたりします。 さて、その白頭山は10世紀に大噴火を起こしており、その火山灰は北海道や東北地方で今でも普通に見られるほどで、有史以来2番目に巨大なものだったと考えられています。 ところがこの噴火は規模の割にはあまり歴史書には残っておらず、どういうものだったか謎が多いそうです。 あまりにも巨大だったため、行政機能含む周辺の街や集落が全て消え去ってしまい、証言者や記録に残す人が誰もいなかったためと思われます。 現在の北朝鮮・中国東北部・ロシア極東にあった渤海王国は926年に遼によって滅ぼされているため、長年この白頭山噴火が原因だったのではないかとされてきました。 しかし最近の研究によると、噴火が起きたのは渤海王国の滅亡の後の可能性が高く、渤海の崩壊は別の要因によると考えられています。 紀元前1260年 ミノア噴火(ギリシャ) アトランティス伝説の元になったという説もある大噴火 サントリーニ・カルデラはギリシャ南部に浮かぶ巨大な海中カルデラ。 元々は全部が一つの島でしたが長い間の噴火で大部分が海中に没し、火山の外輪山に当たる部分がサントリーニ島、ティラシア島、アスプロニシ島として浮かび、カルデラの中心にネア・カメニ島とパレア・カメニ島が浮かんでいます。 過去少なくとも4回の噴火、18万年前、7万年前、2万年前、そして3600年前の噴火によってにこの形状が形成されたと考えられています。 紀元前1260年に発生した噴火は、高度に発達した東地中海の青銅器文明に破壊的な惨事をもたらし、ミノア文明より以前に栄えたキクラデス文明はこの噴火によって荒廃したと考えられています。 一説によると、アトランティスの繁栄と崩壊の物語は、サントリーニの噴火がその下敷きにあるとされています。 高度に発達したアトランティスの島は、激しい地震や洪水によって海の底に消えてしまったとされていますが、プラトンはサントリーニの噴火の記録や証言を元にしてこの物語をまとめた可能性があるというのです。 詳しく書き出すと大変なので、詳細は「」にてご覧ください(英語です)。 535年 イロパンゴ噴火(エルサルバドル) 世界中に干ばつや飢饉をもたらした噴火 中米エルサルバドルにあるイロパンゴ湖は、5〜6世紀に起こった大噴火によって出来たカルデラに水が溜まって出来たカルデラ湖です。 535年に起こった大噴火によって巻き上げられた二酸化硫黄と火山灰は、地球全体を寒冷化させるほど凄まじいものだったらしく、535年から536年にかけて世界各地で「寒冷による農業不振」や異常気象が記録されています。 例えば、ビザンチン帝国では「太陽が光なく輝く現象」が観測され、アイルランドでは「パンの不足」が起き、中国では「8月に雪がふり収穫が遅れた」、中東やヨーロッパでは「濃く乾燥した霧」が観測され、ペルーのモチェ文化では干ばつが発生しました。 研究によると、これはイロパンゴ火山の噴火の後、彗星や隕石の衝突があったらしく、複合的な要因で535年の「異常気象」が起こったようです。 PR 6. 1883年 クラカタウ大噴火(インドネシア) 世界各地で爆発音が確認された大噴火 インドネシアのジャワ島とスマトラ島の間にあるクラカタウは、いくつかの火山の島で成り立っており、元々は一つの大きな島でしたが何度も噴火を重ねてカルデラ部分は海に沈み、現在のような姿になっています。 1863年8月27日午前5時半に噴火が始まり、4時間半の間に4度の大爆発が発生。 最後に起こった午前10時の爆発の音は凄まじく、北西に約2100km離れたインドのアンダマン諸島や、東に3200km離れたパプアニューギニア、西に4800km離れたロドリゲス島でも「轟音が聞こえた」と記録が残っているほど。 その衝撃波は地球を数週し、ローマ、パリ、ベルリン、ニューヨークでも気圧の上昇が観測され、それぞれ3回から4回ほど観測されたそうです。 中には7回も観測された箇所もあったほど。 威力の凄まじさが伺い知れます。 この噴火によって発生した大津波で少なくとも3万5000人が死亡し、大気圏にまで巻き上げられた火山灰で地球の気温は数年間低下しました。 ・関連書籍 7. 1815年 タンボラ山大噴火(インドネシア) Photo by 全世界で「夏のない年」となった1815年の異常冷夏の原因 インドネシア・スンバワ島にあるタンボラ火山は、標高2851メートルと決して高くない山ですが、1815年の大噴火は世界中に影響を与えました。 歴史家のジョン・デクスター・ポストは1815年を「夏のない年」と呼びました。 その原因はタンボラ火山の噴火によって火山灰が大気圏に達し、日光を遮って地球全体の温度を低下させたためでした。 この時巻き上げられた二酸化硫黄は、最大で1億2000万トンと推量されています。 この時の異常冷夏は世界中で記録されています。 アメリカ・ニューハンプシャー州など5州で6月に下が観測される• アメリカ・ニューヨーク州で6月に雪が降り、農作物が壊滅• カナダ・ケベック近郊で6月に30センチの雪が降る• アイルランドでジャガイモが壊滅的な被害を受け飢饉が発生• ドイツでは食料価格が高騰し、19世紀で最悪の飢饉となり暴動・放火・略奪が発生する• ヨーロッパ南東部と地中海東部で発疹チフスが流行• ベンガル地方で季節外れの大雨が振りコレラ菌が蔓延• 清国では寒さのために稲作と牧畜が被害を受ける 噴火による直接的な死者は1万人とされていますが、噴火によって起こった冷夏により発生した飢饉によって、推定で7万人から12万人が死亡したとされています。 まとめ めったに起こらないとは言え、世界的規模で影響を与える噴火は、考えるだに恐ろしいものです。 局所的な被害をもたらすだけでなく、世界中に影響を与えるわけなので、お互い助け合うことすらままならない状態に陥る可能性もある。 戦争は人間の努力で防ぐことはできますが、火山の噴火は、もうどうしようもないので、非常食を切らさないなどの防災対策をとるくらいしか考えられません。 あるいは「起こらないように神さまに祈る」くらいでしょうか。

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