安田 菜津 紀 ジャーナリスト。 安田菜津紀 講演依頼 プロフィール|verizonbienvenido.dja.com(スピーカーズ)

「安田菜津紀と行く東北スタディツアー」レポート

安田 菜津 紀 ジャーナリスト

20 tweets 明日28日、司会を務めます。 映画の舞台は真冬の米オハイオ州の街、路上生活の方の凍死が相次ぐ中、「ルールだから」と暖かい図書館から人々を追い出す…?命よりも「ルール」が大切…?「公共」とは何か、日本の「今」とも向き合いながら考えます。 posted at 日独にルーツがある牧野アンドレさん。 小学校の時、同級生から「おいナチス」と名指しされ、「なんでドイツのハーフとして自分を生んだの?」という話を親にしてしまったことも。 それがヘイトとして固定化してしまう前に、子どもたちに何を伝えるべきだろう。 posted at 【告知】6月28日20時〜配信💥映画「パブリック 図書館の奇跡」から考える、いま日本の公共に求められることは?映画配給会社ロングライドとの共同企画!公共性や声をあげる力について考えます。 ただ、「友人がいる」ことは差別をしていいという免罪符ではありません。 Retweeted by retweeted at 大学院時代をイギリスでともに過ごしたアンドレ()についての記事。 生い立ちから現在の仕事までがよく分かるので、ぜひ読んでみてください! 日本でもドイツでも「他者」だった彼が今、難民と向き合って思うこと - 安田菜津紀|論座 - 朝日新聞社の言論サイト Retweeted by retweeted at 小池さん、関東大震災後、朝鮮半島にルーツを持つ方々が命を奪われたのは、「自然災害」ではありません。 警察などの公権力もデマに流されたことで虐殺が起きたことが指摘されています。 だからこそ公人が、繰り返さないための意思を示す必要があるのではないでしょうか。 posted at 取材協力、ありがとうー! posted at 尊敬する安田菜津紀さんに、僕のここまでの半生を書いていただきました。 「他者」というものがずっと僕の中のテーマであり、そこに行き着くまでの僕のルーツを丁寧に綴ってくれています。 この写真を見るたび、このヤジディの男の子のことを思い出す。 元気にしてるかな。 の声がなぜ今あがっているのか、考えていくヒントをくれるはず。 他のコミックの紹介も、ぜひご覧下さい。 posted at 日本でもドイツでも「他者」だった彼が今、難民と向き合って思うこと - 安田菜津紀|論座 - 朝日新聞社 Retweeted by retweeted at 連載『あなたのルーツを教えて下さい』、今回は イラク駐在職員の牧野アンドレさん。 ドイツでは「アジア人」、日本では「外国人」、常に「他者」として見られてきた牧野さんが、「難民」とくくられ、時には排斥されてしまう人々と出会い、何を感じてきたのか。 日本の漫画とは一味ちがう表現で描かれ、気軽に読むことのできる社会派海外コミック3冊を紹介しています。 ぜひご覧ください。 東大のキャンパスにある銅像は日本人と白人の男だけ。 景観に差別の力学が染みこんでいます。 日常的に見ている光景が「当たり前」となり、誰もおかしいと言わない」(本文より) posted at 外国人や様々なルーツを持つ人々に対するヘイトを繰り返している人物に対して、「嫌われるのを覚悟でよくぞ言ってくれた」という声が所々であがっているけれど、「嫌われるのを覚悟」、ではなく、過激な言葉で煽れば「一定の層に受ける」、だと思う。 それは「美談」とは真逆だよね。 Retweeted by retweeted at 小野たいすけさん、先ほど で、過去差別的なツイートをしてきたことを指摘された際に、「自分にも在日の友人がいる」とおっしゃいました。 ただ、「友人がいる」ことは差別をしていいという免罪符ではありません。 そ う語る「せやろがいおじさん」に話を聞きました。 そこに映る人々や光景から、皆さんは何を感じるでしょうか。 佐藤慧が綴ります。 Retweeted by retweeted at 『好き勝手やって、それで笑いとってて、でも陰で「うっ…」って傷ついてる人たちが大勢いたんですよね。 「うっ…」とさせ続けるんかい?それは違うでしょうと、向き合わんといけないよね、お笑い界が』 「せやろがいおじさん」こと榎森耕助さん インタビュー。 (Dialogue for People 安田菜津紀) Retweeted by retweeted at 外国人や様々なルーツを持つ人々に対するヘイトを繰り返している人物に対して、「嫌われるのを覚悟でよくぞ言ってくれた」という声が所々であがっているけれど、「嫌われるのを覚悟」、ではなく、過激な言葉で煽れば「一定の層に受ける」、だと思う。 それは「美談」とは真逆だよね。 私たち戦後生まれの世代に、戦争が起きたことの責任はないかもしれない。 けれどもなぜ沖縄が戦場となり、なぜ今、米軍基地が集中しているのか、その問いに向き合う責任はあるはず。 Retweeted by retweeted at 日経新聞で始まった短期連載「読書日記」。 第一回は是枝裕和さんの『歩くような速さで』の言葉を。 「殺して訪れる平和があるのなら新聞もテレビも存在意義を失う。 よろしければぜひご覧下さい。 posted at 🎬7月17日公開予定の映画「パブリック 図書館の奇跡」。 コロナ禍の中、今の時代を問う映画です。 図書館という、まさに公共性が問われる場を舞台に、わたしたちに色々なことを問いかけてくれます。 「公共とは何か?」「声をあげる意味とは?」この映画を通して皆さんと一緒に考えたいと思います。 Retweeted by retweeted at 琉球古典音楽の人間国宝、照喜名朝一さん。 沖縄戦では戦火の中、家族で避難壕を転々とした。 米軍の捕虜となった際、父親に三線一丁だけを持たされたそう。 持っていた荷物はそれだけ。 厳しい生活の中で、その音が心を慰めた、と。 また会いに行きたい。 わああ posted at ちょうど1年前の6月24日、 ナイジェリア人のサニーさんが 長崎の入管収容施設で餓死した。 サニーさんには家族がいて、仲間がいて、子供もいる。 誰かが死ななければいけない社会はおかしい。 移住連は基金を創設し、1人3万円の給付を行ているのですが、 申請者数が想定以上であったことから、目標額を2千万円から3千万円にひきあげて支援を継続しています。 申請者の方々の更なる寄付が必要です Retweeted by retweeted at 日経新聞で始まった短期連載「読書日記」。 第一回は是枝裕和さんの『歩くような速さで』の言葉を。 「殺して訪れる平和があるのなら新聞もテレビも存在意義を失う。 ジャーナリズムとは武力行使以外の方法を最後まで信じ、模索し、それに殉じる価値観のことだ」 posted at 27 tweets ひっそりと、そこに。 (2020. もう誰も暮らしていないのに、そこにあったはずの生活が不思議と思い浮かぶ。 思い浮かぶほど、胸が苦しくなる。 posted at 【本日UP】【A MESSAGE OF HOPE(連載:希望へ、伝言)】Vol. 安田菜津紀さん 前向きも無理にしては息切れしてしまいます。 呼びかけの前に不安を口にできる場が必要です。 しんどい/つらいをさらけ出すのは難しい。 私は「うん、うん」とまず受け止めるよう心がけています:趣意 温かい言の葉 Retweeted by retweeted at ひっそりと、そこに。 (2020. 私たち戦後生まれの世代に、戦争が起きたことの責任はないかもしれない。 けれどもなぜ沖縄が戦場となり、なぜ今、米軍基地が集中しているのか、その問いに向き合う責任はあるはず。 報道機関の閉鎖なども深刻。 トルコ発のメディア発信を受け止めるとき、こうした状況も考慮に入れる必要があるはず。 posted at 公開拒否 retweeted at xx:xx:xx ドラマ「愛の不時着」は韓国の財閥の娘と、北朝鮮の軍人とが恋に落ちる話。 心が潤うシーンがたくさん出てくるのでエンターテイメントとしてもオススメだけれど、登場人物に感情移入するほど、「どうして軍事境界線があるの?」「どうして自由に会えないの?」と、その理不尽さに目が向いていく。 Retweeted by retweeted at 70年前の6月25日、祖父母たちはどんな思いで引き裂かれていく朝鮮半島を見つめたのか。 私のルーツにも必ず、あの戦争が関わっている。 けれどもなぜ、父は自身の国籍を私たち子どもに隠していたのか。 そしてなぜ、兄に敬語を使わせ、なぜ認知をしていなかったのか。 Retweeted by retweeted at 6月25日、朝鮮戦争から70年。 この地はいまだ「戦後」を迎えられていない。 朝鮮半島出身の人々は、日本の植民地支配を経て、終戦後は特定の国籍を持たない「朝鮮人」として扱われた。 そして朝鮮半島は、南北二つの国に引き裂かれた。 それぞれの想いの一端が、この記事に。 Retweeted by retweeted at ドラマ「愛の不時着」は韓国の財閥の娘と、北朝鮮の軍人とが恋に落ちる話。 心が潤うシーンがたくさん出てくるのでエンターテイメントとしてもオススメだけれど、登場人物に感情移入するほど、「どうして軍事境界線があるの?」「どうして自由に会えないの?」と、その理不尽さに目が向いていく。 posted at 『愛の不時着』は面白かった。 それはそれでいい。 しかし、南北分断の悲劇を学んでほしい。 そして、離散家族の残酷さを知ってほしい。 この言葉を機に、祖母は日本国や日本人を恨んでいるのではなく、戦争そのものを恨んでいることに気づかされた。 この世から一刻も早く戦争がなくなりますように。 また、一刻も早く、肉親を隔てる線や壁がなくなりますように。 Retweeted by retweeted at 70年前の6月25日、祖父母たちはどんな思いで引き裂かれていく朝鮮半島を見つめたのか。 私のルーツにも必ず、あの戦争が関わっている。 けれどもなぜ、父は自身の国籍を私たち子どもに隠していたのか。 そしてなぜ、兄に敬語を使わせ、なぜ認知をしていなかったのか。 posted at 6月25日、朝鮮戦争から70年。 この地はいまだ「戦後」を迎えられていない。 朝鮮半島出身の人々は、日本の植民地支配を経て、終戦後は特定の国籍を持たない「朝鮮人」として扱われた。 そして朝鮮半島は、南北二つの国に引き裂かれた。 それぞれの想いの一端が、この記事に。 posted at 半島の分断は在日韓国人、朝鮮人の方々にも大きく影響しました。 在日韓国人であった父のルーツを調べる中で知った半島の歴史、父の苦労と兄への想い。 それを知ったときから自身の中で変化していった「過去」の見え方について、安田菜津紀 が綴っています。 朝鮮半島の歴史、在日コリアンの歴史... 「国籍とは何か」を巡る葛藤の軌跡。 Retweeted by retweeted at 1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。 70年という月日が経つ中、今も朝鮮半島は軍事境界線で二つに分たれ、法的には戦争状態にあります。 戦禍に翻弄されるのは罪もない市民であること、またこれらの出来事と私たちは決して無関係ではないことを改めて考える一日に。 Retweeted by retweeted at 今月初め、クルド系政党の国会議員2人が議員資格を剥奪され 市長も含めた68名のクルド系議員、市民活動家が刑務所に送られる。 「PKKと繋がっている」と言えば誰でも刑務所に送れるのが今のAKP支配のトルコ。 そしてそれを象徴するイスラム研究者。 Retweeted by retweeted at 難民をトルコに送還するEUとの2016年の「合意」は、トルコが安全だという「お墨付き」ではありません。 ザイド・フセイン国連人権高等弁務官は、欧州へ難民が逃れてくることを抑止するための「難民交換」合意は、「国際法と欧州の法に違反する」と批判しています。 posted at 「トルコでクルド人への迫害はもうない」と政府側の主張をうのみにするのは危うい。 クルド人をはじめとしたトルコ出身者の世界での難民認定率、2018年は約45%、カナダで90%近く、日本は0%。 日本政府が難民保護よりトルコとの友好関係を重視していることが指摘されている。 posted at 草をはむ音が聞こえますか?岩手県岩泉町の中洞牧場。 民主教育をしっかり受け継がなければなりません』 1944年8月、米軍の攻撃を受け沈没した「対馬丸」。 生き残った平良さんの言葉から考えなければならないこと。 Retweeted by retweeted at• 前のページ•

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安田菜津紀 [NAVIGATORS PROFILE] : J

安田 菜津 紀 ジャーナリスト

なぜだろう。 30代になってからふと、亡くなった家族のことを思い出すことが増えたように思う。 もしかするとそれは、当時の兄の年齢を、私が追い越してしまったからかもしれない。 兄が亡くなったのは、中学卒業を間近に控えた春だった。 「前を向いて歩きなよ。 過去は変わらないんだから」。 当時の友人たちが、私にそんな言葉をかけてくれたのを覚えている。 落ち込んでいる私を、何とか励まそうという精いっぱいの言葉だったと思う。 その気持ちには今でも大きな感謝を抱いている。 けれども「過去は変わらない」というその言葉が、なぜか心に引っかかり続けた。 私の兄は母親が違い、兄の母親は私が生まれる前に他界していた。 13歳年が離れた兄は、なぜかいつも父に対して「です、ます調」の敬語を使っていた。 「家族なのになんでいっつも敬語使ってるの?」不思議に思って幾度彼らに尋ねてみた。 父も兄も、ただ笑って私を見つめ、何も答えてはくれなかった。 次第にこれは聞いてはいけないことなのかもしれないと思うようになり、私はいつしか尋ねるのをやめた。 その一方で、丁寧な言葉を使い続ける兄の姿を見て、何だか父が兄を突き放しているように思えてきてしまった。 その後、私の母と父は離婚。 小学校3年生から、私と妹は父と離れ、母と暮らすことになる。 兄は既に社会に出て自立していたため、父とも兄とも会話する機会はぐっと減っていった。 兄が亡くなる一年前、中学二年生の時、父が亡くなり、戸籍を見る機会があった。 その時、私は初めて父が在日韓国人であったことを知った。 そして一緒に暮らしていた当時、父が兄を認知していなかったことも分かった。 父はなぜこうも兄に冷たい態度をとり続けてきたのだろうか。 父は兄を家族として見ていなかったのだろうか。 益々不信感が募り、「父は本当に子どもたちを愛していたのか?」という疑問さえ湧いてきた。 そんな「過去」を振り返るのは、苦痛でしかなかった。 募る一方だった疑問を晴らしたかったからだろう。 そこから私は「在日」と呼ばれる人々の歴史や文化、国籍について調べるようになった。 恥ずかしながらここで初めて、朝鮮半島と日本の間の歴史や、朝鮮半島にルーツを持つ人々が直面してきた困難を詳しく知ることになる。 私が高校生になった頃、少しずつネットが一般家庭にも普及していた頃だった。 すでに掲示板には一部、日本に暮らす韓国籍や朝鮮籍の人々に向けられた差別的な書き込みが並んでいた。 父のルーツが日本以外の国にあることだけでも戸惑い、驚いていた私にとって、そんな誹謗中傷の言葉を目にするのは耐え難かった。 そして「自分の父親の家族も朝鮮半島の出身らしい」と周囲に中々言えなくなっていた。 自分のバックグラウンドの一部に、なぜ後ろめたさを感じなければならないのか。 それ自体にも違和感をぬぐえなかった。 ある時、国籍法について調べていてふと、気がついた。 私が生まれたのは1987年、そして国籍法が改正されたのはその2年前、1985年だ。 改正国籍法の元では、父と母、どちらかの国籍を22歳までに選ぶことになっている。 (ただしその時点で日本国籍以外の国籍を喪失するかは当該国の国籍法による。 )私自身も生まれたときから日本国籍を持っている。 ところがそれ以前は、子どもは父親の国籍となることが定められていた。 つまり父が兄の母と結婚し、兄を出生前に認知していた場合、兄は韓国籍の子どもとして生まれてきたことになる。 すでに亡くなった人間に、詳しくを尋ねることはもうできない。 けれども父が家族や周囲の人々に遺した僅かな言葉をたどっていくと、違った「過去」の姿が浮かび上がってきた。 朝鮮籍や韓国籍の人々のたどってきた道のりはもちろん一様ではなく、価値観も様々だ。 ただ父はその中でも、「在日」という自身のバックグラウンドによって辛い経験、悲しい思いを積み重ねてきたらしかった。 ただそれでも、ルーツの全てを消し去ることは難しい。 父が兄に敬語を使わせていたのは決して冷遇していたのではなく、上下関係や礼儀を重んじる朝鮮の文化の名残だったようだ。 そして父が兄を認知していなかった理由もそこにあった。 韓国国籍の子どもとして生まれるのか、それとも結婚していない夫婦の間に生まれる非嫡出子として生を受けた方がよいのか。 当時、非嫡出子は戸籍に「長男」ではなく「男」と表記されることを含め、今より更に就職差別などにつながりかねない仕組みであることが指摘されていた。 それでも韓国籍の子どもとして生れる方が、直面する困難が大きいと彼自身は思ったようだった。 兄の出生後に父が兄の母と結婚し認知すれば、兄は日本国籍のまま嫡出子となれた。 けれどもその前に父は、日本国籍を取得しようと試みた。 その手続きが完了する前に、兄の母は他界してしまった。 つまり父は、兄を切り捨てるような選択をしていたのではなく、愛情があるゆえに苦悩し、兄の将来を思いやるがゆえに決断を下したのだった。 これをもってして一概に「日本で外国籍として生れた子は皆不幸だ」「認知されない方が幸せなのだ」と伝えたいのではない。 飽くまでも父の経験に基づき、父なりの優しさを兄に向けたとき、これが彼のたどり着いた答えだった、ということだ。 私にとって大切だったのはその選択に、兄に対する愛情を見出すことができたということだ。 それを示してくれた戸籍が、まるで父の意志が宿る「遺書」のように思えた。 それに気づいてから、私の中での「過去」の見え方は全く変わっていった。 それまでは「もしもう一度父に会えたら」と想像したとき、「なぜ?」と何度も問うてしまうだろう自分がいた。 「なぜ兄にあんな態度をとってきたのか」「なぜ彼だけが戸籍から外れていたのか」。 そこには怒りにも似た感情があったように思う。 けれど今、もし父に会えるとすれば、一言「ありがとう」と素直に感謝を伝えたいと思えるようになった。 私たちが何かを学び続ける理由は、そこにもあるのかもしれない。 過去に起きてしまった事実は変わらないかもしれない。 それをどう振り返るかのよってその「過去」は、全く違った色彩を帯びて見えることがある。 今、どうしようもなく苦しく、深い悲しみに見舞われていたとしても、時を経る中で、学び、気づかされたことによって、違った視野が開けてくるかもしれないのだ。 だからこそこれからも、学び続けたいと思う。 今すぐに、真正面から振り返ることができなくてもいい。 乗り越えられない自分を責める必要もない。 焦らず、ゆっくりと、自分のリズムを刻みながら、足元の気づきを少しずつ拾い集めてみる。 いつしか振り返ったとき、そこには全く違って見える風景が広がっているかもしれないからだ。 ちなみに今年の「Pen」11月1日号「手書きの味わい」という特集の中で、兄への手紙を綴ってみた。 兄さんへ あなたにこうして語りかけるのは何年ぶりでしょう。 ちょっぴり照れくさいですが、落ち着いて言葉を伝えたかったので、手紙にしてみました。 幼い頃、私はあなたがなぜ敬語を使っているのか分からず、「よその家の人みたい」とからかったことをどうか許して下さい。 父さんが亡くなって初めて、父さんが在日韓国人だったこと、韓国の伝統は家庭の中でも年上を敬うことを知りました。 そんな事情を知らず、あのとき私はただただ、守られていたのですね。 年が13も離れ、違う母親から生まれたこともあってか、優しい兄さんなのに、近くにいるとどこか、緊張していたのを覚えています。 父さんが亡くなってから数年ぶりに電話で話したとき、「うちに遊びにおいで」と声をかけてくれましたね。 受話器越しの約束は今も、果たされないままです。 こうして手紙を書いた理由がもう一つあります。 あなたのお墓の前に立ったとき、あなたの魂はもうそこにはない気がしたのです。 自由になって今、どこを飛び回っているんですか?時々、私たちのことも見守りにきてくれていますか。 最後に。 世界中があなたを忘れても、私はあなたを忘れない。

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サンデーモーニングのコメンテーターに韓国系が多いのは何故ですか?今日は...

安田 菜津 紀 ジャーナリスト

これはなぜかというと、サンデーモーニングでの発言や普段からの活動などの影響もあるのかもしれませんが、私が一番の要因なんじゃないかと感じたのが、ある噂なんです。 出身高校が朝鮮学校なのではないか?という疑惑ですが、こう言った疑惑が結果、左翼の噂まで広がってしまう要因なのではないかと思いました(;_;) ちなみに安田菜津紀さんの出身高校についてですが、東京の私立高校だと言われているので朝鮮学校説は根も葉もない噂だったということなんですね… 私の個人的な見解ですが、テレビや新聞などのコメンテーターの発言で少しでも引っかかることがあると、すぐに在日説が湧き上がる傾向にありますね。 特にテレビのニュース報道番組は在日の専門家ばかりなのでは?と勘ぐる傾向があるので、仕方が無いのかもしれませんが、全てその言葉で解決をするのはどうなのかと感じてしまいます。 でも観る側のフィルター自体が色眼鏡状態だと、どんな些細なことを言ったとしても炎上してしまうんでしょうね… なんだか複雑ですね…(;_;) また安田菜津紀さんとイラクについての関係性ですが、なんと現地取材を決行していたんですね! 日本では報道されないイラクの現状や追い込まれたヤズディ教徒の避難生活などを生々しく伝えるために取材をしていたそうです。 私自身、安田菜津紀さんのイラク取材の記事や写真を拝見したのですが、率直に感想を言うと、痛々しくもその背景には、人間としての尊厳や生きるための選択など、胸に響くものがありましたね。 ただ私の個人的な思いとしては、子供ちゃんがいるので、大丈夫なのかなぁ…という、親目線になってしまうんですね。 母親としての菜津紀さんは、フォトジャーナリストでもあるので両立って難しそうなんじゃないかと勝手に心配をしてしまいました。 ということで安田菜津紀さんについてググってみました。 最後までご覧いただきありがとうございました。 私たち三姉妹は共通して好きなことや嗜好品があります。

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