重箱 の 隅 を つつく 意味。 「重箱の隅をつつく」の意味とは?意味や使い方を解説!

【重箱の隅をつつく】の意味と使い方の例文(類義語・対義語・英語訳)

重箱 の 隅 を つつく 意味

重箱の隅をつつくの意味とは 重箱の隅をつつくとは会話のやり取りなどにあって、物事の本質とはほとんど関係しない無意味な部分をあげつらう様をあらわします。 やり取りの中でも本題と関係の無い、ちょっとした言葉遣いの間違いなどをあげつらってあれこれ指摘するような姿を浅ましい、卑しいとして戒める用途で用いる言葉です。 重箱(じゅうばこ)とは、おせち料理等で使う四角く重ねられる料理を詰める箱であり、現在でもお弁当を詰めて使う用途で使われる事があります。 四角い箱なので、四隅に食べ物が残ってしまう事がありますが、それをつつきまわしている姿はお世辞にも褒められるものではなく、そこから「料理=物事の本質を置き去りに、四隅の残り物をつつきまわすような姿」という言い回しが定着したものです。 「あまり重箱の隅をつつくような指摘はするものじゃない。 本質的には良い方向性のプレゼンだから、そこを認めた方が良いと思うよ」 重箱の隅をつつくの類似表現 重箱の隅をつつくの類似表現重箱の隅をつつくの類似表現として言葉尻を捕らえる、些事(さじ)にこだわる、という言葉があります。 いずれも会話や相手の説明などに対して、その内容の本質とは関係の無い言い間違いや表現の食い違いといった部分をあげつらい、大きく捉えて指摘するという行為や様子をさす言葉です。 慣用句では「揚げ足を取る」という言葉もあります。 直接的な意味としては相手の言葉を取り上げて指摘するという意味ではありますが、あえてこの言葉を使って指摘する際は、相手の言葉の細かな意味や取り違えといった部分を声高に指摘する様子をさす場合が多いといえます。 こうした物事の本質から外れた部分を四字熟語では「枝葉末節」と言います。 文字通り、木の幹ではなく枝葉や枝先の節という事で、木というものを指し示すには遠く離れてしまっている部分という意味です。 英語では「nitpick(虱潰し)」や「split hairs(毛を掻き分ける)」といった言葉で表現出来ます。

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重箱の隅をつつくだけじゃない!重箱が出てくることわざが面白い

重箱 の 隅 を つつく 意味

重箱で味噌をする 重箱で味噌をするとは、 細かいことを気にしない大雑把なことを意味しています。 重箱の四隅は杓子やヘラなどが届かないので、味噌をまんべんなく混ぜることができません。 四隅に残ったくらいの味噌のことなんて気にしないような大雑把な様子に対して使います。 重箱の四隅に残った食べ物を楊枝でつついて食べるくらい細かいこととは正反対の意味です。 重箱は味噌を入れる物ではないので、本来の目的で使わないと役に立たない物になってしまうという意味でもあります。 重箱に鍋蓋 重箱に鍋蓋とは、 つり合いがとれていない様子です。 重箱にはそのカタチに合わせたフタがありますが、鍋の丸いフタを重箱に乗せてもつり合いが取れるわけはなく、アンバランスな状態になります。 つり合いが取れない気持ち悪さを表現するのに 重箱特有の形と鍋の形を引き合いに出したわけです。 重箱に煮しめ 重箱に煮しめとは、 入れ物は立派なのに中には大したものが入っていないことから、外見ばかり立派で中身がともなっていないことを意味しています。 重箱は木製の箱に漆を何層も重ねて塗るもので、とても手間がかかります。 蒔絵を施しているものは、とても豪華で高価なものも多くあります。 そのような 豪華で立派な重箱に煮しめのような地味な料理を入れるのは、外見に中身がともなっていないことを表現するわけです。 煮しめが地味な料理というのは個人的にはどうなの?と思うところですが、今では重箱はお正月のおせち料理くらいしか使わない家庭が多くなっています。 色彩もあざやかなおせち料理を色々詰めるのに適している重箱に、醤油ベースで全体的に茶色の煮しめは確かに勿体ないかも知れません。 スポーツを始めると、道具やウェアだけ上級者が使うような立派なものを持っているとか、バリバリ仕事しそうなプロ仕様の道具を使っているのに素人レベルとか、そのような見た目とのギャップがある様子を表現するのです。 まとめ 重箱の隅を楊枝でつつくのは、口うるさい上司や先輩、姑などに対して使うことが多いですね。 思わず「うるさいなぁ」と心の声が出てしまいそうな口うるさい人っていますからね。 重箱を用いたことわざや慣用句は、重箱の特長がわかりやすいので伝えやすいことから増えてきたのではないかと考えられます。 個人的には、重箱の四隅は洗いにくいので、あまり使いたくないというのが本音です。

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重箱の隅をつつくとは|意味・類義語・対義語・英語表現と例文を解説

重箱 の 隅 を つつく 意味

テレビで、森友学園、籠池理事長の長男にインタビューしていました。 父親(理事長)のこと聞かれた長男が、 「理事長は(中略)していらっしゃいます。 」「ご自身で~~」と父親に対して敬語を使って、記者の質問に答えていました。 長男についての説明(肩書)は「籠池理事長の長男」とだけテロップが出ていました。 1.自分の親のことを他人に話すのに、親に対して敬語を使うのは間違っている。 2.長男が森友学園の職員、役員などで、父親が理事長という上司の立場だったとしても、外部に話すとき、内部の人に敬語を使うのは間違っている。 と思いました。 とくに、2、は就職した時などに、たとえ自分の上司でも、会社外の人には「呼び捨て」が礼儀だと、厳しく教えられたりします。 別に、特別に森友学園について、あれこれ言うつもりはありませんが、幼稚園や学校を運営する家の関係者(長男)なのに、敬語の使い方が間違っているのはなんなの?と思いました。 もしかして、最近はこれらは許容されているのでしょうか? ご存知のように尊敬語と謙譲語がありますが、「理事長は(中略)していらっしゃいます。 」「ご自身で~~」などは尊敬表現に当たる。 ところで尊敬語の本質とは、「敬意を示したい、と自らが思う相手の行為やものごと」に対して使うものということが言えます。 なので、嫌な上役について話すときには(社内でも)尊敬語を使わないでしょう。 この場合、敬語を使わないのは間違っているといった問題ではなく、話者にとって、その上役が「敬意を示したい、と自らが思う相手」ではない、という事実を示しているにすぎません。 親や上役、以下まとめて「身内」と表現しますが、身内の行為に対して尊敬語を使うべきでないのは、身内を立てることにより、結果的に聞き手や第三者を低く評価することになってしまうから。 尊敬語は、こうした性質を持った敬語なわけです。 以上のことを踏まえて言えば、それにも拘わらず、身内に対して尊敬語を使うのには、以下のような(論理的な)理由があることになる。 1.正しい尊敬語の使い方を知らない。 2.身内だとは捉えていない。 (捉えてほしくない) 3.結果的に聞き手(記者)を低く評価することになっても差し支えないような相手(記者)であると判断している。 どれも、すでにみなさんがご指摘になっていることですが、敬語の本質から考えても妥当な指摘である、ということを蛇足的に述べさせていただきました。 ポイ捨てゴミも、言葉使いも、品性の問題として気になります。 習慣も常識も時代とともに変わっていくものですので、変わること自体はやむを得ないと思っています。 ただ、変化の速さに戸惑うだけです。 戸惑う事よりも 思う事よりも まず 自分が実行する事・・・ 俺なんか 数年前にポイ捨てゴミの多さに 自分で片付けようと決心し 日中から始め 夜中になっても片付かないので徹夜で2日間 ポイ捨てゴミの掃除を した事がある・・ あまりの多さに 帰れなくなって涙した事がある・・ こんなに汚したのは自分達なのに それを放っとけば 何時か必ず 子孫が片付ける事になる・・ 散らかした祖先を恨む事をせずに子孫が片付ける・・ それならば 少しでも 出来るだけ 自らが 片付ける・・って気持ちにならなきゃ 本物では無い・・ 身内に対して敬語を使うのは、皇族が天皇についていうとき、あるいはご自身より身位が上の皇族についていうとき…、くらいですね。 皇室は「絶対敬語」の世界です。 それ以外は「相対敬語」の世界なので、自分(A)・対象(B)・第三者(C)の関係性によります。 ここで、 (1) A:職員、B:理事長、C:理事長のお客(業務上の関係者) (2) A:職員、B:理事長、C:理事長のお客(私的な友人や身内) (3) A:職員、B:理事長、C:児童や生徒(ある意味では内輪) (4) A:職員、B:理事長、C:児童や生徒の保護者(ある意味ではお客) (5) A:職員、B:理事長、C:他の職員(Aの上司でBの部下) (6) A:職員、B:理事長、C:他の職員(Aの部下・後輩) (7) A:職員、B:理事長、C:出入業者(Cに対してA・Bが優位) (8) A:職員、B:理事長、C:一般人(利害関係のない赤の他人) (9) A:職員、B:理事長、C:報道陣(赤の他人、状況によっては敵対的) (10) A:長男、B:父親、C:報道陣(赤の他人) : : AとBが身内でA<Bの関係であっても、Cが外部の場合はB<Cとして、Bについて敬語は使わないのが一般的に正しいとされています。 AとBが身内でA<Bの関係であっても、B>CまたはB=Cの関係なら、Bについて敬語を使うことは有り得るでしょう。 また、AとCの関係性によっても異なると思います。 理事長の息子とされる男性が「理事長は~~していらっしゃいます」「ご自身で~~」のように敬語を使ったのは、「息子と父親という立場でも、職員と理事長の関係でもない」という現在の立ち位置を言外に込めていたのかもしれません。 憶測ですけど。 回答ありがとうございます。 質問にも書きましたが、この質問は、敬語についてのみに絞ったつもりでした。 最近、TVなどで自分の身内の話をするとき、「お父さんが・・、お母さんが・・、私の叔母さんが・・・」といった、身内への「さん」付けを時々聞きます。 名の売れたタレントや、40代50代の有名人でも「身内に敬語」のことがあります。 そのたびに、????と思っていました。 一応私の内部では、常識がない人、との解釈で処理していました。 今回、この教育者一族で、全国に放送されること前提のインタビューで、「理事長ご自身は・・・・していらっしゃいます」という発言があったので、 すでに、この使用法は認めらているのか?? 私の感覚がすでに古い??と思ったのです。 常識外の家族、なのですね。 たしかに、あまりに常識を超えた事件ではあります。 でも、 幼児教育事業、しかも、あんな「日本主義、伝統重視」みたいなこと主張する一家なら、日本語くらい、ちゃんと使える、と思いたかったのですが。 なにもかも、あまりにもデタラメ、常識外な一家なのですね。 小学校の国語の授業の時、先生が教えてくれたのは、歌詞では「なのは」だけど、意味は菜の花なんだよという事です。 歌詞を唄にするとき(音数に合わせる為に)、省略する事がある、というような理由だったと記憶しています。 形容詞であるなら「程度」が存在し、「ちょっと青い」、「とても青い」などがあり得ます。 つまり、「青くなる」は程度の問題にかかわらず、すこしでも青っぽくなることです。 一方、「青になる」は、予め設定された青色になることです。 信号が赤から、赤よりもなんとなく少し青になる、ということは起こりません。 これは、「顔が赤い」とか「顔が赤くなる」というのが紅潮してすこし赤っぽい、もしくは赤っぽくなることであり、絵の具の赤のような色になることではないのと同じです。 「顔が赤になった」と言ったら、予め熱のある時の顔色が色見本のようなもので決められた色になったように感じます。 キュリー夫人の場合は、キュリーさんの妻の意ですね。 ただ、昭恵夫人のような例は他にもあって、例えば「蝶々夫人」。 蝶々夫人は妻である「蝶々さん」のことであって、「蝶々さんの妻」の意味ではありませんね(その意味で表現するなら、ピンカートン夫人になるはずです)。 ただ、夫人という言葉は、「ある人の妻を呼ぶ言葉」なので、昭恵夫人・蝶々夫人のような使い方にはやや違和感がありますね。 思うに、これは英語のミセスやフランス語のマダムに該当する日本語が存在しないために、やむを得ず「夫人」という訳を当てていた結果、 このような使われ方をするようになっていたのではないでしょうか。

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