感動する話。 感動する話で本当に泣ける実話!ヤンキーのトシキ君が弟にしてくれた行動が感動的!|ココアのマーチ

子どもに伝えたい「心に響くちょっといいはなし」

感動する話

弟とトシキ君との出会い 私の弟が小学5年生の時、母が学校に無理を言って普通学級に編入させてもらった時のことです。 私の弟に、トシキ君と言う友達ができました。 家庭に事情のあるトシキ君は、小学5年生で既にゲームセンターに行ったり、タバコを吸ったりするような早熟な不良でした。 そんなトシキ君はどういうわけか、私の弟の面倒だけはとてもよく見てくれていたのです。 子供は残酷なものです。 クラスの中に呼吸器をつけた子には優しくはありませんでした。 私の弟は男の子だけでなく、女の子からも陰湿なことをされました。 しかし、それは弟のそばにトシキ君がいない時だけを狙って起こっていました。 弟が母に言います。 「トシキ君がね、誰か僕をいじめられたらすぐ俺に言え。 お前は俺の弟分だからな!!だって言うんだ。 」 「でも弟分ってなんだろうね。 子分の事かな?」 弟はいつも家に帰ると母と私にそう言っていました。 弟が修学旅行に行く途中、バスの中で弟がおもらしをしてしまった時がありました。 弟の同級生は、その件を少し笑いながら一歩引いて見ていましたが、トシキ君は弟のおもらしの世話をしてくれたのです。 当時6年生の男の子のトシキ君がしてくれたのです。 弟の友達のトシキ君 小学校を卒業した弟が養護学校中等部に入ると、トシキ君くんはより一層気合の入ったヤンキーになっていました。 しかし、トシキ君は弟の養護学校のバザーに来てくれたり、養護学校の生徒たちによるフォークダンスに参加してくれました。 私は、なぜこのように優しい子が不良になるのだろうかと不思議に思っていました。 その後、トシキ君は何をやったのか警察に連れて行かれてしまいました。 少年院に入ったと聞きました。 そしてトシキ君は東京に行ってしまったとも聞きました。 とにかくトシキ君とはそれっきり疎遠になってしまいました。 スポンサーリンク 弟の木箱 弟が死んだ時、28歳という短い生涯を表すかのように、身の回りの持ち物も本当に質素なものでした。 私も両親も、弟に「やっと楽になれたね。 よく28歳まで生きたね。 」と、落ち着いた気持ちで、その事実を受け入れながら弟の所持品を整理していました。 すると、弟が大切にしていたであろう「木箱」を見つけました。 私は母と二人でそっとその木箱の蓋をあけ、中を見た時、私も母も胸が締め付けられる思いになりました。 涙が止まらなくなっていました・・・・。 弟の大切な宝物 木箱の中には、弟の宝物がいくつか入っていました。 それは、「1枚の写真」と「手紙」でした。 手紙は薄紙で包まれるほど、特に大切にしまい込んでありました。 写真は弟の養護学校時代のものでした。 弟の隣には、寄り添って腕を組みカメラにガンを飛ばす金髪少年が写っています。 「そうだったのか。 トシキ君。 私たちが知らない時でも、弟のいる養護学校にわざわざ訪ねて来てくれていたんだね。 」 手紙はどれも便箋1枚に少ない文字のものばかりです。 「おまえはいつでも俺の弟分だ」 とか 「早く元気になれ。 ドライブに連れてってやる」 とか 「寂しくなったらいつでも言え。 すぐ俺がきてやる」 とか ぶっきらぼうに書かれてありますが、弟を強く励ます一行、二行の文章がありました。 母と私はそれらを前にして、涙をこらえることができずにいました。 トシキ君。 今どこにいるのですか。 元気で幸せに暮らしていますか。 私は今すぐ君に会いたい。 会ってすぐにその手を握りしめたい。 心優しきヤンキー君。 君のそのキレイな心は外見では決して計ることはできないです。 そして君に心の底から伝えたい。 ありがとう。 ありがとう。

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子どもに伝えたい「心に響くちょっといいはなし」

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弟とトシキ君との出会い 私の弟が小学5年生の時、母が学校に無理を言って普通学級に編入させてもらった時のことです。 私の弟に、トシキ君と言う友達ができました。 家庭に事情のあるトシキ君は、小学5年生で既にゲームセンターに行ったり、タバコを吸ったりするような早熟な不良でした。 そんなトシキ君はどういうわけか、私の弟の面倒だけはとてもよく見てくれていたのです。 子供は残酷なものです。 クラスの中に呼吸器をつけた子には優しくはありませんでした。 私の弟は男の子だけでなく、女の子からも陰湿なことをされました。 しかし、それは弟のそばにトシキ君がいない時だけを狙って起こっていました。 弟が母に言います。 「トシキ君がね、誰か僕をいじめられたらすぐ俺に言え。 お前は俺の弟分だからな!!だって言うんだ。 」 「でも弟分ってなんだろうね。 子分の事かな?」 弟はいつも家に帰ると母と私にそう言っていました。 弟が修学旅行に行く途中、バスの中で弟がおもらしをしてしまった時がありました。 弟の同級生は、その件を少し笑いながら一歩引いて見ていましたが、トシキ君は弟のおもらしの世話をしてくれたのです。 当時6年生の男の子のトシキ君がしてくれたのです。 弟の友達のトシキ君 小学校を卒業した弟が養護学校中等部に入ると、トシキ君くんはより一層気合の入ったヤンキーになっていました。 しかし、トシキ君は弟の養護学校のバザーに来てくれたり、養護学校の生徒たちによるフォークダンスに参加してくれました。 私は、なぜこのように優しい子が不良になるのだろうかと不思議に思っていました。 その後、トシキ君は何をやったのか警察に連れて行かれてしまいました。 少年院に入ったと聞きました。 そしてトシキ君は東京に行ってしまったとも聞きました。 とにかくトシキ君とはそれっきり疎遠になってしまいました。 スポンサーリンク 弟の木箱 弟が死んだ時、28歳という短い生涯を表すかのように、身の回りの持ち物も本当に質素なものでした。 私も両親も、弟に「やっと楽になれたね。 よく28歳まで生きたね。 」と、落ち着いた気持ちで、その事実を受け入れながら弟の所持品を整理していました。 すると、弟が大切にしていたであろう「木箱」を見つけました。 私は母と二人でそっとその木箱の蓋をあけ、中を見た時、私も母も胸が締め付けられる思いになりました。 涙が止まらなくなっていました・・・・。 弟の大切な宝物 木箱の中には、弟の宝物がいくつか入っていました。 それは、「1枚の写真」と「手紙」でした。 手紙は薄紙で包まれるほど、特に大切にしまい込んでありました。 写真は弟の養護学校時代のものでした。 弟の隣には、寄り添って腕を組みカメラにガンを飛ばす金髪少年が写っています。 「そうだったのか。 トシキ君。 私たちが知らない時でも、弟のいる養護学校にわざわざ訪ねて来てくれていたんだね。 」 手紙はどれも便箋1枚に少ない文字のものばかりです。 「おまえはいつでも俺の弟分だ」 とか 「早く元気になれ。 ドライブに連れてってやる」 とか 「寂しくなったらいつでも言え。 すぐ俺がきてやる」 とか ぶっきらぼうに書かれてありますが、弟を強く励ます一行、二行の文章がありました。 母と私はそれらを前にして、涙をこらえることができずにいました。 トシキ君。 今どこにいるのですか。 元気で幸せに暮らしていますか。 私は今すぐ君に会いたい。 会ってすぐにその手を握りしめたい。 心優しきヤンキー君。 君のそのキレイな心は外見では決して計ることはできないです。 そして君に心の底から伝えたい。 ありがとう。 ありがとう。

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感動する話に騙されるな!ニセモノの泣ける話を量産する7の技術

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付き合って3年の彼女に唐突に振られた。 「他に好きな男が出来たんだー、じゃーねー」 就職して2年、 そろそろ結婚とかも真剣に考えてたっつーのに、 目の前が真っ暗になった。 俺は本当に彼女が好きだったし、勿論浮気もしたことないし、 そりゃ俺は格別イイ男って訳じゃなかったけど、 彼女の事は本当に大事にしてたつもりだった。 なのに、すっげーあっさりスッパリやられた。 どーにもこーにも収まりつかなくて、電話するも着信拒否、 家行ってもいつも留守、バイト先も辞めてた。 徹底的に避けられた。 もーショックですげー荒れた。 仕事に打ち込みまくった。 それから半年、お陰で同期の中でダントツの出世頭になってた。 彼女の事も、少しずつ忘れ始めてた、そんなある日。 携帯に知らない番号から電話がかかってきた。 最初は悪戯とかだと思って無視ってたんだけど、何回もかかってくる。 仕方ないから出た。 別れた彼女の妹を名乗る女からだった。 その女が俺に言った。 「お姉ちゃんに会いに来てくれませんか?」 ・・・彼女は白血病にかかっていて、入院していた。 ドナーがやっと見つかったものの、状態は非常に悪く、 手術をしても助かる確率は五分五分だという。 入院したのは俺と別れた直後だった。 俺は、病院へ駆けつけた。 無菌室にいる彼女をガラス越しに見た瞬間、 俺は周りの目を忘れて怒鳴った。 「お前、何勝手な真似してんだよっ!俺はそんなに頼りないかよっ!! 」 彼女は俺の姿を見て、しばらく呆然としていた。 どうして俺がここに居るのかわからない、という顔だった。 その姿は本当に小さくて、今にも消えてしまいそうだった。 でもすぐに、彼女はハッと我に返った顔になり、 険しい顔でそっぽを向いた。 俺は、その場に泣き崩れた。 堪らなかった、 この期に及んでまだ意地をはる彼女の心が。 愛しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。 その日から手術までの2週間、俺は毎日病院に通った。 けれど、彼女は変わらず頑なに俺を拒絶し続けた。 そして手術の日。 俺は会社を休んで病院に居た。 俺が病院に着いた時にはもう彼女は手術室の中だった。 手術は無事成功。 けれど、安心は出来なかった。 抗生物質を飲み、 経過を慎重に見なくてはならないと医者が言った。 俺は手術後も毎日病院に通った。 彼女は、ゆっくりではあるけれど、回復していった。 そして彼女は、相変わらず俺の顔も見ようとしなかった。 ようやく退院出来る日が来た。 定期的に検査の為、通院しなくてはならないし、 薬は飲まなくてはならないけれど、 日常生活を送れるまでに彼女は回復した。 俺は当然、彼女に会いに行った。 お祝いの花束と贈り物を持って。 「退院、おめでとう」 そう言って、花束を手渡した。 彼女は無言で受け取ってくれた。 俺はポケットから小さい箱を取り出して中身を見せた。 俗に言う給料の3ヶ月分ってヤツ。 「これももらって欲しいんだけど。 俺、本気だから」 そう言ったら、彼女は凄く驚いた顔をしてから、俯いた。 「馬鹿じゃないの」 彼女の肩が震えていた。 「うん、俺馬鹿だよ。 お前がどんな思いしてたかなんて全然知らなかった。 本当にごめん」 「私、これから先だってどうなるかわからないんだよ?」 「知ってる。 色々これでも勉強したから。 で、どうかな?俺の嫁さんになってくれる?」 彼女は顔を上げて、涙いっぱいの目で俺を見た。 「ありがとう」 俺は彼女を抱きしめて、一緒に泣いた。 ウチの親には反対されたけど、俺は彼女と結婚した。 それから2年。 あまり体は強くないけれど、 気は人一倍強い嫁さんの尻に敷かれてる俺がいる。 子供もいつか授かればいいな、 という感じで無理せず暢気に構えてる。 ——後日談——- 嫁さんのお腹に新しい命が宿ってるってわかった。 「子供は授かりものだから、無理しないでのんびり構えとこう」 とか言ってたけど、正直諦め気味だった。 まだ豆粒みたいなもんなんだろうけど、俺と嫁さんの子供が嫁さんのお腹の中にいる。 そう思っただけで、何か訳の分からない熱いものが胸の奥からこみ上げてきて、泣いた。 嫁さんも泣いてた。 実家に電話したら、結婚の時あんだけ反対してたウチの親まで泣き出した。 「良かったなぁ、良かったなぁ。 神様はちゃんとおるんやなぁ」 って。 嫁さんの親御さんは 「ありがとう、ありがとう」 って泣いてた。 皆で泣きまくり。 嫁さんは身体があんまり丈夫じゃないから、産まれるまで色々大変だろうけど、 俺は死ぬ気で嫁さんと子供を守り抜く。 誰よりも強いお父さんになってやる。 でも、今だけはカッコ悪く泣かせて欲しい。

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