大艦巨砲主義まとめ。 日本は大艦巨砲主義だから負けたという風潮

大艦巨砲主義に固執した日本は、真珠湾を戦艦で奇襲したんだろう?

大艦巨砲主義まとめ

大艦巨砲主義って、『海上の戦いは、お互いに砲撃しあって決着がつく』事を前提にして、その際に有利になる様に、大きな砲弾を飛ばせる戦艦を艦隊の中核として整備し運用する発想ですよ。 巨大戦艦しか作らない、なんて意味だなんて、ホンの少しだけ知識があれば誰ぁれも思わないし 実際、駆逐艦やら巡洋艦やらはあったし 、敵の基地を奇襲攻撃する時に戦艦で砲撃しよう、なんて発想でも、これっぽっちもないです。 だいたい、砲撃の様な『時間の掛かるやり方』を主にして奇襲をするなんて、そっちの方が変でしょうが… それに、大艦巨砲主義は日本に限った事でもないです。 例えば、辞書・事典類がまとめて引けるサイトコトバンクで引けるブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の『大艦巨砲主義』の解説の最初の方を引用すると… ~~ 海戦は砲戦によって決せられるとし,射程,破壊力ともに大きい巨砲を積んだ高速で防御力の強い巨艦が勝利をもたらすという戦略思想。 近代的な戦艦の出現とともに起り,太平洋戦争中の真珠湾,マレー沖などの戦いで航空母艦中心主義が正しかったことが立証されるまで旧日本海軍をはじめ世界の海軍でこの思想が続いた。 以下略 ~~ 日本が『大艦巨砲主義に拘った』と言われる事があるのは、真珠湾攻撃のみならず、マレー沖海戦で巨大戦艦プリンス・オブ・ウェールズを航空機で轟沈して、世界に衝撃を与えたのに、自分達自身は、砲撃戦による決戦思想を中々捨て切れなかった事を言います。 つまり、日本が、大艦巨砲主義に拘った、と言うのは、真珠湾攻撃よりも《後》の話ですよ。 真珠湾攻撃以前は、日本だけじゃなく、それが世界の常識だったんですから。 でなきゃ、プリンス・オブ・ウェールズの様な戦艦もなかったでしょうよ。 だから、真珠湾攻撃が空母で行われた事は、その時点の日本が大艦巨砲主義を取っていなかった事の反証には、これっぽっちもなりませんよ。 大艦巨砲主義は、敵の基地を奇襲するのに戦艦を主にする、なんて思想では全然ない、そんな当たり前の事はわかった上で大艦巨砲主義って言葉を皆使っているのに、わざとか無知だからかは知りませんが、真珠湾攻撃が、日本に大艦巨砲主義が無かった、と言う主張の根拠になるかの様に言うのは、典型的な『藁人形理論』ですな。 藁人形理論とは、誰も言ってもいない事を創作して、それを批判する事で自らの正しさを主張する、詭弁の一種です。

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大艦巨砲主義 (たいかんきょほうしゅぎ)とは【ピクシブ百科事典】

大艦巨砲主義まとめ

大艦巨砲主義(たいかんきょほうしゅぎ)とは、20世紀前半の軍戦略において支配的であった、「でっかい船にでっかい積めばじゃね?」という考え方である。 概要 単純に言えば、「強なを搭載し堅固な装甲によって防護された『の』である『』の質と量が上戦の優位を決定する」という思想である。 ただし、その思想のは20世紀のうち前半だけであった。 20世紀初頭、16年にが建造した級が大艦巨砲主義の先駆けであるとされる。 本級は複数配置された同一口径のを一元的に管制する方式を採用し、従来のとは較にならない戦を得たことに加え、蒸気タービンの採用による優れた性も併せ持っていた。 また防御についても列が(そして自身も)運用・建造中のを一気に陳腐化させ、列はに肩るを「(ド)級」(の字は)、駕するを「(ド)級」と呼ぶようになった。 こうして、列強は大建艦競争の時代に突入していくことになる。 自己のを防ぐだけの装甲を持ったは、より優れたを持つをもってしか撃破し得ない。 つまり、強ながどれだけ保有するかが的となり、実際に火を交えることなくそのの持つ軍が明されると考えるに至った。 以後、の列強各では建造が猛な勢いで始まることとなる。 建造されるたびに艦のは大きくなり(と、同時に口径も増大し)、財政を転覆させかねないほどの建造費を必要とするにいたってようやく列強各は頭をて11年、軍条約による中断期間(軍)を迎えることとなる。 7年の条約明け後もこの建造が続くかと思われたが、その直後に発生したにおいて大艦巨砲主義に基づいて建造されたの優位性は、発展著しい及びに覆されることになった。 またこれら一連の流れをもって、の成功経験に基づくものの時勢にそぐわなくなりつつある手法などを揶揄する言葉として「大艦巨砲主義」が使われる場合がある。 大艦巨砲主義の終焉 一般的には、大艦巨砲主義は軍戦略の兵義への転換に伴って終焉をみたとされる。 しかし実際には、それ以前に大艦巨砲主義の没落は始まっていたとする解釈もある。 第一次大戦においてとの・隊が入り乱れたジュッンド(ユンド)戦において発生した予想だにしない中・遠戦は双方に多大な損をもたらした。 それまで巨費を投じてこつこつと培ってきたがわずか数時間、一日の戦によりの藻と化す。 このに衝撃を受けたのか、軍は艦隊保全義により傾倒し、艦隊は「だけ」であれば良いと考え、などを使った戦に注することなる。 対するはの戦に対して上護衛戦を行っていくことになった(このにはととの戦差があまりにも大きかったということもある)。 これはの戦いの有様が など様々な点 を必要、あるいは阻するための となったため、局所的な上支配権を獲得するための手法として「戦」という方法がに合わなくなってきたととしてみるべきかもしれない。 またジュッンド(ユンド)戦の戦訓は、「遠撃戦における大度で落下する弾を防ぐためには、より一層の装甲化が必要」ということであり、結果としてに対する建造・維持の増大をさらに促した。 が実戦ではあまり意味のない食いであるという認識を各の軍関係者がどれほど共有していたかはともかく、財政が傾くほど巨額な経費がかかるの建造を抑えるべく、戦間期にの建造は条約によってされることとなり「軍」と呼ばれる時期を経て、へと至る最後の建艦競争に突入した。 もっとも、この時点での攻撃手段であるによる攻撃というのはに達しようとしていたのもである。 すなわち、どれだけ巨を搭載したとしても観測できる見通しは は丸いので 線を越すことは出来ないというにぶつかることになった。 観測できないでの撃を可にするため、に弾着観測用の観測機を搭載しようという手法も生み出されたが、当時芽しつつあったの集中運用プム、すなわちに搭載されている艦載機によって阻されることは眼に見えていた。 ここで諸外の軍関係者の中から、観測機を蹴散らすためのにを積めば、より遠での攻撃が可になるのでは? というに達する者が出てくるのは時間の問題だったといえるだろう。 もっとも、この時点では攻撃によって行動中のを撃破することが可だとはまだ確信されていなかったのであるが。 が始まると、ト襲、次いでにおいて、戦がを撃破ることが明された。 さらにはで航行中の・が攻撃によって撃破される事態に至り、兵は大艦巨砲主義に対する優位をした。 「が戦を発揮するための偵察役」あるいは「偵察役である観測機を撃破する」ためであった機動部隊の地位が、従逆転したのである。 がを建造したことを「時代錯誤な大艦巨砲主義」と評することもあるが、建造計画が立案された当時はまだが流ではなかったので、注意が必要である。 結果だけを見るならば、に先見の明がなかったとも言える(そのが前述のでの有性をに明してしまったのがなんとも皮)。 余談だが、級三番艦「」は建造中にからに変更されている。 一方、諸外ではどうだったかというと、ではの政策による一つとして、建造計画がしていた。 雇用対策、すなわち共事業としての(だけではなくまで)量産が行われていたわけで、もはやの差はいかんともしがたいものがあり泣ける始末である(がに対して優越することが出来たのは、開戦の有に関わらず年前後だというのがの判断で、このがあったからこその「一年、二年であれば…」という有名な発言につながっている)。 もっとも最後のは大艦巨砲主義というよりはの級を意識したようなのとして誕生している。 では級が前に建造開始されたものの、生き残った四隻はが終わるとあっという間に訓練艦、予備役艦艇扱いとなってしまった。 中に建造されたのは級だけ。 さらに言えば級の建造的も未使用の身があったので、もったいないから…というもので、建造されたのは一隻にとどまる(ただしの技術のを結集して作られたのはいうまでもない)。 しかし、大艦巨砲主義が覆されたとしてもの存在意義が否定されたわけではない。 その撃を生かして沿撃で活躍したもある。 (・ヘンダーソン飛行場撃)、ガングート級(攻囲)、によるノディ上陸、やなどの上陸戦で有効な撃を行っている。 陸軍が運用するのはせいぜい口径mm~mmであり、これはのといってもいい。 かたや級のはmm~0mmという大きさである。 がいかに巨大なを扱っているかわかるだろう。 による沿撃の成果は一個師団に匹敵する、という報告があがるのもむべなるかな、ということだ。 大も、はをのたびに沿撃用に引っり出し、後にやを搭載するを。 はどこのウォーンダーだ。 もっとも、当時はを集中運用するプムがなく、「引っりだすならついでに乗せちゃえば? 」みたいなだったとは思うが…そのもはすべて退役し、記念艦やとして余生を過ごしている。 余談ではあるが、最大の功績と言えばと沈黙を世に送り出したことである。 大艦巨砲主義とロマン に強く、堅く!を志向する大艦巨砲主義は、々の意識の単純な部分に強く訴する。 そもそも、つるん、ん、な()よりも豊満でメリの利いたの構造そのものにに惹かれてしまう部分があるのは否めない。 いや、両方好きですけど。 「あれ、に飛行甲つけたらじゃね?」 「あれ、にでっかい積んだらじゃね?」 とが膨らんでしまった人のために、「こうくうせんかん」というものがある。 かつてが保有していたが、、が「重」として。 巨というにはものたりなくもあるが、せっかく予算を組んで建造してもらったのだから、を楽しんでみて欲しい。 個人的な領域における大艦巨砲主義 強く、硬く、太く、長く、多く、そして… よりもい! ・・・という大艦巨砲主義の理想を全に達成することは、的には様々な制約からであることはの教訓からみてである。 … 関連動画 関連コミュニティ 関連項目• (大艦巨砲主義万歳)• :[]大艦巨砲主義を掲げるの一つ。

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日本は大艦巨砲主義だから負けたという風潮

大艦巨砲主義まとめ

大艦巨砲主義(たいかんきょほうしゅぎ)とは、大きいことはということである。 概要 の技術発展に伴い、威力が増してくると、に多数のを並べることがむしろ弱点を晒すことになるため、その数を減らし、一門あたりの威力をあげることが重視されるようになる。 一方で敵艦砲の攻撃に耐えるため、艦船全体に装甲を施すようになる。 の始まりである。 さらにの役割分岐が進んでゆき、大型の戦艦と小型のに分岐していく。 その内の大型戦艦に用いられた設計思想がこれである。 技術が発展し、大砲の威力と大きさがほぼ比例するようになった事もこれを推し進める結果となった。 ここから転じて特定の方向性に一点特化(そしてそれ自体によってしばしば機能不全に陥る)することを比喩もしくは揶揄する意味でも使われる。 現実では第二次世界大戦で航空機とそれを搭載した空母の方がより重要という事実が判明し、実戦でその戦力の高さを示し、機動性・汎用性・コストパフォーマンスの面で劣る戦艦が重視されなくなった結果、現在は「戦艦」というジャンルごと廃れてしまっている。 (一応、ロシアのは「巡洋戦艦」と呼ばれることもあるが、厳密には装甲を備えた大型のミサイル艦である)... と思いきや、 大艦巨砲主義が現代によみがえる可能性が出てきた。 その理由は「 」である。 レールガンとは「電磁気力で弾丸を射出する」砲熕兵器であり、弾速は既存の火器を遥かに上回る。 アメリカ軍が開発中のものでは試験射撃で マッハ6を記録したとされ、2016年に試験運用が開始されるところまでこぎつけた。 何故これが大艦巨砲主義の復活に関わるかというと、前述の通りレールガンは弾速が桁外れな程高速である。 つまり「高速で動く目標にも対応しやすい」ため、 「砲熕兵器でありながら対艦ミサイル等を迎撃できる」可能性が高いのだ。 さらにさらに高弾速のため射程はそこらの大砲より長い(というかミサイル並み)上、命中した際に相手に与えるダメージも大きいとされる。 つまり実用化すれば、「砲熕兵器であるレールガンが対艦戦闘の主役になる」可能性があるのだ。 大艦巨砲主義の部分的な復活と言えるだろう。 とはいえ現代では 艦隊戦自体が完全な時代錯誤の代物であるため意味はないが。 しかしこうなるとイージス艦のやられる前にやるから装甲は薄くても良いという前提が覆される可能性もないわけではなく、砲弾に砲弾を当てて迎撃できれば問題はないのだがレールガンほどの高速飛翔体ともなるとどうなるか分からない。 レールガンが実用化するかどうかはともかく、タンカーとの衝突も増えてきた昨今、多少なりとも被弾を考えた装甲が必要になっている…のかもしれない。 pixivでは 上記の意味通り、戦艦のイラストに使われる以外に、 「大きければ大きいほど良い」というようなイラストに使われることがある。 特に「」のブレイク以降、派生タグ「」の使用頻度が増加している。 ちなみに艦隊これくしょん関連のイラストにではなく当タグが付けられる場合、を主とした砲撃艦の艤装が印象的なイラストである場合が多いようだ。 関連タグ 関連記事 親記事.

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