さよなら だけ が 人生 だ。 さよならだけが人生だ 歌ってみた by スタンガン

井伏鱒二のおすすめ小説6選!名訳「さよならだけが人生だ」で有名

さよなら だけ が 人生 だ

キャプションは読みましたか? 読まれた上でそれでも読むという方は次のページからどうぞ。 [newpage] 「ふざけやがって!決闘だ!!」 「おいおい、あんた仮にも寮長だろ?なんだってこんな一年坊捕まえて決闘なんて……。 」 言い終わるよりも早く相手が繰り出してきた火属性の攻撃魔法を防ぎながら青年は人知れずため息を吐いた。 (あーだりぃ、なんだってこんな面倒くせーことに巻き込まれてんだ、俺。 ) 未だにピーチクパーチク何か言っている名門校()のサバナクロー寮寮長()を尻目に青年……レオナルド・ヴィクターは青く澄み渡った空を見上げた。 レオナルドは決して治安がいいとは言い難いとある下町で生まれ育った。 そこでは人殺しの件数が多い訳ではないが一日に数件は起こり、盗みはそこら中で頻繁に行われるようなところで……まあ、スラム街一歩手前といったところか、そんなところだった。 一応歓楽街を抱えた宿場町のような場所で、物心ついたときには母と二人きりで細々とした薬屋を営んで生計を立てていた。 幸いにも得意先の娼館や住居を貸してくれている大家の老夫婦も良い人で、聞いた話では身元すら定かでない母の住居やら暮らし方やら何から何まで面倒を見てくれたらしい。 それはもう本当にこんな荒れた街の住人か?と思うくらいには、いやむしろ信じられるのが金と人情だからこそ逆にこうなのか?と思わなくもないが本当にいい人たちである。 取り敢えずこんな訳の分からない名門校(笑)から早々に帰りてーなーと思うくらいには良い所だった。 治安は滅茶苦茶悪いけど。 (薬の管理の方はゼナに任せてきたが……あいつはそそっかしいからな。 手紙で催促でもしとくか、アセナの姉さんに言われりゃあいつも忘れねーだろ。 ) ゼナは娼館に間違えて売られてきた少女と見まごう少年で、アセナとは母の代からの古馴染みの常連客である。 彼女はゼナが売られてきた娼館で今は遣り手の職に就きながらゼナの指導をしている。 彼女に言っておけば流石のゼナもうっかりなどせず、大切な薬草を枯らすことはないだろう。 サラサラと紙にインクを滑らせながら棺桶に入る前にかつては魔法士をしていた占い師に言われた言葉を思い出す。 「いいかいレオ。 絶対に風呂のときと寝るとき以外、この眼帯をとっちゃあいけないよ。 」 いいね?っと注意深く聞いてくる彼女の稀に見る真剣な表情に思わず頷いてしまったレオナルドであったが、なんとなく予想はついた。 自分が今着けている眼帯に掛かった魔法はかなり高位のもので、おそらくは認識阻害系の魔法が込められた逸品である。 (……あの婆さんも心配性だな。 ) 自分がまだ片手で足りるような年齢の頃に流行病で死んでしまった母は何も教えてはくれなかった。 だが、やはりと言うか噂は回ってくるものだし、何よりどこか偽装されたような馬車が養祖父母の経営する宿屋の前に止まっていた日。 いつもの様に薬の買取を済ませて戻ってきたレオナルドに告げたのであった。 「レオナルド、ちょっと、そこに座りなさい。 」 いつもの朗らかな雰囲気が形を潜めた養母の声にいつもの様に「なんだ?また城下町まで行ったのがバレたのか?」などと軽口を叩けるはずもなく、大人しく養父母と対面する形で椅子に着席した。 それを見届けると互いに目配せして頷き合うと、再度レオナルドの方を見た。 「……実はな、お前の本当の父親は……。 」 「ああ、死んだんだろ?」 「話は最後まで聞きなさい。 」 コホン、と話題を戻すためなのか、養父が咳払いをする。 「……死んだかどうかは分からないが、お前の父親は獣人か、その血が入った人間の……どうやらかなりくらいの高い人物だそうだ。 」 なんだ今更かと思ったレオナルドであるが、同時にやっぱりそうだったのかと信頼する養父母の口籠った様な、苦々しくも辿々しい語り口に納得もした。 祖父母はその後も詳細という詳細は語らなかったが単純にいつ人攫いに合うか、または殺されるかも分からない。 いざとなったら占い師の婆さんを頼れということだった。 ……レオナルドだって知っていた。 自分は特別なんてモノにもなれなければ、普通なんてものでもないことを、自分が異端であるということを、理解していた。 ここいらでは見かけない草臥れもしない立派な丸い耳、尾骶骨あたりから伸びる、しなる鞭の様な、先端に房のついた尻尾。 何より、片目は母と同じ色だが、左右対象に並んだもう片方は深い緑色で髪の色だって皮膚の色だって、母の面差しを全く感じない容貌に拍車をかけている。 『知っている?あそこの薬屋さん。 』 『あそこの店主さん元は貴族の娘さんだったらしいわよ。 』 『ええ?私は王宮に勤めていたって聞いたわよ?』 『あら?そうだったかしら?……でもね、なんでも前はどこぞのえらーい人のお妾さんだったらしいわよ!』 『私は王族の湯殿の世話をしていてお手付きになったって聞いたわ〜。 』 『人は見かけによらないって本当なのね。 私も気をつけなくちゃ。 』 『あらやだ、アンタやあたしみたいなのには縁のない話よ、せめてあのくらいの美貌がなくちゃ誑し込めないわよお。 』 『それもそうね。 』 クスクスと話す声が聞こえる。 当時の自分はまだ齢一桁の子供で、あまりよく分からなかったが、馬鹿にしているんだろうことはわかった。 最初こそ苛立ちの様なものが込み上げてきていたが続くとそれも無くなって、何も感じなくなった。 それからしばらくしたある日のことだった。 母が死んだ。 流行病の熱病だった。 その年の羅患者は多く、街には死体が溢れていた。 だって仕方がない、ここはスラム街一歩手前の町ではあるが、それ以上に物流とともに人も溢れかえっていて、もちろん観光客もだが、それ以上に身元不明だったりする奴が多かった、もちろん家の無いものもたくさんいた。 ただ、ウイルスそのものを忌んでのことか、それとも衛生的な問題なのか、はたまたは景観か、王家なのか政治のお偉方なのかも分からないが、とにかくこの国の偉い人たちが下したのは死体を一か所に集めて、まるでゴミの様に積まれたそれを一緒くたに火葬することだった。 火葬した跡地には慰霊碑と称された細長い石杭の様な何かが立ったが、それだけだ。 もちろん名前なんて一切書かれてない。 裏側には日付とそれを建てた奴の名前は書かれていたのに。 そのすぐ後、母の面倒を見てくれていた老夫婦が俺を引き取って。 「はあー、ままならねえな。 」 ガリガリと頭を乱雑にかいて、ライオンの獣人 レオナルド・ヴィクターはとある言葉を思い出した。 ーーーさよならだけが、人生だ。 「……全くもってその通りで。 」 さて、今日も惰性で持って生きようぜ。 [newpage] 紫眼に美貌の母 電脳魔()としての記憶も忘れてしまった状態の、IFの誰かの姿。 この時空でも某おじたんと仲良し()になるがその情報が漏れておじたんの母国の重鎮から圧を掛けられていた人。 めげなかったが国王夫妻とその子供が説得()に来た際にああ、私邪魔なんだなあ……と全て諦めてしまい、学園長とおじたんに手紙を残してさよならした。 当てもなくフラフラしてたら子供が出来てた。 その後運よく心優しい老夫婦に拾われ、学校で習った薬学を用いて薬屋を開いた。 働いて、働いて働いて、免疫が低下してる所に流行病で夭折。 子供のことは滅茶苦茶愛していたが、自分ではなく恋人に滅茶苦茶似ている我が子を心配していた。 貯金はしていたので金だけは遺していった。 人生を諦観する猫科() さよならだけが人生だ。 明日は明日の風が吹く?ハン、そんな与太話信じる奴なんていねーさ。 片目の色以外は父親と瓜二つ。 子供の頃からのハードモードな人生に疲れて諦めた。 ただ、周りの人たちの愛情もわかってはいるので絶望してはいない。 実はヤベーユニーク魔法が使えるが、本人が思っているよりヤベー代物だとは本人も気付いてない。 お偉方のことは須く自分と同じ等身大の人物だとは思っていない。 きっと俺たちなんて換えのきく虫ケラみてーなもんなんだろうなあ……。 老夫婦(現養父母) 母親の方を素直で可愛い自慢の娘()!と可愛がっていた。 頑なに事情を話さないのを心配していたがボロ馬車に偽装された王家の馬車見て大体を悟った。 この親子守らなあかん!! レオナルドのことは本物の孫同然に可愛がっている。 この人と母経由で町の古くからの住人とかは(一部のアレな人を除いては)連絡網を形成し、それっぽい奴がきたらそれとなくレオナルドを匿っている。 おじたん(不憫) 手紙だけ置いて恋人が消えた。 はあ!?ふざけんなと王宮に凸。 しかしいくら探せど似た人物の情報は入ってくるのに見つからない。 子供の件はまじで知らない。 多分マジフト大会で度肝抜かれる。 重鎮 そういった町のことは数字でしか見てないのでまあレオナルドの予想であってるっちゃあってる。 ただし実際に行って触れ合ってしまうと割り切れなくなる人がそれなりにいたりする。 おじたんを政治的に利用するにはレオナルドの母親が邪魔だったので何かにつけて脅したりして圧掛けてた。 痺れを切らして国王夫妻を嗾ける。 王族の方々 母親がやばい奴だ延々進言されて丸め込まれた人々。 次期王までついていきたいと言ったのは想定外だった。 涙ながらに赤裸々に説得()したら癇癪を起こすでもなくそうですか……とだけ言ってお金とか全て辞退したのでこの辺りから「あれ?なんか言われたのと違くね??」となった。 が、その後の一部の重鎮たちからのおじたんの政治利用()の件とかをさりげなく聞いたりしてまさか……と気づく。 確かに王子なんだから重要っちゃ重要なんだけど……他でもない弟の希望を自らの手で取り上げた事を自覚してしまった。 まじで探しまくってるけど全然見つからないし、おじたんよりほんの少し早く回答が来るけれど遅すぎた現実というアンサーに直面。 SAN値チェック案件になる。

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「さよならだけが人生だ」

さよなら だけ が 人生 だ

五言絶句 この詩は井伏鱒二氏の訳詩集『厄除け詩集』に掲載されています。 五言絶句とは五言(五つの漢字)が絶句(四句、四つの行)で表している構成のを言います。 原文は以下のようになっています。 『勧酒』 勘 君 金 屈 巵 君に勘める金屈巵(きんくっし) 満 酌 不 須 辞 満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず 花 發 多 風 雨 花發(ひら)けば風雨多く 人 生 足 別 離 人生別離足(おお)し 私たちは人と触れ合い、そして別れのときを迎えなければいけません。 卒業、引越し、進学、転勤、留学、もしくは死別、私たちは今まで多くの別れを経験したかと思います。 お互いの道を分かち合いそれぞれの道を選んだ人も、喧嘩別れをし今でもその関係を引きずっている人も、誤解を解けずに後悔した別れを経験した人も、言いたいことを言えずに心苦しい思いをした人もいるでしょう。 良い別れもあれば当然の悪い別れもあります。 その中で後悔しない別れを迎えるには、別れを避けるよりも別れを感じ取るのが必要なのかもしれません。 人生とは出会いがあって別れがあるのではなく、出会いの中には既に別れが存在しているもの。 だからこそ突然訪れるかもしれない別れの受け入れが大切なのだと思います。 別れを否定することは出会いまでも否定してしまうことではないでしょうか。 永遠に続くものはありません、人との関係だって繋がってはいても常に変化し続けています。 もしお互いが出会えたなら、その関係を存分に感じ取り喜びに満ち溢れましょう。 一つの出会いはその場その時以外もう二度と訪れはしないのですから。 『勘酒』とは、まさに「一期一会」を表している詩だと思います。 現代語訳として(失礼ながら)次のように意訳させて頂きました。 『どんなに美しい花が咲いたとしても一時の嵐によって散ってしまう様、とにかく物事には邪魔が起こりやすい。 別れは決して避けることはできず、いずれ訪れてしまう。 だからこそ、今ここでの時間を大切にし感謝をしよう。 さあこの杯を取って祝福を挙げようではないか。 』 <追記> またこの「勘酒」を受け、詩人、劇作家である寺山修司氏は以下のような二つの詩を残しました。 とても悲観的な詩ではありすが、別れについて異なる側面から大切にしているからなのかもしれません。 この二つの詩をセットに感じてみると山寺修司氏のさよならに対する優しさが一段と伝わる気がします。 こちらを最後に記載させて頂きます。 『さよならだけが人生ならば』 さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう やさしいやさしい夕焼けと ふたりの愛は何だろう さよならだけが人生ならば 建てた我が家は何だろう さみしいさみしい平原に ともす明かりは何だろう さよならだけが 人生ならば 人生なんか いりません 『だいせんじがけだらなよさ』 さみしくなると言ってみる ひとりぼっちのおまじない わかれた人の思い出を わすれるためのおまじない だいせんじがけだらなよさ だいせんじがけだらなよさ さかさに読むとあの人が おしえてくれた歌になる さよならだけがじんせいだ さよならだけがじんせいだ.

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井伏鱒二のおすすめ小説6選!名訳「さよならだけが人生だ」で有名

さよなら だけ が 人生 だ

久しぶりに、人から貰ったメールで泣いた。 37歳になってそんなことがあるとは思わなかった。 「勧酒」という漢詩がある。 于武陵 うぶりょう という人が唐の時代に詠んだものだ。 引用する。 「勧 酒」 勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離 * 上記を引用したを参考にして、自分なりに訳してみた。 タイトル「飲ん方 のんかた 」 芋焼酎、ロックでいいよな? ロックだけどグラス一杯に注いだから、遠慮なんかすんなよ 花が咲いたってあめかぜで散るんだから 人生なんてさよならばっかりだなあ * ちょっと鹿児島テイストを入れてみた。 タイトルの「飲ん方」は、鹿児島弁で飲み会のこと。 なかなかに切ない漢詩なのだが、実はこれ、ある人が有名な訳をしている。 こんな訳だ。 「このさかづきをうけてくれ どうぞなみなみつがしておくれ はなにあらしのたとへもあるぞ さよならだけが人生だ」 より この最後の一文を「さよならだけが人生だ」と断じたのは井伏鱒二 いぶせますじ。 井伏鱒二は「山椒魚」を書いた人で、「走れメロス」の太宰治の色々世話をした人だった。 太宰の二人目の奥さんを紹介して媒酌人もしたのに遺書に「井伏さんは悪人です」と書かれた人だ。 ま、それはいいんだけど。 さよならだけが人生だ。 断じ過ぎだ。 言い切りすぎだ。 他にも人生の構成要素はある。 痛々しいほど能力が高い人との素晴らしい出会いとか、愛しい人とこたつに入る時間とか、歯を食いしばって頭をさげる仕事とか、伸びすぎるとくるくる巻いてしまうもみあげとか、ウイスキーにあわせる大根とからすみとか。 でも、今日だけは井伏鱒二に賛成だ。 仕事上の長い付き合いの人と、今日離れた。 あっさりとメールで別れた。 本当はちゃんと会ってお話したかったのだが、私からのかなり一方的なメールで別れることになってしまった。 私がまだ「書く」を仕事にしていなかった頃、私を信じて書かせてくれた人。 「書く」ことを私に一つ一つ教え、一緒にネタを悩んでくれた人。 その恩を私はまた、返せないまま別離をしてしまった。 別離を選んだ言い訳は100も200もある。 けれど、やっぱり恩返しをし尽くせなかったと思う。 こうやってまた私は、大切な人をないがしろにし、損なって生きていく。 そう思った瞬間、「さよならだけが人生だ」という井伏鱒二の訳を思い出した。 そして、ここに書かずにおれなかった。 もしかしたら、これはこんな意味なのかもしれない。 さよならをするとき、人は一番強く「人生」というものを感じる。 嬉しいときよりも、悲しいときよりも、そして苦しいときよりも、だ。 人との別離は、いつも私に大きなダメージを与える。 そしてさらに私にダメージを与えたのは、このメッセージだった。 「そして、最後に僕からのお願いを一つ。 もしも、僕が大腸系の病気になったら、中山さんに執刀してもらいたいです。 指名させてください。 これは、今までお付き合いしてきて、中山さんの人柄や向上心、医師としての真摯な姿勢に共感と尊敬の気持ちを感じているからです。 」 こんなに私のことを考えてくれている方から、なぜ私はこぎ出でるのか。 こぎ出でなければならないのか。 なぜなら、これが人生だからだ。 同じところをぐるぐる回っている訳にはいかないからだ。 居心地の良いところにずっと居てはいけないからだ。 「またどこかで」「またいつか」 別れの時に、こんな言葉を言うことが多い。 でも本当はみんなわかっているんだ。 「また」なんて無いってことを。 「どこか」も、「いつか」も無いのだということを。 さよならだけが人生なのだ。 今日ほどこの言葉が身に沁みた日はない。

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