ドン・キホーテ 評価。 ドン・キホーテに登場した1万2800円の激安「360度撮影ドラレコ」その実力は?

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ドン・キホーテ 評価

構想30年頓挫9回との触れ込みを見聞きした方も多いはず。 ギリアムの長年のファンなら2000年頃製作が進められ挫折した過程を収めたドキュメント「ロスト・イン・ラマンチャ」も観ているだろう。 もし未見なら、今作を観る前でも後でもいいのでぜひご覧あれ。 この壮大な奇作がよくぞ完成したものだとの思いを一層強めるに違いない。 騎士道物語の読み過ぎで自らを騎士だと信じたドン・キホーテ。 トビーの学生映画でドン・キホーテを演じたことで、自らがキホーテだと思い込んだ老人ハビエル。 ハビエルに従者サンチョだと勘違いされ共に旅するうち狂気と妄想の世界に飲み込まれていくトビー。 現実と虚構、正気と狂気がメタに入り混じって展開する物語と映像世界はまさにギリアム節!アダム・ドライバーはトビーみたいに少々ポンコツな感じのキャラが似合う。 ジョナサン・プライスは「2人のローマ教皇」と見比べるとその演技の幅に改めて感嘆させられる。 ネタバレ! クリックして本文を読む 「従者 Squire 」を「業者」と間違い続けますが、原語は"Squirrel"で「リス」の意。 米英語の俗語で「変人」。 これは和訳が難しいっすね。 さてさて。 ジョニデが主役を務める計画もあったドン・キホーテ。 「19年間の間に9回映画化に挑戦してその都度失敗した」と言う、この映画。 「映画史に刻まれる呪われた企画」だそうです。 なんとなく、分かる。 企画の初期では、トビーは21世紀から中世にタイムスリップする構想だったらしく。 そういう安易な方向に逃げる設定より、この映画の方が面白いと思う。 いずれにせよ、テリー・ギリアムは大御所です。 主役は今をときめくアダム・ドライバー。 キャストは地味に豪華。 実力派のベテラン男優人もさることながら、ロッシ・デ・パルマがチョイ役で出て来るところとか拍手したくなります。 ひょんな事から、ちょっとづつ階段を踏み外して転落していくトビーは、狂人と化したハビエルと再会。 彼は、自らをドン・キホーテと思い込んでいる様子 最後、彼は全てを承知の上で演じていたことが明らかになります。 そこから始まる二人の珍道中。 結構楽しかった。 お城に入る前後から、理性が邪魔して、置いてけぼりになったけどw まぁ、緩く色んなものをぶッ込んだ、こんな冥作に19年の歳月を掛け、五カ国から資金を集め、世界中の劇場で公開した変人ぶりに敬意を表したいと思います。 マジで、ミイラ取りがミイラになるまでの白昼夢、みたいな現実離れしたコメディ。 主人と従者の新たな関係。 この最後のセリフが、妙にエロくてw トビー、何考えてんの? で、思うんですよ。 これ、北米では酷評らしいけど。 アメリカで酷評される映画は一見の価値あり。 これが俺的な21世紀の定義ですw 愉しかった。 ソコソコ。 構想30年。 挫折を繰り返しながら、晩年のギリアムが創作意欲のままに作った怪作。 ギリアム作品の王道にして集大成。 それでいて現代の大衆映画の型に全く当てはまらない魅力に溢れていた。 映画監督を目指したかつての青年。 映画でドン・キホーテを演じ、その役にのめり込み人生を狂わされた老人。 2人の現実と虚構が入り混じり、その境界が曖昧になる程に心地良い。 フィクションにおける麻薬のようなこの中毒性こそ、映画のマジックにして最大の"快楽"なのかもしれない。 だからこそ我々はもう1度それをを味わうべく何度も映画の世界に浸るのだろう。 それはテリー・ギリアム監督自身の人生も同じだったに違いない。 映画に人生を狂わされ振り回され、それでも創らずにはいられない。 周りから見たらそれは狂人に他ならないのかもしれない。 ドン・キホーテと同じだ。 それでも構わない。 映画という作品を生み、そこで生きる事こそ全て。 興行収入も他人の評価もここでは関係ない。 自分の衝動のままに創作する。 それで良い。 ビジネス先行のシリーズ続編が乱立する中、ギリアムは魂を映像に込めた。 その創作意欲は老いて尚衰えを知らない。 いや晩年を迎えたからこそ、誰にも気を使わず自分に向き合った作品を伸び伸びと創れたのかもしれない。 それが本作の心地良さなのだろう。 虚構の中で永遠に生き続けられたら人はどんなに幸せか。 ドン・キホーテのクライマックスは、そんな想像をせずにはいられないものになっている。 いつの時代にも人には夢が必要なのだ。 その時と全く同じシーンもあれば、当時の製作時の体験を自虐的に ? 盛り込んだり、あるいはもっと最近・今日の要素も積極的に取り込んだりもしていて、しっかりと工夫やアップデート推敲も試みられている。 ちなみなアダム・ドライバーはいつもの彼の髪型のトップを上に留めている形だけど、長さとかが丁度当時のジョニー・デップと似た具合で、ヴァネッサ・パラディが演じる予定だった役柄も似ていた。 ドン・キホーテは確かに生きていた、そして今もこれからも --- テリー・ギリアム念願も念願、超待望の企画がこうやって遂に映画館で見られる日が来るとは!!! しかも、もっと見にくい攻めた作品かと思っていたら、思っていたよりずっと見やすかった。 一見ハチャメチャなのに一本しっかりと筋が通っていて目覚めに良い。 「仕掛けが満載よ、気にいるわ」 "I will live forever. ' 今年映画館鑑賞10本目 寺山修司作品のような劇中劇は夢落ちのようで夢に落ちない現実世界がファンタジックに展開する。 このストーリーは、テリーギリアム監督自身の自伝みたいなものなのかもしれないと思った。 アダムドライバーはスターウォーズよりブラッククランズマンより巧い良い芝居を見せてくれる。 ジョナサンプライスは未来世紀ブラジルから30年を経て、この役に就いてくれてありがとう。 オルガキュレンコは鉄板の美麗さだったが大した仕事はしていないw ま、これも鉄板か?w それよりアンジェリカ役のジョアナリベイロが魅力的で気になる。 追いかけてみたい。 ケチをつけるなら、翻訳がイマイチ。 駄洒落部分が落とし込めてなかった。 町山さんなんかがよかったかもねぇ。 松浦美奈さんあたりでも good questionを「良い質問」と訳してしまうのかぁと少し驚き。 とかなんとか並べちゃいましたが こんな素晴らしい作品の上映館が少ないのが辛い。 めっちゃ見応えのあるイカレタイカした作品。 超絶オススメ! ネタバレ! クリックして本文を読む 自分をドン・キホーテと信じてやまない男と、業界人風を吹かせるいけ好かない男の物語。 アリスの時計うさぎを担うのは不思議とだんだん可愛く見えてくるジプシー。 村に行ったあたりから、 現実と夢(悪夢)がどんどんぼやけていってその境目は最後には消えている。 映画館を出た後、自分は何の世界にいるのか分からなくなる脳のふわふわを味わえる。 おかしいと分かっていたはずなのに、何度も繰り返されることで何を基準にそんなことを…のループ。 もうテリーギリアムの世界に引き込まれている。 繰り返される「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」はまるで呪文のよう。 見えているものは真実か、まやかしか、気がつきたくない現実なのか。 あのムーンライトショー と勝手に名付ける では、現実よりも夢のほうが真っ当に思えた。 ものを作るということ。 作り手は思い描いた世界を実現することに必死だ。 鑑賞者は目の前で起きていることのエンターテイメント性を、 ビジネスマンは成功したかそうでないかを。 でも作品の背後にはそれだけでは推し量れない関わるものたちの感情や事件が隠れている。 それらを無視することもできない。 しかし全てに汎用であろうとすると作りたかった世界には到底辿り着けない、どうすりゃいいのよ、という苦悩が伝わってきた。 そもそも世界は不可解なもので、人間は不安定や理解不能を本質とするのであって、そこではたえず幻想・喪我・忘我のトランスが起こる。 この老人は確かに狂人だけど、見ているうちに幻想のほうに私たちの軸足が移っていく。 小峠みたいに「なんて日だ!」と叫びたくなるような散々な旅。 ところが徐々に現実と幻想が逆転していく。 実は幻想こそ真理なのだ。 ついに「夢から覚めないでほしい」という感覚に陥る。 キホーテの天敵、妖術師。 現代の妖術師は映画製作者かもしれない。 人々に虚構を見せて金貨を得る。 10年前のロケの情熱は永遠のものだった。 ラウルの店で靴屋がキホーテになった瞬間、回ってないカメラの前で踊るアンジェリカ… 情熱を取り戻し、妖術師に立ち向かうには、自分の中のキホーテにご登場願うしかない。 気高さと純情と愛のためならば、痩せたロシナンテにまたがり、サンチョを従えて荒野の果てまで突き進むのだ。 創造性と狂気は紙一重である。 目覚めるわけにはいかないのだ。 テリーギリアムそのもののような映画だった。 30年かけた本作を私は絶賛する。 そして、アダムドライバーは当代きっての名優。 テキトーな映画には決して出ない。 ネタバレ! クリックして本文を読む スペインで「ドン・キホーテ」の映画を監督中のトビー(アダム・ドライヴァー)。 トラブル続出で製作に行き詰った感がある。 出資者(ステラン・スカルスガルド)から、「他の映画からアイデアをいただけばいい」と助言され、酒場の物売りの籠から手にしたDVDは『ドン・キホーテを殺した男』。 この作品は、自分が学生時代の卒業制作で撮った作品で、小さな賞ももらった・・・と思いだしたトビーは、現在のロケ地からほど近い、件の映画を撮影した村へと向かう。 村にたどり着いたトビーは、ドン・キホーテを演じた靴屋の老人(ジョナサン・プライス)はその後自分をドン・キホーテと思い込み人里離れて暮らしていると聞き、また、ヒロイン・ドルシネア姫を演じた娘(ジョアナ・ヒベイロ)はスターの座を目指して大都会へ出ていったしまったと聞く。 そして、再会した靴屋の老人は、すっかりドン・キホーテになりきっており、トビーを従者サンチョ・パンサと思い込む・・・ といったところからはじまる物語。 その後、ドン・"靴屋の老人"・キホーテとサンチョ・"映画監督トビー"・パンサが遭遇する悪夢のような事柄が描かれていくわけだが、現実と悪夢とが混然一体となった物語はテリー・ギリアム監督の過去作品『未来世紀ブラジル』と同じような趣向。 だが、あちらは、管理社会(=現実)下での日本風な夢想、と切れ目切れ目はわかりやすかったが、本作では、現実と悪夢との境目がわかりづらい。 わかりづらい、というと難解なように思えるかもしれないが、現実も悪夢もそれほど大差ない、といえばいいかもしれない。 米国CM監督によるスペインでの大規模映画の撮影、出資者のボスがさらに出資を請う大物はロシア人、スペインの片田舎にはモロッコから難を逃れてきたイスラム教の難民たち・・・ 国というボーダーは消え失せていながらも、それぞれのナショナリズム意識は高い。 その上、個人はいつでも「俺、俺、俺」と言っている(と、これは、ドン・"靴屋の老人"がサンチョ・"映画監督トビー"に対して言う台詞だが)。 なんだか秩序は消えてしまい、現実が悪夢なのか、悪夢が現実なのかが判然としない・・・そんな世の中になってしまったわけだ。 そんな物語の中で、悪夢をみるのは、常に、サンチョ・"映画監督トビー"であり、ドン・"靴屋の老人"は悪夢なんぞはみない。 この構図がおもしろい。 正気を失ったものには普通に見える世界・・・ 最後に、ドン・"靴屋の老人"は、自分が「靴屋の老人」であることに気が付くのだが、これがあまりにも虚しく、哀しい。 そしてその代わりに、サンチョ・"映画監督トビー"がドン・キホーテになってしまうわけだが、普通であるためにはしかたがない必然、と感じられる。 幾度も、製作と中断・中止を繰り返した本作、完成するときには、あっさり完成する。 それは、テリー・ギリアムが悪夢と思っていた世界に、現実の世界が追いついてしまったからではありますまいか。

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ドン・キホーテ 評価

概要 [ ] 前編の原題は、" El ingenioso hidalgo Don Quixote de la Mancha"。 セルバンテスは前編の序文の中で、牢獄の中でこの小説の最初の構想を得たことをほのめかしている。 彼は生涯において何度も投獄されているが、おそらくここで語られているのは税金横領の容疑で入獄した1597年の監獄のことであろう(ただし、「捕虜の話」など話の本筋ではない挿話のいくつかは、それ以前に書いたものである) [ ]。 セルバンテスは釈放後、で多くの家族を養いながら前編を書き上げ、1605年にのファン・デ・ラ・クエスタ出版所から出版した。 前編はたちまち大評判となり、出版した年だけで海賊版を含め6版を数え、1612年には早くも英訳が、1614年には仏訳が登場した。 だが作品の高い評価にもかかわらず、版権を売り渡してしまっていたためセルバンテスの生活は依然困窮していた。 後編は、" Segunda parte del ingenioso caballero Don Quixote de la Mancha" として1615年に同じくファン・デ・ラ・クエスタ出版所から出版された。 前編と同様に大評判となったが、セルバンテスは相変わらず貧しいまま、1616年に没した。 前編はセルバンテスの短編集としての色合いが濃く、作中作「愚かな物好きの話」(司祭たちが読む小説)、「捕虜の話」、「ルシンダとカルデーニオの話」など、ドン・キホーテとは直接のかかわり合いのない話が多く挿入されている。 また、前編の第一部(ドン・キホーテ単独の一泊二日の遍歴)も、ひとつの短編小説としての構成をもっている。 後編ではこの点を作者自身反省して、脱線を無くしている。 贋作『ドン・キホーテ』 [ ] 、 ()と名乗る人物が『ドン・キホーテ』の続編を発表した(原題: Segundo tomo del ingenioso hidalgo Don Quixote de la Mancha )。 だがこれはセルバンテスが書いたものでもなければ、許可を取ったものでもない。 すでにベストセラーとなっていた『ドン・キホーテ』の名前を利用しただけの贋作である。 セルバンテスが後編執筆中に出版されたため、『ドン・キホーテ』後編のなかで、この贋作が『ドン・キホーテ』前編とは無関係であることを何度も主張し、さらには贋作のドン・キホーテに対抗して行き先をからに変更している。 アベジャネーダの正体は、300年以上も謎のままであったが、現在では1988年マルティン・デ・リケールが提起した ヘロニモ・デ・パサモンテ説が有力となっている。 この人物は、後述するヒネス・デ・パサモンテのモデルになった人物であり、セルバンテスとともにを戦って捕虜になった人である。 メタフィクション [ ] 『ドン・キホーテ』には多くのが導入されている。 司祭と床屋がドン・キホーテの蔵書を批評する場面ではセルバンテス自身の作品である『ラ・ガラテーア』も取り上げられている。 後編では「前編が出版されて世に出回っている」という設定となっており、登場人物たちが前編の批評を行い、矛盾している記述の釈明を行ったりする。 また、前編でドン・キホーテを知った人々が、前編での記述をもとにドン・キホーテ主従に悪戯をしかける。 また、上述の贋作についても度々言及されており、「ドン・キホーテを騙る人物が存在し、贋作はこの2人の道中記である」という設定になっている。 主な登場人物 [ ] ドン・キホーテの像(マドリッド、スペイン広場にて) ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ 本編の主人公。 本名をアロンソ・キハーノというラ・マンチャのとある村に住む50歳ほどのだが、の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなってしまい、遍歴のに成り切って、痩馬のと共に世の中の不正を正す旅に出る。 自分をとりまく全てを騎士道物語的な設定におきかえて認識し次々とトラブルを巻き起こすが、それ以外の点では至って理性的で思慮深い人物。 三度の旅の後、病に倒れると共に正気を取り戻すが、間もなく死亡する。 サンチョ・パンサ 「パンサ」は「太鼓腹」の意。 ドン・キホーテの近所に住んでいる農夫。 「将来島を手に入れたあかつきには統治を任せる」というドン・キホーテの約束に魅かれ、彼の従士として旅に同行する。 奇行を繰り返すドン・キホーテに何度も現実的な忠告をするが、大抵は聞き入れられず、主人とともにひどい災難に見舞われる。 無学ではあるが、様々なをひいたり機智に富んだ言い回しをする。 移動にはロバを使用している。 ドゥルシネーア・デル・トボーソ ドルシネア 近くの村のアルドンサ・ロレンソという百姓娘を元にドン・キホーテが作り上げた空想上の貴婦人。 ドゥルシネーアの美しさ・気だてのよさ・その他の美点を世界中の人々に認めさせるのがドン・キホーテの遍歴の目的のひとつである。 ペロ・ペレス ドン・キホーテと同じ村の司祭。 ニコラス親方 ドン・キホーテと同じ村の床屋。 ヒネス・デ・パサモンテ 泥棒の罪で囚人となり、送りにするため連行されていたところをドン・キホーテに助けられるが、他の囚人とともにドン・キホーテを袋叩きにして去る。 後編で、人形遣いの旅芸人ペドロ親方として正体を隠して登場する。 公爵夫妻 後編より登場。 本名は不明。 すでに出版されていた『ドン・キホーテ』前編のファンで、ドン・キホーテ主従を厚く歓待しつつ、様々な方法で彼らに悪戯を仕掛ける。 サンソン・カラスコ 後編より登場。 ドン・キホーテと同じ村の住人で、の予科学士。 ドン・キホーテに村で静養する約束を取り付けるべく、自ら「鏡の騎士」なる遍歴の武芸者に扮して決闘を挑むも、あえなく返り討ちに遭う。 その後「銀月の騎士」として再度挑み、今度は勝利をおさめたため、ドン・キホーテは村に帰還することになる。 シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ モーロ人(アラビア人)のであり、『ドン・キホーテ』の原作者とされる。 作中に直接登場することはない。 『ドン・キホーテ』はシデ・ハメーテの記録をセルバンテスが編纂したものであると作中では説明されているが、実際にはシデ・ハメーテは架空の人物であり、『ドン・キホーテ』は完全にセルバンテスの創作である。 あらすじ [ ] 風車に突進するドン・キホーテ(ギュスターヴ・ドレによる挿絵) ラ・マンチャのとある村に貧しい暮らしの郷士が住んでいた。 この郷士は騎士道小説が大好きで、村の司祭と床屋を相手に騎士道物語の話ばかりしていた。 やがて彼の騎士道熱は、本を買うために田畑を売り払うほどになり、昼夜を問わず騎士道小説ばかり読んだあげくに正気を失ってしまった。 狂気にとらわれた彼は、みずからが遍歴の騎士となって世の中の不正を正す旅に出るべきだと考え、そのための準備を始めた。 古い鎧を引っぱり出して磨き上げ、所有していた痩せた老馬をロシナンテと名付け、自らもドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗ることにした。 最後に彼は、騎士である以上思い姫が必要だと考え、エル・トボーソに住むアルドンサ・ロレンソという田舎娘を貴婦人ドゥルシネーア・デル・トボーソとして思い慕うことに決めた。 用意がととのうと、彼はひそかに出発した。 冒険を期待する彼の思いと裏腹に、その日は何も起こることなく宿屋に到着した。 宿屋を城と思いこみ、亭主を城主だと思いこんでしまっていたドン・キホーテは、亭主にみずからを正式な騎士として叙任してほしいと願い出る。 亭主はドン・キホーテがいささか気の触れた男であることを見抜き、叙任式を摸して彼をからかうが、事情を知らない馬方二人が彼の槍に叩きのめされてしまい、あわてて偽の叙任式を済ませた。 翌日ドン・キホーテは、遍歴の旅にも路銀や従士が必要だという宿屋の亭主の忠告に従い、みずからの村に引き返すことにした。 だが途中で出会ったの商人たちに、ドゥルシネーアの美しさを認めないという理由で襲いかかり、逆に叩きのめされてしまう。 そこを村で近所に住んでいた百姓に発見され、ドン・キホーテは倒れたまま村に帰ることになった。 打ちのめされたドン・キホーテの様子を見た彼の家政婦と姪は、この事態の原因となった書物を残さず処分するべきだと主張し、司祭と床屋の詮議の上でいくつか残されたものの、ほとんどの書物が焼却され、書斎の壁は塗りこめられることになった。 やがてドン・キホーテが回復すると、書斎は魔法使いによって消し去られたと告げられ、ドン・キホーテもそれに納得した。 遍歴の旅をあきらめないドン・キホーテは近所に住む、教養の無い農夫サンチョ・パンサを、手柄を立てて島を手にいれ、その領主にしてやるという約束のもと、従士として連れていくことにした。 ドン・キホーテは路銀をそろえ、甲冑の手直しをして二度目の旅に出た。 やがてドン・キホーテとサンチョは3〜40基の風車に出くわした。 ドン・キホーテはそれを巨人だと思いこみ、全速力で突撃し、衝突時の衝撃で跳ね返されて野原を転がった。 サンチョの現実的な指摘に対し、ドン・キホーテは自分を妬む魔法使いが、巨人退治の手柄を奪うため巨人を風車に変えてしまったのだと言い張り、なおも旅を続けるのだった… 後編 [ ] 遍歴の旅から戻ったドン・キホーテはしばらくラ・マンチャで静養していた。 その間目立った奇行も見られなかったのだが、一月ほど後に司祭と床屋が訪れると、やはり狂気は治癒していないことが判明した。 そんな中、ドン・キホーテの家にサンソン・カラスコという学士が訪れる。 カラスコが言うには、ドン・キホーテの伝記が出版され(すなわち『ドン・キホーテ 前編』)、広く世の中に出回っているのだという。 ドン・キホーテ主従とカラスコは、伝記に書かれた冒険について、また記述の矛盾についてひとしきり語り合うのだった。 やがてドン・キホーテとサンチョは三度目の旅立ちの用意をかため、出発する。 ドン・キホーテの姪や家政婦は引き止めようとするが、カラスコはむしろ彼の出発を祝福して送り出した。 旅立ちを果たした主従が最初に向かった先は、エル・トボーソの村であった。 ドン・キホーテが三度目の出発にドゥルシネーアの祝福を受けたいと考えたためであった。 彼はサンチョに、ドゥルシネーアを呼んでくるように頼むが、サンチョは困惑する。 ドゥルシネーアは架空の人物であるし、モデルとなったアルドンサ・ロレンソのこともよくは知らなかったためである。 結局サンチョは、エル・トボーソの街から出てきた三人の田舎女を、ドゥルシネーアと侍女だと言い張ることにした。 その結果、ドン・キホーテは田舎娘をドゥルシネーアと見間違えることはなかったが、自分を憎む魔法使いの手によってドゥルシネーアを田舎女の姿に見せる魔法をかけられているものだと考え、彼女らの前にひざまずき、忠誠を誓ったがまったく相手にされなかった。 ドン・キホーテは、心の支えであったドゥルシネーアにかくも残酷な魔法がかけられたことを繰り返し嘆いた。 やがて主従は、「鏡の騎士」と名乗る、恋に悩む遍歴の騎士と出会う。 ドン・キホーテは鏡の騎士と意気投合し、騎士道についてさかんに語り合うが、鏡の騎士が「かつてドン・キホーテを倒した」と語ったのを聞くと、自らがドン・キホーテであると名乗り、彼の発言を撤回させるために決闘を挑む。 勝負はドン・キホーテが勝利した。 鏡の騎士の乗っていた馬が駄馬であったためである。 落馬した鏡の騎士の兜を取ってみると、正体は学士のサンソン・カラスコであった。 カラスコはドン・キホーテを決闘で打ち負かすことによって村に留まらせることを目論んでいた。 騎士らしい決闘によればドン・キホーテに言うことを聞かせられるだろうと考えたからである。 しかしドン・キホーテの勝利により企ては失敗に終わった。 当のドン・キホーテはと言うと、目の前のカラスコは魔法使いが化けた偽者ということにして片づけてしまった。 やがて、ドン・キホーテ一行のところに国王への献上品のライオンをのせた馬車が通りがかり、これを冒険とみたドン・キホーテは、ライオン使いに対して、ライオンと決闘したいと願い出る。 その場にいたものすべてがドン・キホーテを止めようとするが、ドン・キホーテは聞く耳を持たず、さかんにライオン使いを脅すので、やむなくライオン使いは檻の鉄柵を開け放つ。 何度もライオンを大声で挑発するドン・キホーテだが、ライオンはドン・キホーテを相手にせずに寝ころんだままだったので、ドン・キホーテは不戦勝だとして納得し、これから二つ名を「ライオンの騎士」とあらためることにした。 やがて主従は、立ち寄った先でカマーチョという富豪の結婚式に居合わせる。 カマーチョは金にものを言わせてキテリアという女性と結婚しようとしていたが、結婚式の場にキテリアの恋人であるバシリオが現れ、狂言自殺をしてキテリアとカマーチョの婚姻を破棄させる。 その場にいた大勢の客がもめて大騒ぎになろうとしたところを、ドン・キホーテが仲裁に入り、事なきを得た。 バシリオとキテリアはドン・キホーテに感謝し、彼を住まいに招いた。 彼はそこに三日滞在したが、その間に二人に思慮深い二三の助言を残した。 なおも旅を続けた二人は、鷹狩りの一団の中にいた公爵夫人に出会う。 彼女はドン・キホーテとサンチョを見るやいなや、すぐに自分の城に招待した。 というのも、公爵も夫人も『ドン・キホーテ』前編をすでに読んでおり、ひとつこの滑稽な主従をからかってやろうと思ったからである。 そんな企みには全く気づかないドン・キホーテは、公爵夫妻の城で遍歴の騎士にふさわしい壮大な歓待を受け感動するが…。 評価 [ ] 『ドン・キホーテ』が出版された当初は滑稽本として高い評価を受けており、ドン・キホーテのキャラクターも道化としてのイメージで受けとられた。 17世紀初頭には早くも、スペイン本国や南米で行われたいくつかの祭りで、ドン・キホーテに扮した人物が人々の笑いをとったという記録が残っている。 セルバンテスの伝記研究と共に実証的な作品研究が始まったのは、18世紀のイギリスからである。 1738年にセルバンテスの伝記が初めて出版されたのを期に研究の気運が高まり、それに呼応する形でスペイン本国での実証研究が始まった。 この時代の解釈の特徴は、『ドン・キホーテ』から、騎士道に代表される古き悪習を諷刺し、やがて打倒につながったという道徳観や、批判精神を読み取っていることである。 だが19世紀に入ると、これとも全く異なる読み方が登場する。 19世紀の解釈はによるもので、の解釈が典型的である。 彼は『作家の日記』の中で『ドン・キホーテ』を「人間の魂の最も深い、最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって、ここに見事にえぐり出されている」、「人類の天才によって作られたあらゆる書物の中で、最も偉大で最ももの悲しいこの書物」(版、訳より引用)と評した。 19世紀はこのような、ドン・キホーテの感情を尊重した悲劇的な解釈が主流になったが、現在ではこの見方もなどによって批判されている。 20世紀の文芸評論家は、ドン・キホーテをの大傑作であるとして評価している。 そしてこの文学の系譜を忠実に受け継いだのが、19世紀のドストエフスキーだと述べた。 2002年5月8日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した、世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で1位を獲得した。 他メディアへの展開 [ ] 音楽 [ ] がこの小説を題材に作曲したが最も有名である。 を参照。 その他には次の作曲家が取り上げている。 - 管弦楽組曲• - 劇付随音楽『ドン・キホーテの滑稽な物語』• - オペラ• - オペラ『』• - バレエ音楽(後述)• - 人形劇オペラ『』• - 連作歌曲集『』(元はシャリアピン主演の映画(後述)のために作曲された)• - 交響的エッチング「ドン・キホーテ」(アゼルバイジャンの作曲家による1960年作の組曲)• - 交響曲第3番「ドン・キホーテ」 「」で、この小説を題材にした「ドン・キホーテ」(初放送:1981年2月、作詞:、作曲:、唄:)という楽曲が存在する。 映画・演劇 [ ] 映画化作品としては監督の『 ()』(Don Quichotte 1933年 フランス)が有名。 主演はロシア出身の歌手。 が劇中歌を含む音楽を作曲している。 演劇作品としては、のが脚色した初演のミュージカル、『』が有名である。 この作品は、『ドン・キホーテ』をストレートにドラマ化するのではなく、作者のセルバンテスが教会侮辱の罪で捕らえられた後の牢獄が舞台となっている。 この牢獄で、牢名主に『ドン・キホーテ』の原稿を取り上げられそうになったことから、セルバンテス自身がドン・キホーテを演じて理解を求める、という重層的な構造とされている。 日本でもミュージカルの舞台として上演されており、 の当たり役として評価が高い。 には映画化されている。 が映画化を試みたが、完成しなかった。 を参照。 が『』と題して、独自の脚色を加えた映画化を試みたが、撮影6日目にして中止を余儀なくされた。 この経緯は『』と題したドキュメンタリー映画として公開された。 『BS海外傑作ドラマ特選ドン・キホーテ』監督、脚色、主演で、本国スペインにてドラマ化。 日本では1992年7月28日、29日、30日の三夜連続でNHK衛星第二でオンエア。 声の出演は、。 バレエ『ドン・キホーテ』 バレエ [ ] 音楽は。 クラシックバレエのは後編第19章から第22章にかけての婚礼の話が主な題材であり、物語の中心は若い男女の恋物語となっている。 ドン・キホーテ自身はどちらかと言えばの役回りであり、踊る場面もないが、第2幕には彼が風車に突撃する前篇第8章の有名なエピソードも織り込まれている。 プロローグ• 書斎で騎士物語を読みふけるドン・キホーテは次第に現実と空想の境目がなくなり、サンチョ・パンサを従者に、物語の中に出てきたドルシネア姫に会いに旅に出る。 第1幕• 舞台はスペインの市場。 床屋の息子バジルと宿屋の娘キトリは愛し合っているが、父親はキトリを金持ちのガマーシュと結婚させたい為、二人の仲を許してくれない。 闘牛士達も現れ、活気づく街に突然風変わりな風貌のドン・キホーテ一行が現れる。 ドン・キホーテはキトリをドルシネア姫だと思い込んでしまう。 第2幕• 市場の騒動の合間にバジルとキトリは駆け落ちし、の宿営地にたどりつく。 二人を追いかけてドン・キホーテ達もやってくる。 やがて、ロマたちによる人形劇がはじまるが、ドン・キホーテは人形劇に登場する悪者を敵と勘違いし台無しにし、仕舞には風車を巨大な敵だと勘違いして突撃し、意識を失う。 意識を失ったドン・キホーテは夢の中でドルシネア姫に会う。 舞台は居酒屋にうつる。 どうしても結婚を認めないキトリの父に対し、バジルは狂言自殺をし、その演技に騙され父親は結婚を認めてしまう。 第3幕• キトリとバジルの結婚式が盛大に行われる。 ドン・キホーテはドルシネア姫を探してまた旅に出る。 アニメ [ ]• 『』 当作品をコミカルに強調してアレンジした作品。 イメージキャラクター [ ]• 、にオープンした、スペインをテーマとした。 『ドン・キホーテ』の登場人物をアニメ調の動物に置き換えたものをイメージキャラクターとして用いている。 園内施設「カンブロン劇場」では、これを用いたオリジナルのアニメーション作品も上映している。 日本語訳 [ ]• 訳 『鈍機翁冒険譚』 (『世界文庫』 第9・10篇)、博文館、1893年10月、11月。 最初の日本語訳(抄訳)。 訳 『才智あふるる郷士 ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ』 前篇・後篇• 『』 第39・40巻、1965年2月、3月。 他社の「世界文学全集」にも収録• (1985年)/(1987年)で再刊、各・全4冊• 訳 『ドン・キホーテ 正編』 、全3冊、岩波書店、初版1948-1951年/改版1971年。 訳 『ドン・キホーテ』 、1965年/『世界文学全集 6』 、1976年、正編のみ。 訳 『新訳 ドン・キホーテ』 前篇・後篇、、1999年。 牛島信明訳 『ドン・キホーテ』 岩波文庫、全6冊、岩波書店、2001年。 同ワイド版、2010-2011年。 訳 『ドン・キホーテ』 全4冊、、2005年。 訳 『新訳 ドン・キホーテ』 前編・後編、、2012年。 岡村一訳、注釈 『ドン・キホーテ』 前篇・後篇(『セルバンテス全集』 第2・3巻)、、2017年。 ギュスターヴ・ドレの挿絵を主体としたもの [ ]• 編訳 『ドン・キホーテ物語』 、2007年。 ヴィルジリ・妙子、ヴィルジリ・クリスティーナ・幸子編訳 『ドレの絵で読むドン・キホーテ』 、2011年。 谷口江里也編訳 『ドレのドン・キホーテ』 、2012年。 贋作ドン・キホーテ [ ]• アベリャネーダ著、岩根圀和訳 『贋作ドン・キホーテ』 ちくま文庫(上・下)、筑摩書房、1999年。 脚注 [ ]• 「ドン」は郷士より上位の貴族の名に付く。 「デ・ラ・マンチャ」は「の」の意で、出身地を表す。 つまり「ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿」と言った意味合い。 永田訳では『奇想驚くべき郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ正編』、会田訳では『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ前篇』、牛島訳では『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』、荻内訳では『奇想天外の郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』、岩根訳では『才智あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ前篇』の訳があてられている。 永田・高橋訳では『奇想驚くべき騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ続編』、会田訳では『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ後篇』、牛島訳では、『機知に富んだ騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ後篇』、荻内訳では『奇想天外の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ第二部』、岩根訳では『才智あふれる騎士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ後篇』。 太字はセルバンテスによる後編との題名の違い。 贋作では前編と同じく郷士(hidalgo)であるが、セルバンテスによる後編では騎士(caballero)となっている。 これは前編の作中でドン・キホーテが騎士に叙任されているためだが、セルバンテスが後編執筆中に『贋作ドン・キホーテ』が出版されたことも関係している可能性がある。 続編を表す語(Segunda parte と Segundo tomo)も異なる。 訳者による『ドン・キホーテの食卓』(新潮選書、1987年)がある。 訳者による『贋作ドン・キホーテ ラ・マンチャの男の偽者騒動』(中公新書、1997年)がある。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 - (英語)• - (英語).

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ドン・キホーテ 評価

バレエ作品『ドン・キホーテ』とは? スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説が原作となっている『ドン・キホーテ』。 17世紀初頭には、滑稽本として高い評価を受けたドン・キホーテを真似した人々がお祭りで笑いをとったという記録まで残っているのだとか。 そんなドン・キホーテ、実はクラシックバレエでは主役ではありません。 ドン・キホーテはあくまでも脇役であり、物語はバジルとキトリの恋物語として進んでいきます。 ストーリーを教えて! プロローグ 騎士物語を読みふけるドン・キホーテは、次第に現実と空想の区別がつかなくなってしまいました。 そして、騎士物語に出てきたドルシネア姫に会うために旅に出ることに…。 【第1幕】 スペインの市場。 床屋の息子バジルと宿屋の娘キトリの2人は恋人同士。 しかし、キトリの父親はキトリをお金持ちのガマーシュと結婚させたいと考えており、バジルとキトリの結婚を許してはくれません。 そこへドン・キホーテが現れます。 ドン・キホーテは、キトリをドルシネア姫だと思い込んでしまいます…。 【第2幕】 駆け落ちしたバジルとキトリ。 ドン・キホーテもキトリを追いかけてやってきました。 そこで行われていた人形劇と読みふけっていた騎士物語が混ざり、混乱したドン・キホーテは意識を失います。 舞台は再び居酒屋。 どうしても結婚を認めてくれないキトリの父親に対し、バジルは自殺する振りをして父親を騙すことに。 その結果、キトリの父親は2人の結婚を認めてくれたのでした。 【第3幕】 キトリとバジルの盛大な結婚式。 ドン・キホーテはというと、再びドルシネア姫を探して旅に出るのでありました…。 どんな歴史があるの? ドン・キホーテの音楽は、ロシアで活躍した作曲家レオン・ミンクスによって作曲されました。 振り付けは、マリウス・プティパです。 ドン・キホーテは、前編が1605年に出版され、1615年には後編が出版されました。 『ドン・キホーテ』を動画でご紹介! 日本を代表するバレエダンサー熊川哲也さん演じるドン・キホーテは、エネルギーに溢れています。 確かな技術と豊かな表現力は、観る者の心を一瞬にして掴んでしまうほど。 まとめ バレエ作品『ドン・キホーテ』をご紹介しましたがいかがでしょうか? 言葉のないバレエ作品は、内容やストーリーが分かりにくいと敬遠しがち。 しかし実際は、バレエに興味のない方にも分かりやすく作られているため、下調べなしの状態で観劇しに行ったとしても楽しめると思います。 そんなバレエ作品の中でも、特にドン・キホーテは滑稽にも思える内容と登場人物の個性、美しいバレエが織りなす躍動感溢れる作品です。 あなたもドン・キホーテと一緒に、現実と空想の境を楽しんでみませんか?.

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