三橋貴明 信用できる?。 ボロロン速報 : 三橋貴明「日本は韓国に経済力で抜かれるけど韓国は格差がひどいから実質日本の勝ちだ! 2ch「三橋くんは芸人枠」「格差社会真っしぐら」「日本の格差も酷いけどな」

ボロロン速報 : 三橋貴明「日本は韓国に経済力で抜かれるけど韓国は格差がひどいから実質日本の勝ちだ! 2ch「三橋くんは芸人枠」「格差社会真っしぐら」「日本の格差も酷いけどな」

三橋貴明 信用できる?

私はミクロ経済学を学び銀行員として日々仕事をしているが、三橋氏を評価する。 データを示してわかりやすく経済を説明した功績があると評価しています。 まあ、批判の多い人ですし、池田信夫や同志社教授の浜矩子などとは思想的にも正反対で、よく三橋氏は彼らに批判されてます でも、じゃあ、既存のエコノミストや学者が真っ当なことを言っているかと言えば、そう思わない。 むしろ、既存の学者・エコノミスト・マスコミのほうが問題が多い 三橋氏は「日本は国民国家なのだから、国民にとって良い経済政策を行うべき。 その点で、デフレは解消すべきだし、公共投資はすべきだし、TPPは大反対。 なぜなら国民経済にマイナスになるから。 」という主張は一貫している 結局、いろんな経済学者やエコノミストの本で、三橋氏や思想が似ている上念司氏、藤井聡氏、中野剛志氏に対する反論本を読んだが、 本来、批判するなら、きちんと例えば「三橋氏の主張で内需拡大すべきというが、グローバリズムのほうがGDPにプラスになる。 」 といった建設的な反論をすべきなのに、一切そういう意見が出ない 結局、エコノミストや学者どもは「世界に打って出て競争力をつけるべき」とか「財政破たんするので公共投資は反対」「アベノミクスは古い」とかデータや反論根拠を示さず、情緒的な反論しかしない。 非常に悪質だ 反論するなら、三橋氏の主張について、データを含めて批判検証して「こっちの方が良い」とか「それではプラスにならない」と言ってほしい。 日本のためになる対案すら出してこない あと、日本の学者は、安易にグローバリズムが良いとか、日本は古いから、構造改革すれば日本は良くなる的な主張が多すぎる いちおう経済学を学んだ身からすると、構造改革が進み過ぎた結果、雇用などが不安定になり収入も減ると、エッジワース均衡が成立しない(正確にいうと、マイナスの値で均衡となる)状況になるという分析が出ている。 つまり、お金が無いので物が買いたくても、買いたい値段での折り合いがつかず均衡が成立しないという状況になる お金があってモノがあれば、値段が決まるというけれど、そもそもの前提となる社会が不安定で需給が成立しなかったら経済が成り立たないってことを考えない学者が多すぎる 三橋に反論したり批判する学者どもは 「じゃあ日本はどうしたらよくなるのか?」とか 「日本国民はどうしたら幸せになるのか?」っていう対案を出さない。 驚くほど見たことが無い。 ただの批判じゃ意味が無い。 三橋氏もたまに議論や主張を強引に飛ばしすぎることがあるのは事実。 でも「日本が豊かになり、日本国民が幸せになるための政策」をきちんと主張する点で首尾一貫している。 対して、学者どもは、「効果が無い」「おかしい」と批判しながら「じゃあどうすれば日本が良くなるか」を語らない傍観者である、と私は思う。 (一応、私も、学者や官僚が卒業した大学で理論経済学を学んだ銀行員であり、実際の勉強からは離れて久しいけれど、かつて学んだ大学の同期や先輩後輩にも、官僚や研究者、テレビ局の海外特派員もいる。 やはり経済や法律を学んだ人間として、エコノミストや学者などは国民国家を考えて、日本国の発展に貢献するための知恵を出す責任があると思う) 三橋氏を色物扱いする以前に、日本人のエコノミストは質が低すぎる。 バーナンキのように学者でありながら、政策担当者として責任を持って仕事をしている 批判されるべきはまず、日本の既存のマスコミやエコノミスト、学者どもである。 【追記】 きちんと自分の頭で考え、目で判断することは大事だと思う 原典やデータを淡々と読み解くことが必要だと思います 主義主張をきちんと偏りなく読むには、新自由主義のフリードマンから共産主義のマルクス、そしてケインズまでは、教科書でも良いからきちんと知っておくべき。 三橋氏は自身の著書で、基本的にデータを読み解いて今の日本の経済にとって最適な政策を主張をする、フリードマンやケインズなどの古典や理論も必要ならば参考にするが、一方でイデオロギー的な偏りは持たない的な主張をしているのは面白かった。 (「反動世代」より) 【追加の追加】7月23日 下の方、お返事有難うございます。 ご意見共感しております。 確かに素人兵法は危険ですね。 自らも反省が必要です。 しかし、むしろ日本の学者先生やエコノミストのほうが問題があると思います。 さらに民主主義国家の中では、一般人が選挙で政治家を選ぶ以上、知識は必要だと思います。 ある程度の経済や文化、歴史的背景を知らないといけません。 北欧やドイツなどはその点、日本よりも成熟していると思います。 (民主主義という制度に問題があるかどうかという議論もあります。 つまり、チャーチルの「民主主義は最悪の政治といえる。 これまで試みられてきた、民主主義 以外の全ての政治体制を除けばだが」と。 あとB層とかC層とかいう議論もありますよね。 それらを踏まえてでも、「現状では日本は民主主義を採用している」のですから、主権者たる国民の責任は重く、相応の知識を持つことが必要だと感じます。 そしてそれらの知識は専門的である必要はなく、伝統文化歴史や、基本的な政治経済、法律などの社会制度を学ぶことであり、欧米先進国では基礎教育で教えられてますけどね。 ) 結論として、酷いのが、マスコミが偏向報道を続け、エコノミスト、学者先生が国の文化や歴史を顧みず、グローバリズムや格差社会を容認していることです。 有難そうに見せかけて、酷いことをやってます。 三橋氏の存在意義を問う前に、まず、そっちの方が悪質です。 つまり、民主主義を誤った一方的に偏った情報で操作しようとしているのが問題。 三橋氏の主張は、「国民国家なのだから国民の所得が上がることが重要だ」「日本にとって良い施策の提示したい」「日本経済の現状を根拠データを示している」点で評価できると思います。 (粗っぽい部分もあるが、議論のベクトル・方向性は間違ってない。 ) 私が読む限り、反三橋の学者先生は細かい指摘をするけれど、単なる揚げ足取りに終始して、方向性は提示できていないと思う。 ケインズの指摘通り、経済学者の力は、なるほど強いものです。 竹中平蔵氏しかり。 でも、だからこそ責任重大であるにもかかわらず、日本の学者先生は経世済民・クールマインドワームハートの理念や哲学が乏しいと思いますし、彼らは『力ある者として責任を果たしている』とは思えません。 自分たちは社会的強者で日本がつぶれても食っていけると思っているのでしょうか? 私は、日本の元凶は、まずもって、このような知識層の怠慢、マスコミの偏向報道、戦後教育だと思います。 一方で、三橋氏は、荒っぽい議論やポジショントークはあるけれど、国益を考えた発言をしている点がブレておらず、真っ当だと思います。 こういうことを言うと保守だと言いますが、私は保守です。 逆に、日本人ほど歴史文化伝統を大事にする保守主義が軽視されている国はありません。 自虐的です。 (アメリカだろうがヨーロッパだろうが、アラブ諸国だろうが、イスラエルだろうが、中国、朝鮮だろうが、日本より愛国的です。 「自虐的なのがクールだ」と思うのは大きな間違いです。 国民自身が国家の当事者だよ!と思う。 ) 【追記3】25日 お返事有難うございます。 結局、誘導があるかどうか、と問われると、「誘導はある」と答えざるを得ないでしょうね。 これは仕方ないことです。 しかし、だからと言って「間違った歴史認識、経済認識、国家意識を誘導する行為」はダメだと思います。 今のマスコミの偏向報道のように、それが判明しているのに、そこを見過ごす訳にはいかないと思うのです。 だから理想主義でも、是々非々は必要です。 それが100%実践できなくても、正しい姿を目指すのは尊いことです。 あと、読書は贅沢な趣味だと思いますし、学びの自由は個人に帰属します。 ただ、何度も言いますが、日本は知的水準が高い中で、吸収されるべき情報のうち、嘘情報がタレ流されているのは事実だと思います。 日本人は東大早慶などを卒業して情報処理能力は高いのに、驚くほど歴史認識が無く、文化伝統を軽視したり、安易に構造改革を支持する人が多いと思います。 学ぶ自由があるけれど、いざ知識を吸収したい人には、公平な価値観や伝統知識など提供される必要はあるかと。 それが出来ていない現状は、報道や教育の弊害だと思います。 老子は何度か読んでますが、私の頭では、難しくてわかりませんが、私の理解する老子は、むしろ『上に立つ人間ほど、自らの手柄を見せず奉仕の心を民を安んじること』『一般の民については、心を静かにして、たんたんと日々を大事に生きること。 』を述べているという理解です。 その点で、「上に立つ人間のノーブレスオブリージュでいること」、そして「知識層はやはり正しく複合的な知的教養を持つこと」は必要だと思います。 理想主義かもしれませんが・・・ 一応今は、三橋氏の評価をする場所なので、話を戻すと、三橋氏はプラグマテズム的に「出来ること」「やるべきこと」「良いこと」などはやるべきという主張が一貫してる。 三橋批判の学者先生は「じゃあどうするべき」という国のビジョンや対案を出していない。 有効な対案が出れば私は喜んで拝読しますが出てこない。 浜矩子「アベノミクスは古い、財政出動は20世紀の政策」というイメージ論に終始。 小幡積「デフレは悪ではない」と主張しますが、「デフレによる総需要低下を放置しても良いのか?それが本当に国民にとって良いと本気で思ってるのか?」と聞きたい。 深尾光洋は「赤字が増えると財政破たんする」と断定し根拠を読むも腑に落ちる説明がなくガッカリ。 八代や伊藤は、競争や市場に価値を置くが、「国家は市場だけで成立していない事」や「市場原理の弊害」についてはあまりにも楽天的。 評論家なんてやっている人はある意味みんな変わり者だと思いますけども(笑)「いろんな人から何言ってるんだよと笑われながら言われているのをよくみますが」という部分で私が思っていることを書こうと思います。 まず、経済学というのは色々な見方があります。 経済学は経済学でしょと思う人もいると思いますけど(私もそうでした)、そうではありません。 新古典派とかケインズ派とか、色々あります。 だからみんな言うことがばらばらだったりするわけです。 そうなると、あっちから見たらこっちは変わりもの、経済学が分かってないやつ、となりますが、こっちから見たら、あっちは変わり者、経済学が分かってないやつ、ということになります。 宗教の宗派とかそういうもののように考えると分かりやすいと思います。 で、政治というのはやっぱり利害が絡んだりするものですし、その人の世の中のあるべき姿というものがそれぞれ違いますから(だからこそ見解が違ってくるのでしょうが)敵対するわけです。 そこから「自分は頭がいい」と思っている人たちのことですから、嘲笑しあったり、馬鹿だあほだ、と言ったり「お互い」しています。 政治評論の世界では、私が何百冊と読んできたり、記事なども読んできた経験からすると、ちょっと過激だったり、口汚い書き方、言い方をするのが通例となっています。 そしてそれが直接的にも間接的にも「政治オタク」たちにうつったりする影響があるのかもしれません。 知恵袋でも、政治ということと、そういう影響から、口汚い書き込みがあったりするのだろうと思います。 そういう事情があるわけです。 三橋先生はケインズ派で、保守っぽい感じでしょうから(あんまり読んだことがないんですが)、それに批判的な「宗派」の人たちがあほだ、と言っているのでしょう。 それから気を付けなければいけない点ですが、そうやってプロの評論家とかを笑っているような、どこぞの素人たちも、どうせ経済学など分かりません。 私も分かりませんが、彼らは自分がちょっと本をかじったりするだけで簡単に分かってる気になってしまうわけです。 そして自分が読んでいる人の意見をそのまま持ってきて、分かったふりをして批判して楽しんでいるわけです。 そういう人のほうが多いでしょう。 世の中というのはそんなものだと思います。 私は素人の書き込みなど一切信じないようにしています。 参考文献と、考え方だけ参考にします。 でも参考文献などあげられる素人さえ大していないのです。 本などみんな読まないからです。 読まないような知識で構成された判断など、それだけの判断でしかありません。 補足:ただ私はふつう素人がそんな本とか大量に読んだり勉強したりなど出来ないので、そんなことはしなくてもいい、と思っています。 そんなこと素人がみんなしだしたら余計景気が悪くなるよ、とか思ってしまいます。 だからインテリ、エリートが悪い、と思うわけです。 ケインズが『一般理論』に書いているように、経済学者というのは世間で思われているよりも強力な力を持っているのだ、と思います。 補足2:「マスコミが悪い」という場合、マスコミが悪いから国民が悪いほうに誘導される、という感じだろうと思います。 そして、マスコミがよければ、国民がいいほうに誘導される、ということだろうと思います。 どちらも決して「理解」ではなく「誘導」なわけです。 私は、確かに知識人たちのデモクラシーでは国民の質が重要なんだ、というよくあるお説教は圧倒的に正しい、と思いますが、それは建前であって、そんな世界は訪れないし、無理だ、と思っています。 それは、それぞれみんな生活があるからです。 例えば、9時帰宅のサラリーマンは12時までには3時間しかありません。 土日は子供を遊園地に連れて行ったり、PTAの活動があったり、消防団に入っていたりもあるでしょう。 何よりも生きていることを楽しまなければなりません。 読書というのは一つの趣味です。 ですから、嫌な人は嫌なわけです。 そして、読書なんかはカネが大してかかりません。 そうなると、景気が本当によくなるのか、と疑問にも思っているところがあります。 私はデモクラシーというのは、教科書的には国民の質だ、というけれども、多分本当は、大衆が知識を持って考える賢い人になる(人間は知っていることで考えるのですから、知らないことが多ければ大した判断などできません)なんていうのは、おそらく不可能であり、実際は、「誘導ゲーム」というのが本当のところだろうと思います。 全ては「説得力」であり、理屈は経済学者や、インテリ、エリートから降りてきます。 そのように今のところは考えています。 『心が安まる老子』という本に、国民の心をからっぽにして、食べるのに困らないようにする、というリーダーの心得が書いてありますが、これをいつも考えます。 愚民政策と違いがあるのか、と。 今でもよく分かりません。

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「あの」三橋貴明、10代妻への傷害容疑で逮捕-「ああいう写真」を載せる人は信用できない件

三橋貴明 信用できる?

まず、一番大事なこと。 化は基本的にを建てるのと同じだと思ってくれ。 何時から何時までで作る。 そして、予算と規模はこの位までと決めておするの。 何で安の総合予算ではなくは時給で計算してるの? お客の為とか言わないでくれ。 客をにしていることになるから。 何故かが出て書き直したのに二重になってた。 邪魔だったらどちらも消していいですよ。 下を参考にしてもらえたらとしてを信用できないことが多少理解できると思いますよ。 は単純計算でしたら万以上のを貰う。 大卒の新人の2~3ヶ分の給料。 幾らなんでも貰いすぎ。 安程度だと、なら才近くでで一ヶ万だとして一時間0円で一日00円位。 歳近くの年齢で一ヶ万なら1時間0円位で一日00円だ。 は歳の方の5倍のを一日でやれると言う。 で重要なのは「」と「時間」。 この二つをないがしろにする人の話はどんな人物であれ信用できない。 そのがくても落選してたようだし。 再挑戦するみたいだから次も彼の名を書くぜ。 いい人なんだろうけどとしては隙だらけ。 これじゃあ落選してよかったとしか思えない。 以下記事より ・副長、副党首を歴任 ・の推進集会に賛同 ・犯釈放の要望書に署名。 この中にはの実行犯である、辛洙を始めとする容疑者10名が含まれていた。 そのをに看破できなかった ・入管理局のを ・不法入やスはではないとの考えをにした ・第二議員会館で開催された「元『』の補償と名誉回復のために! 決起集会」に参加 ・閣議後会見で、への補償や、永住への参政権付与をめる集会に祝電を送ったことをにした ただ、案外まともなところもある。 わかってんじゃん ・法について:単純所持には防止の観点から慎重に、架物に関しては分けて考えるべき等の発言 210 ななしのよっしん.

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ニコニコ大百科: 「三橋貴明」について語るスレ 181番目から30個の書き込み

三橋貴明 信用できる?

一昨年来の懸案でございました、経済評論家三橋貴明こと中村貴司君との民事訴訟ですが、結論を申しますと、圧勝しました。 本年3月17日に東京高等裁判所で判決がなされ、上告期限までに先方から最高裁への訴えがなされず判決が確定しましたので、ここに勝利宣言をしたいと思います。 これでは何がなんやら訳が分からないでしょうが、事実ですので仕方ありません。 三橋君には圧勝です。 こちらは完勝を期していましたが、不測の事態がありましたので、限りなき完勝に近い圧勝であったことを確認し、且つ水島らに対しては完勝したことで満足したいと思います。 なお、ここで私が「ら」と一括りにしているのは当方が藤井君や中野君に含みがあると言うのではなく、裁判所の判決文での表現ですので従うだけで、他意はありません。 また、水島君の肩書ですが、原告(中村貴司君)の附帯控訴状では「保守業界の重鎮」との表現が使われていましたが、事実関係に疑義があると判断し、客観的事実に基づく表記を採用しましたことをお断りしておきます。 以下、経過を説明します。 平成25年9月末 当時の私はチャンネル桜のキャスター且つレギュラー出演者であり、消費税増税反対運動の先頭に立っていました。 当時の水島君は、全面的に応援してくれました。 ところが9月24日には、「財務省の木下康司さんの批判はするな」と態度を急変させました。 水島氏が主宰した17日の官邸前のデモでは、当時の木下財務事務次官を批判した巨大なプラカードまで使っていたので、何が起きたのか知りませんが。 以後は、チャンネル桜の番組で「あいつはデマゴギー(嘘つき)だ」との誹謗中傷行為を繰り返す、あるいは私が関係する講演会への中止圧力をかけるなどの妨害工作を繰り返すなど、陰に陽に嫌がらせを続けてきたので、「相手にするに値せず」として関係を断絶しました。 ちなみに、この種の妨害工作はその後も続けているようです。 一つ例を挙げると、3月に行われた私の講演会の主催者が、日ごろの付き合いからチャンネル桜に宣伝を依頼したところ、拒否されたそうです。 集客にまったく影響が無かったので無視し捨て置きましたが、事実は事実として公にさせていただきます。 なお本題に関する余談ですが、ウィキペディアにある記述「水島総・三橋貴明らとの消費税増税への反対運動の方針の違いを巡って番組を降板したことが、当事者らより発表されている」との記述は明らかな誤りです。 少なくとも私は、この一件で三橋こと中村君が大きな役割をはたしていたとは思っておりません。 そもそも、ウィキが出典で上げている私の発言のどこで三橋君に言及しているのか。 私のチャンネル桜降板に関し、三橋君を水島君と対等の地位に引き上げる評価は極めて不当です。 平成26年4月 イーストプレス社より『増税と政局』を上梓しました。 本書の内容を一審での私の陳述に基づいてまとめると、「二部構成で、一部は消費増税8%をめぐる財務省と政局に関する事実に基づく論評、第二部はなぜ財務省の省是が増税となったのかに関する事実に基づく論評」です。 その中で、保守系言論人がどのような言動を行ったかの部分があり、そこに「水島ら」が登場した訳です。 本裁判では、「原告三橋と水島ら」という区分になったのですが、本書を普通の日本語力で読んでいただければ、「水島ら」の中に三橋君も入っていることは一目瞭然で、三橋君を主に取り上げたという事実はありません。 これは裁判と関係があることなので、あえて強調して書きますが、イーストプレスの担当(本裁判で被告となった畑君)の意見により、三橋君も含めた「水島ら」への批評部分は大幅に割愛かつ表現も穏当に留めました。 穏当の基準ですが、今回の裁判での表現に従えば、「原告(三橋)が日ごろ使用しているよりも穏健な表現」です。 出版直後、チャンネル桜の住所宛に水島君に関し言及した箇所に付箋を貼って、出版社より郵送しました。 私としては「君に関して言及したことを逃げも隠れもせず知らせた」という意識で、それを水島君が「喧嘩を売られた!受けて立つ」と解釈しようが構わないと思っていました。 むしろ、水島君を訴えたいのは私の方なくらいでしたので。 言論人たるもの、相手の批判が如何に口汚くても、その言論が言論に値しなくても、その行為が言論である以上は己の力で対抗すべきであって、裁判所の権力などに頼るなどすべきではないと思っていました。 私の場合ですと、水島君に「倉山はデマを流した」とのデマを流された訳ですが、そんなデマを信じてしまう一部の学力が低い御仁は仕方ないとして、圧倒的多数のマトモな人はどちらが真実を述べているか理解できるので、己の言論で説得すればよい訳です。 事情をよく知らない裁判官に訴えてアジテーションを行い、少しでも自分の主張が認められれば「我々の主張が認められた」「勝った、勝った」などと針小棒大にさらなるデマ宣伝をするなど、言論人としての自殺だと思っていました。 ところが、予想もつかないことに、訴えてきたのは水島君ではなく、なぜか三橋君でした。 卑俗な言い方をすれば、「水島に喧嘩を売ったら、なんだかよくわからないけど三橋が出てきた」ということです。 先方の事情はずっと謎だったのですが、控訴審の原告の附帯控訴状で自身が「水島らのお仲間なのでしょうが、如何なものでしょうか」と判断せざるを得ないようなことを自白してきたので、ようやく氷解したという訳です。 以上の事情で、私に憎悪という感情があるなら、それは主に水島君に向けたものであって、三橋君に対しては徹頭徹尾、憐みしか感じないのです。 「君、その立場でいいのかよ?」が正直な感情です。 とにもかくにも、三橋君は、私・イーストプレス・担当畑を相手に、民事裁判を起こしてきました。 原告(中村貴司君)の請求を要約すると以下。 1、連帯して1000万円支払え 2、朝日,読売,毎日,産経,日経新聞朝刊全国版に謝罪広告を掲載せよ 3、HPにも謝罪広告を掲載せよ 4、「増税と政局」を書店より回収せよ 5、「増税と政局」中の三橋が批判された4カ所の文章について,書籍の増版,放送,上映,映画化等による公表をするな 6、訴訟費用は被告(倉山)らに負担させろ この裁判は、他人の悪口で飯を食っている言論人が、自分が少しばかり批判されたので頭にきて、反論もせずに、いきなり裁判に訴えたと言うだけの話です。 たとえるなら、「日ごろ弱い者いじめで暴力を振るっている常習犯が、自分が一発殴られたら先生に訴えた」ということでしょうか。 もう一つ解説しておくと、名誉棄損というのは、事実かどうかは関係ありません。 事実であっても名誉棄損は成立します。 さらに蛇足ですが、判決で「事実に反する」と認定されたとしても、「裁判官の心証(つまり主観)によれば」ということなので、本当に事実に反するかどうかは関係ありません。 民事の名誉棄損裁判では事実であろうが嘘であろうが、形式要件に当てはまれば原則として不法行為は成立します。 ただし、いくつかの条件に当てはまれば例外的に違法性が阻却されます(「相当性の法理」)。 とはいうものの、違法性を阻却する条件に当てはまるかどうかは、最終的には裁判官の心証にかかっているのですが。 だから、自分の言ったこと、言われたことを裁判官に訴えて決めてもらおう、という姿勢そのものが言論人として恥ずかしいことなのです。 ましてや裁判の結果で「自分の言っていることが事実として認められた」「あいつの言っていることが嘘だと認められた」などとお上の権威にすがる時点で、言論人としての自殺、恥ずかしいことなのです。 かくして、裁判が始まるのですが、非常に不愉快なことだらけでした。 誰に不愉快かというと、イーストプレスです。 もしイーストプレス、特に永田和泉社長が協力的なら、もっと楽な裁判だったでしょう。 イーストプレス、特に永田社長は最初から最後まで非協力的でした。 それと一審の裁判長は、こちらに対して極めて批判的な心証をあからさまにしていました。 要するに「僕は人の悪口は嫌いなんだ」という思考回路の方でした。 ほぼ同様の表現、あとで法廷でも言われましたし。 この裁判長殿が言っていることが本当ならば論理的帰結として、原告三橋の著書で批判された人々が訴えてこの裁判長に当たれば多額の賠償金その他を獲れるのでしょうが、それは言っても仕方がない話。 裁判長の名前を知りたい方は、公開情報なので御自分で調べてください。 会話が通じなくて困りました。 仕方がないので和解勧告に応じようとしたのですが、コントのようなドタバタが繰り返されて、お流れ。 「せめて裁判やりたいなら、頼むから全員まじめにやってくれ」が私の心境でした。 平成27年7月 法廷が開かれました。 実態は「笑っちゃいけない裁判」としか言いようがない。 尋問は、自分の側の弁護士、ついで相手側の弁護士からという順番で受ける。 こちらの弁護士さんとの尋問では、我ながら完璧だった。 裁判官三人の内、左陪席と右陪席は私がしゃべるたびにウンウン頷いていた。 棄却は無いな、と。 言っても悪くないと思うので言うけど、原告(中村貴司君)の弁護士はグダグダ。 ことごとく論破させてもらった。 あの裁判長でなければ即棄却、くらいには完全粉砕。 当の裁判長も原告代理人をにらみつけていたし。 私、よほど嫌われたものだ、としか思えなかった。 平成27年10月 一審判決。 争点と結論は以下の通り。 話の説明上、先の原告の請求と順番を変えています。 一、勝敗・・・原告請求の6 訴訟費用 10対3で原告(三橋)の負担とする。 訴訟費用の負担は民事裁判における勝敗を示す指標です(民事訴訟法61条)。 まさか勝った側が多くを負担するわけではないし、それならばそれで判決文にその理由が書いてあるはずなのです(もちろん無い)。 この一事を以て私が「圧勝」と表現しても大げさではない。 二、『増税と政局』の回収と謝罪広告 『増税と政局』の回収は完全棄却。 ・・・原告請求の4 五大紙への謝罪広告は完全棄却。 ・・・原告請求の2 書籍の増版,放送,映画化等による公表禁止は完全棄却。 ・・・原告請求の5 被告(倉山)は、ブログで一か月間、謝罪広告を出せ。 ・・・原告請求の3 『増税と政局』の回収を求めてきたが、こんなものは認められず、完全棄却。 「五大紙への謝罪」と「ブログでの謝罪」、どちらの金額が大きいかは、桁は0が3つくらい違う。 その意味で前者を蹴散らしたのは大勝利だけど、原告三橋はブログでの謝罪を針小棒大に宣伝するだろうなあとは考えていた。 私だったら、「吹っかけて、いくらかもらえたら勝ち」みたいな当たり屋的な感覚にはなれないけど、そういう常識的な感覚が無いから自分の言論で勝つことを放棄して裁判などに訴えているのだとの事実を認識すると、嘆息した。 現実には、判決確定前に「完全勝訴」と宣伝したのは仰天したが。 ツッコミどころ満載の三橋君の発言だが、「完全」の言葉の意味から誰かが教えてあげなければならないだろう。 三、三橋君が批判された4カ所の文章について 原告の主張を認める。 ただし、『真冬の向日葵』はフィクション。 『増税と政局』の内、三橋君の名前が出てくる4か所が裁判で争点に。 三橋君は「事実に反する。 金払え」と訴えてきて、こちらは「嫌だ」と返している構造。 結論は裁判官(特に裁判長)の心証で決まる。 詳細は避けるけど、「痛み分け」を演出しようとしたのだろうか。 判決のこの部分には大いに不満だったが、三橋君も大いに傷を負った。 特に、作家生命の危機に瀕するようなことを認定されてどうするのだろう。 そのことが争点となったので、「じゃあ、事実であるとの証拠はありますか」とのこちらの問いには「フィクションです」と返答。 争点三つに関してこちらは、「事実に反する」かどうかに関して、「裁判官(裁判長)を説得できなかった」というにすぎない。 判決で何を言われようが、言論人倉山満の価値を決めるのはファンの皆さんなので。 ところが『真冬の向日葵』に書いてあることの真実性は、著者三橋自ら「フィクション」つまり「嘘です」と自白した。 これまた言論人三橋貴明の価値はファンが決めるので、他人がとやかく言う必要はないけど、私だったら恥ずかしくて外を歩けない。 三橋君も今後も言論界で生きていくつもりなのだろうけど、誰かちゃんとした大人が「言論人には曲げてはいけない筋がある」と教えてあげないと。 四、賠償金額・・・原告請求の1 原告請求の1千万円の内、850万円分は棄却。 150万円を、倉山・イースト・畑(担当)の三者が連帯して払え。 85%が蹴られたのだから、私が三橋君なら負けと解釈する。 もっとも「1円でも取れたら勝ち」という当たり屋的な感覚なら別だけど、常識で考えると三橋君の負け。 一方の私は棄却を望んでいたので、1円でも払うのは不服だが、相場よりははるかに下なので、「勝ちは勝ち」「少なくとも負けではない」と判断。 相場については一般の人は良くわからないだろうから簡単に解説しとく。 21世紀になって名誉棄損裁判での訴えが認められやすく且つ賠償金の金額も高額化した。 これに関しては、元最高裁事務総局勤務裁判官の瀬木比呂志さんが『ニッポンの裁判』で述べておられるけど、とりあえずネットで拾えるもので代替。 名誉毀損の慰謝料の金額、政治家・芸能人を優遇・一般人を冷遇 つまり、名誉棄損裁判の相場は、「一般人50万円」「芸能人300万円」ということ。 三橋こと中村君の立場になれば、150万円という金額は、自分が有名人との自負があれば敗北感を感じざるを得ないけど、一般人だと認めれば「そんなものか」。 とはいうものの、「吹っかけていくら獲れるか」の当たり屋的発想なら別で、どうやら三橋君はその当たり屋的発想で考えているようなので、その立場で勝ちか負けかを考えてみる。 一人頭50万円。 これが重いか軽いか。 軽いでしょう。 150万円と言う金額も、一審の弁護士費用を払ったら、50万円くらいしか残らない額だし。 弁護士費用は弁護士会で規定があるので、そちらで調べてください。 もっとも、三橋君が破格の安さで弁護を引き受けてもらったとか、別の人に出してもらったなら別だが、そんな事情が有るや無しやなど、こちらが斟酌してあげる必要はない。 判決がすべて。 まとめると、以下。 一、勝敗 訴訟費用を10対3で原告三橋が負担。 倉山大勝。 二、『増税と政局』の回収と謝罪広告 回収と五大紙での謝罪は完全棄却。 書籍の増版・映画化等による公表の禁止も完全棄却 ブログでのみ謝罪。 大きなところでは倉山完勝。 細部で、「少しだけ原告の顔を立てよ」との判決。 三、三橋が批判された4カ所の文章について 原告に肩入れしているように見えるが、『真冬の向日葵』を「フィクション」と認定。 要するに、裁判所が三橋君を「嘘つき」と認定したともとれる内容。 そこまで言っていないが、少なくとも私がこんな判決を出されたら自害する。 形式的には痛み分け、実質的には大勝。 四、賠償金 相場以下。 どんなに控えめに言っても辛勝ではある。 不愉快だが、客観的には大勝だろう。 総評 私は棄却すなわち完全勝利を目指していたので不満がない訳ではないが、全体的には大勝。 私の気分も含めると、「辛勝の上、大勝の下」くらい。 訴訟費用分担だと「10対3の勝ち」「7割5分の勝ち」なのだけど、いくつか気に入らない部分もあったので「辛勝の上、大勝の下」と考えていた。 結論から言うと、控訴しなくていいかな、と考えていた。 ところが! 平成27年11月 イーストプレスからは梨の礫でした。 この裁判通じて、やる気と誠意が無いのは一貫していたので、ここまでは予想通り。 そういう態度の人には、こっちもそういう態度でいるしかないで接していました。 ところが控訴期日の午後4時頃に、事後通告で「控訴しました」とのこと。 まさに寝耳に水です。 こちらは上記の通り「この判決なら別にいいか」だったのですが、イースト(&畑)が控訴するというのに私だけがやらない訳にはいかない。 私としては否応なくの控訴だったのです。 これに関して三橋貴明君が途中経過報告として「完全勝訴」宣言を行ったのはあきれましたが、自分に都合の良いところだけ切り取って発表したことだけは、こちらも指摘しておきました。 これは些細な事なので、省略。 大事な事だけ言うと、一審判決後にイーストプレスとはマトモな打ち合わせは無し。 イースト側がヒステリックなので、会話が成立しなかった。 なんで控訴したかの理由も不得要領なくらいだったので。 平成28年2月 イーストプレス側より通達。 「三橋貴明氏と和解します」だそうで。 この弁護士さんは一応、仁義は通してきた。 とはいうものの、イーストプレス側が単独で 和解手続きをしていたのは動かぬ事実だけど。 要するに、イーストは「勝手に控訴して、勝手に和解した」訳です。 イーストと三橋君の和解条件は以下。 一、イーストプレスは一か月間、会社ホームページに謝罪広告を掲載。 「事実に反することを書きましたので謝罪します」云々の簡単な内容。 何が事実に反したかなどは不明。 実際、3月1日から掲載されていました。 注目していた人は誰もいなかっただろうから、私は何の実害も感じなかったけど。 二、賠償金はゼロ。 つまり、「謝る代わりにお金は勘弁」ということです。 ここで二つのことがわかります。 一つは、イーストプレスの目的はお金を払いたくないということ。 それなら控訴した理由もわかります。 結局、150万円が大きかったのでしょう。 もう一つは、三橋君の目的が「謝罪獲得」にあること。 イーストとの和解内容を見ると、他のすべてを捨てて謝罪を勝ち取りに行っているのです。 お金なんか1円もいらないし、どんなに形式的でもいいから謝罪が欲しい。 その想いはひしひしと伝わってきます。 ちなみに、一審での三橋君の陳述書を読むと、「何が何でも倉山に謝罪させたい」との涙ぐましいまでの想いが伝わってきます。 そんなに私を謝らせたいなら、『増税と政局』が出版された時点で、公開討論を挑むとか正々堂々と戦いを挑んで来ればよかったのに。 そして自分の言論で私を叩きのめせばよかったのです。 それをやる力が無いから、こんな裁判になったのでしょうから、言っても仕方ありませんが。 興味がある人は、公開されているので、三橋君の涙ぐましいまでの陳述書を読んであげてください。 いずれにしてもイーストの単独和解で、流れは最悪。 当たり前ですが、一方の当事者のイーストプレスが「事実に反することを公表しました」と 謝罪しているので、「じゃあ、お前は何なんだ」と、こっちも言われるわけです。 この時点で棄却はありえない。 最近の傾向として、高裁は理由だけ変えて地裁の判決を容認することが多いので、こちらは、「謝罪そのままに、賠償金上乗せ」と予想していました。 しかし、今さら特に何もすることなく、判決を迎える。 以下、こちらの控訴状に対する、三橋君の附帯控訴状に即して確定した判決を解説します。 論点は一審判決に加え、「五」を原告が追加してきたので、そういう説明になります。 平成28年3月 控訴審判決(確定)。 一、勝敗 訴訟費用を8対2で原告が負担せよ。 一審では10対3でしたので、さらに広がりました。 圧勝です。 二、謝罪広告 全面棄却。 謝罪広告の有無は、最大の争点でしたので、完勝です。 原告は一審で棄却された「五大紙での謝罪広告」は控訴審で最初から取り下げていたので、この大きな部分では戦わずして完勝です。 『増税と政局』の回収は、もはや争点にすらならず。 同じく戦わずして完勝。 しかも、連帯被告のイースト&畑が謝ったにもかかわらず、倉山は謝罪不要。 一審判決の 「ブログで一か月間謝罪」を棄却しました。 完勝です。 イーストとの和解条件が動かぬ証拠ですが、「金は要らないから謝れ」が三橋君の裁判の目的です。 それが全面的に棄却されました。 一審で認められていた「ブログでの謝罪」すら棄却。 いかなる詭弁を弄しようが、三橋君は目的を達せられず、私は完遂した。 これがすべてです。 三、三橋が批判された4カ所の文章について 4か所中3か所は、一審通り。 ただし、『真冬の向日葵』はフィクションであり、違法性は認めない。 これに謝罪が伴わないので、大勝と言っても良いけど、気分が悪いので辛勝。 少なくとも、こちらの負けではない。 あちらの立場に立てば、致命的敗北。 イーストプレスが勝手に謝ったので、一審通りかなと予想していましたが、結果は意外な判決でした。 一審よりもこちら寄りに。 まず3か所については、イーストが「事実に反する」と謝ったので、こっちが覆すのは不可能ですね。 同じ 裁判官が同じ事象に関し、イースト対三橋の和解では「事実に反する」とし、一方で倉山対三橋の裁判で「事実に反しない」と判決を下すなど論理的におかしいので。 違法性で言えば、「麻生のイヌ」「御用評論家」「卑怯者」などと批評したことが事実であるかどうかではなく、それらが形式要件に当てはまるかの話です。 裁判で争うのは、「違法性阻却」か「違法に関する責任制の阻却」で、要するに「言われた側が可哀そうか否か」そして「金を払うほど可哀そうか否か」が争点です。 今回は「言われた三橋君が可哀そうなので、倉山君請求額の何パーセントかは払って」という判決です。 額は、一審での請求額の15%を払って、ということです。 ではなぜ、もう1か所に関しては覆ったのでしょうか。 一審で原告三橋君は『真冬の向日葵』はフィクションですと言い切りました。 自分で「ノンフィクションです」と宣伝販売した本のことを言うに事欠いて、「フィクションです」と言い切ったのです。 作者本人の自白がある以上、裁判官としては「じゃあ、倉山を違法とは言えないよね」と判断しても不思議でもなんでもない訳です。 ここは重要なので、判決文の構成を詳しく説明しておきます。 原告三橋は「ノンフィクションです」と発言していた事実が認められるが、「十分な証拠がないものであったと認められる」。 従って、倉山の指摘は真実であるというべきである。 そして、かかる倉山の発言は公共の利害に係るものであり、専ら公益目的に出たことも認められるから、違法性がない。 ということでした。 三橋君は、フィクション(=作り話)を「真実」「リアル」「ノンフィクション」と宣伝したと、法廷で認めた訳です。 一審判決文の原告三橋に好意的だった部分の表現を借りると、「セールストーク」でこれをやったわけです。 言論人三橋君の行方は、私の関知するところでないことだけは確かですな。 これを指して私は、「三橋君の立場に立てば、致命的敗北」と評している訳です。 四、賠償金 150万円払え(一審通り)。 三の「イーストが勝手に謝って和解」という事情を考えると、むしろ賠償金が上乗せされてもおかしくないと覚悟していました。 ところが、一審を維持。 理由は「三」で述べたことから類推するしかないけど、それはどうでもいいけど捨象。 ついでに言うと、原告三橋は二審では請求額を300万円に絞ってきたけど、やっぱり一審通り。 一審での自分の正しさを主張するなら二審でも1000万円の請求をすべきだったはず。 それとも勝てる自信が無かった? だったら、二審では150万円の請求にしておけば、せめて「賠償金ではこちらの請求が満額認められた」くらいのプロパガンダはできたのに。 あくまでそれもプロパガンダで、原告の本来の要求の85%が蹴られたことには変わりないのだけど。 この金額、一審二審を足した弁護士費用くらいか、足が出るくらいじゃないのかなあ。 一時期はベストセラー作家だった三橋君にとってはハシタ金のはずで、弁護士費用程度の金額の為だけに、失うものは大きく何も得ることのない裁判だったということで。 三橋君の最近の言動を知らないけど、まさかこれを多額のお金とは言わないでしょう。 さすがにプライドがあるだろうから。 ところで、なぜ一審で請求通りの1000万円でも、一審で認めてもらえた150万円でもなく、300万円という一審で認められた額に中途半端な上乗せだったのか? 五、水島総ら(他に藤井聡と中野剛志)の分も、この裁判で賠償金を上乗せしろ。 当然、棄却。 何を言っているのかわからないけれど、原告三橋が附帯控訴状でこんなことを言ってきたのが事実だから仕方がない。 原告三橋の附帯控訴状に合わせ、その立証趣旨で述べられていることを書く。 本来ならば、三人とも裁判に訴えたいけど、忙しいのでこの裁判で賠償金を150万円上乗せしてくれ。 重要な事なので、原文から引用します。 「水島、藤井、中野においては、単に業務繁忙のため附帯控訴人(被控訴人)のように本件同様の名誉棄損の訴訟を提起しないだけであって、時間さえ許せば、附帯被控訴人(控訴人)らを名誉棄損で訴求したいものと願っているものと容易に推認できる。 」 「このように、附帯被控訴人(控訴人)らによる名誉棄損行為が、著しく違法性が高いことに鑑み、本件附帯控訴請求を認容すべきであると考える。 」 つまり、「水島ら」からすると「本当は倉山を訴えたいけど忙しいので、ヒマ人の三橋の裁判で賠償金を上乗せしてくれ」ということです。 これ、「一般の読者の普通の注意と読み方を基準として判断」する(最判S31.7.20)ならば、「ヒマ人」としか言いようがないと思えるのですが、いかがでしょう。 少なくとも、私が三橋君なら「水島さん、あなた御自分で裁判を起こされれば如何ですか。 私はあなたのパシリでも子分でもないので」と言いますけど。 念のために確認ですが、この附帯控訴状を書いたのは、原告三橋の代理人弁護士です。 これが三橋君を「憐れ」と書いた理由です。 水島その他二名に関する部分は当然棄却。 判決文でも「関係が無い」と一行で終了でした。 かくして以上の事実に基づき、私は三橋君には圧勝、ついでに水島らに完勝と宣言させていただきます。 今後、私が三橋君に言及することはないでしょう。 「イヌ」「御用評論家」「卑怯者」などと指摘することはないでしょう。 私が三橋君を表するとしたらただ一つの表現しかありません。 「チャンネル桜に出ている評論家」です。 まさか、「チャンネル桜に出ている評論家」と評することが名誉棄損に当たると訴えてくる気でしょうか。 それはそれで面白いですが。 私が「チャンネル桜に出ている評論家」のことをどういう意味で使っているかなど、ここで述べる必要はない。 ただ、三橋君のことを今後は、「チャンネル桜に出ている評論家」と呼ばせていただくだけです。 投稿ナビゲーション 倉山先生お疲れ様です。 圧勝おめでとう御座います。 今後ともお体に気をつけて頑張って下さい。 水島さん中村さん・・・・とても残念です。 水島さんは、倉山先生を知る機会を下さいました。 中村さんは、消費税が悪である事を教えて頂きました 今考えれば、一部政策は酷かったですが。 残念ながら御2人とも、8%の増税政局で木下大総統に屈しました。 ここまでなら、「査察怖い」「公共予算削減怖い」で 気持ちは分かります 言論人としては終わりですが。 しかしその後も、中村さんは、言論で戦わずに訴訟に逃げました。 水島さんは閣下を売りました 使い捨ての駒としか思ってなかったのかな?。 とてもとても残念です。 せめてもの願いは、これ以上晩節を汚さないで頂きたいです。 増税政局以前からお慕いしている者ですが初めて書き込ませていただきます。 私もいわれなき、当り屋的な民事裁判の控訴審を戦っています。 今回塾長の判決を拝見し、改めて様々な分野で、戦い続ける塾長の魂の片鱗を有り難くも拝見させて頂く事ができたこと、誠に励みになりました。 本当にありがとうございます。 さて、件の三橋氏ですが、わたしとしては元々言論人でなく芸能人予備軍として拝見してましたので、塾長に対して訴訟の提起をした際は、驚きを隠せませんでした。 何故ならば、芸能人予備軍としての我欲が訴状を拝読し、ありありと理解できる、所謂、周囲の人々にに促されて、それを愚かにも信じて自らの意志により訴訟提起をしたと、初めは三橋氏自身も思い込んで、こういった行為に及んだ事が理解できたからです。 弁護士費用を含めた訴訟費用は総額で決して安価ではないにもかかわらず。 仮に、芸能人予備軍であり、経済評論家を自称している彼ならば、塾長を敵にしてはいけない人間であると、分かるはずですし、費用対効果を考えれば、全く合理的ではないと理解できなければ経済評論家を自称する事すらできません。 人を散々困らせて、苦しめて、敬愛する塾長を貶めて、保守を自称していると一般的に思われる渋谷のCSテレビ局言論人として木下増税戦役で戦う事すらせず、あやふやな事を言いふらして、あまつさえ御上のお墨付きを得ようと画策した彼は絶対に絶対に許せないです!! (全て私の心証です) 感情的になり、お目汚しをしたと思いますが、とにかく良かった。 要はそれを申し上げたかったのです。 では失礼致します。 (ふしぎな文書について) 先ごろ中村氏が、私の予想通り「緊急追加」として文書ファイルをご自身のブログにアップしていました。 かなりファンタジックな文章なので、要約しますね。 重要なのは、その「一部」の内容なんですが・・・ 弁護士は負けたことになったら商売に関わるし、自分の依頼人を失望させられないので、こうした表現をしていることに対して深く同情する。 実際に彼の本人調書では、如何に倉山氏の書籍によって、会員が減少したか、サイトに批判コメントが殺到したかを強調している。 ところが実際彼らにとっては、社会的信用や経済的損害などどうでもよく、「倉山氏がうそつきだと裁判官に認めさせる」のが目的。 つまりは名誉棄損裁判を本来の目的で使用するわけでなく、「倉山氏をうそつき」だと言いたいがために利用したことを、ついに告白。 金銭的に少額で、倉山氏の謝罪広告もないにも関わらず、「勝訴」と叫ぶ真の目的が明らかに。 (ちなみに倉山氏自身は名誉棄損訴訟をいたしません。 (そもそも「イヌ」とか「御用評論家」って嘘とかいうより単に悪口では?なお裁判で提出された証拠によると、彼も同じ言葉を使用していたことがわかります) *冒頭で勝訴を宣言しながら、謝罪広告が認められなかったという敗北をわざわざ持ち出し 裁判官に「ブログで名誉回復できるから不要」との理由もわざわざ強調。 この2つについて、とても違いがわかりづらいのですが、 つまり「この判決後にブログを書けば名誉が回復できるから不要」という意味ではなく、 「第一審後にもうすでにブログで書いているから、とっくに回復しているからもう不要ですね」という違い。 つまり、倉山氏がターゲットであることが露呈(そもそも出版社はともかく編集者を提訴していることが異例なのだが) 未確認だが、一審で裁判官が和解を勧告したにも関わらず、彼らは対応しなかったとの情報がある。 (重ねて言うがこの情報は未確認) これ以外の、控訴審で覆って確定した某小説の件、謎の追加の附帯控訴人など 都合が悪いと思われることには触れず、どうやら反論もできないのでしょうか。 そういえば彼は「報道しない自由」がどうとか言ってましたね・・・。 解説は以上です。 彼はブログにおいて、 「『情報という商品』を取り扱うお仕事において、意図的に嘘をついたことはございません」と言っております。 それに「言論の自由に、嘘で他人を貶める 自由は含まれない」のだそうです。 最後に、控訴審で覆された文章4を引用させていただきます。 中川昭一先生のご冥福を改めてお祈り申し上げるとともに、 玉木元財務官、越前谷記者の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。 (参考:内容証明書の記載) (4)294ページの以下の記載(倉山満著「増税と政局・暗闘50年史」) ア 『経済評論家の三橋貴明など、よく名誉毀損の訴訟を起こされないものです。 』 イ 上記記載は、一般読者をして、三橋が何ら証拠のない話をしばしば論じていると印象付け、三橋の名誉を毀損します。 文章4(p294) 「また、例の(中川昭一)酩酊会見について玉木林太郎国際局長が読売新聞の越前谷知子記者と手を組んで 中川に一服盛ったというまことしやかな噂がありますが、 何の証拠もありません。 こんなことは法廷で使えるぐらいの証拠がなければ言ってはいけない話です。 経済評論家の三橋貴明など、よく名誉毀損の訴訟を起こされないものです。 」 (さかき蓮氏と共著の「真冬の向日葵」について) 「お前はイヌだ」「お前は御用評論家だ」という嘘(悪口だと思いますが)と、「お前は人殺しだ」という嘘。 あなたはどちらが人間として酷い嘘だと思いますか? ネット上で勝ったの負けたのわいわい騒いでますが、 ことの勝敗を論評・分析するのに、「裁判記録」の全体に目を通した人はどれだけいるんですかね? 判決文の全文読んでますか?私は通読してきました。 閲覧室まで行って。 (当事者に一部を借りても、双方が提出した証拠にはアクセスできないので、閲覧に行かないと全体がわかりません) そもそも、原告は判決の全体を明らかにせず、自らの都合がいいところだけ明らかにしているんですよ。 そのことに気が付かずに論評できるもんですかね。 論評の際には、具体的に判決文や記録のどのページのどの部分をもって、そう判断するか言ってみてくださいな。 そういう手順を踏まない論評をする方も、それを鵜呑みにして拡散している方も 都合のいい部分を切り貼りした情報の中で踊っているだけですな。 ま、もともと山賊や便乗ブロガーは いつも自分の脳内に都合がいい情報だけをチェリーピッキングして自己洗脳しているだけなので 真っ当な言説を求めるだけ最初から無駄なんですが。 他人が都合よく作った情報に踊るのはお似合いですがね。 嗤われているのはあなたですよ。 どれだけあなたは思考停止しているのかとね。 しかし、不都合な事実を隠ぺいしたい当事者にとっては、都合がいい下僕たちですなあ。 最後に一言 「言論の自由があるからといって、『大臣を自殺に追い込んだ』などと他人を貶める自由はありません」.

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