千葉 ジェッツ メンバー。 チアリーダー Ayumi(千葉ジェッツふなばし STAR JETSメンバー)

千葉ジェッツふなばし

千葉 ジェッツ メンバー

この日Ayumiは、いつもの練習場にユニフォーム姿で現れてくれた アーティストのライブに行って「目が合った!」と感じた経験はないだろうか。 残念ながら燦々と照明が輝くステージから、暗い客席はほとんど見えないらしい。 しかし、ステージできらきらと輝くパフォーマーと、 本当に目が合う場所がある。 熱い視線を送る先にいるその本人が、自分をしっかりと認識する場所。 それは、 バスケの試合会場だ。 「チームが負けそうなとき、ふと客席を見る。 そうするとそこには赤いウェアの人たちがいっぱいいる。 それを見ると、あ、頑張らなきゃって、ギアが一つあがるんです。 」 笑顔でこう語るのは、STAR JETSメンバーのAyumiだ。 STAR JETSとは、Bリーグの1部リーグに所属するバスケットボールチーム「 千葉ジェッツふなばし」の、専属チアリーダーである。 千葉県船橋市をホームタウンとし、試合中の応援やパフォーマンス、様々なイベントへの参加といった活動を行う。 チアリーダーは試合の合間にパフォーマンスを披露するが、彼女はその最中、ふと音が消える感覚になる瞬間があるという。 ふいに冷静になり、第三者的気分で、ブースターを見つめる。 距離が近いため、顔がよく見える。 まるで走馬灯のように、何も聞こえなくなる瞬間が訪れる その光景を見ていると、大勢の人が一か所を見つめて、全力で応援していることを改めて感じ「自分も、もっとやれる」と気合が入るという。 現在チアリーダーとして業界最前線を突っ走るAyumiの原点は、幼稚園時代にまで遡る。 当時仲の良かった友達が、 クラシックバレエを習っている姿を間近で見ていた。 彼女は母に、自分もバレエやりたいと言った。 しかし当時のAyumiは、髪はベリーショートで、あまりに元気すぎて園庭の泥で服を汚すため、必ず着替えを持たされる生活。 そんな活発少女だった彼女にバレエなんてと、やらせてもらえなかったそうだ。 しかし当時から、 彼女には人一倍の意志の強さがあった。 幼稚園から小学校に上がったあとも、日々「バレエをやりたい」と言い続けた。 そんな姿を見かねた祖母が「まあ一度、やらせてみたら」と言い、ついに母は根負けする。 小学校二年の時、Ayumiはバレエ教室の扉を叩いた。 「最初は楽しさしかなかった。 体も柔らかかったし。 でもバレエを始めるには遅い年齢だったから、同級生よりも下のクラスに入れられて悔しかった」 幼少期を過ごした宮崎から千葉に引っ越してからは、より一層バレエに熱が入った。 小中学校時代は、月曜から土曜日、学校と塾と平行しながら週6ペースで教室に通った。 同級生との差を埋めるために必死で練習し、バレエの幅を広げるために ジャズダンスにも手を出した。 そして中三の秋、とある契機を迎える。 「高校で部活をやろうなんて、一ミリも思ってなかった。 でも、学校説明会の部活動紹介を見た時、『これだ!!』と心が決まった」 彼女が衝撃を受けたのは、バトントワリング部が披露した 競技チアダンスのパフォーマンスだった。 先輩たちのダンスに、一気に魅了された。 コンクールはあれど点数のつかないクラシックバレエとは対照的に、競技チアダンスは明確に数字で評価が下される。 そして、団体で踊るという点もAyumiにとっては新鮮だった。 もともと別の高校への進学を考えていた彼女だが、その日を境に志望校を変更。 無事入学試験を突破し、競技チアダンスを始めた。 そして大学に進学し一年目の1月に、 プロ野球チームのチアリーダーのオーディションを受けた。 これに合格し、大学二年の12月までの一年間、チアとして活躍した。 「ダンスを仕事にするのは簡単ではないということは、若いながらに分かっていて。 大学四年間でダンスを仕事にする基盤が出来なかったら、その後はやらないなと、なんとなく思っていた」 クラシックバレエ、競技チアダンス、プロ野球のチアリーダーというダンス漬けの生活を送っていた彼女にも、就職活動の波が訪れる。 彼女は、 ブライダル業界を志望していた。 様々な企業があるなかで、ブライダルジュエリーを扱う企業から内定を獲得する。 「就活の流れに身を任せた感じはあるけど、でも精力的にやってた。 結果、入りたいと思ってたブライダルの業界に進めたので、ダンスを諦めたと言うより ブライダルをやりたいという思いが勝った感じでした。 」 ダンスを仕事にするのは、日本ではメジャーではない。 「職業:ダンサー」と名乗れるのは、一部の一流と呼ばれる層だけである。 そんな環境でもこの世界を目指す人間は数多く、食べていけない分はダンスの先生をしたりやアルバイトをしたりしてまかなう。 そんな現実を知っていたAyumiは、不安定な世界は怖いと思ったという。 「自分は結構、安定志向。 だからフリーターになることを否定はしないけど、私にはできないと思った」 当時は大学を卒業したら就職するのが普通だとも思っていたこともあり、就職を決めた。 一つの不合格と、一つの合格 STAR JETSメンバーになるまでの道は、平坦だったわけではない STAR JETSメンバーになるまでの道は、平坦だったわけではない 憧れのブライダル業界に入ったAyumiの 社会人生活は、目まぐるしいスピードで進んでいく。 「社会人一年目は、本当に大変。 覚えることが多くて、日々先輩に怒られて、仕事をこなして。 気がついたら、夏になっていて。 10月になったら一つ下の代の子たちがインターンで入ってきて、もう一年経つの?って」 実際に店舗に立ち、結婚指輪や婚約指輪を買い求めに来る客を接客し、決して安くない金額のジュエリーを販売する。 そうして会社員として働くAyumiの周りには、ダンスの専門学校を出てからアルバイトをしつつ、夢を追いかけるような生活をする友人が複数いた。 デンジャーな世界ではあるもののやりたいことをやる友人と、 仕事に疲れた自分。 そのコントラストを感じた時に「私、まだ22じゃん。 やれるじゃん 」と思ったという。 ダンスへの思いが、再燃したのだ。 あと5年も経てば、チャレンジすら難しくなる。 だったら、 今、やりたいことをやろう。 こう決めたAyumiは自分が何がやりたいかを考え、原点に返った。 大学時代にやっていた、プロ野球チームのチアリーダーのオーディションを受けることにしたのだ。 社会人一年目の12月、彼女が手にした結果は、不合格だった。 「オーディションには落ちたけど、落ち込むというより、むしろすっきりとした、晴れやかな気持ちで。 オーディションの日まで全力で頑張ったから、出し切ったなって」 だからこそ、「 よし、会社員に戻ろう」と思ったという。 オーディションの世界は厳しく、思うようにいかないことも多い オーディション後、STAR JETSメンバー経験があった友人と会った。 自分が落ちたことを伝えると、STAR JETSのオーディションを受けたらどうかと言われる。 しかしそのときのAyumiの心境は、複雑だった。 「野球からバスケに競技を渡り歩いたり、同じ競技でもチームを渡り歩いたりすることに対して、もやもやした気持ちを持ってた。 昨日まで違うチームを応援していたのに、今日からこっちというのは、どうなんだろうって。 だから自分が野球からバスケに移動したら、そう思う人もいるだろうなって」 そもそもAyumiはバスケの試合を見たことがなく、ルールすら曖昧だった。 そこで「まずは一回見てみよう」と思い、試合会場に足を運んだ。 そしてSTAR JETSのパフォーマンスを見た彼女は、 観客席で涙を流した。 「ものすごく衝撃だった。 自分は野球しか知らなかったから、パフォーマンスを見て、こういう世界があるんだって。 チアリーダーが会場を盛り上げるって、こういうことかと。 すごい、と思った。 しかしSTAR JETSのパフォーマンスはメンバーが手の届く範囲にいる。 そして野球と違い、試合中もずっとコートの横で選手たちを応援し続ける。 バスケチームのチアという 新しい世界を知り、すぐにオーディションについて調べた。 そして 社会人二年目の6月、彼女はSTAR JETSメンバー オーディション会場に立っていた。 本人は、受かるとは思っていなかったという。 プロ野球チームのオーディションに落ちたばかりであったし、会社員であるうえ、ブランクもある。 会場に集まったライバルたちは、みんな素敵に見えた。 しかし本人の予想を裏切り、Ayumiは その日のうちに合格を言い渡された。 「周りには言ってなかった、というか言えなかった。 自信がなかったから。 家族にも、こういう世界があるらしいよとちらつかせてはいたけど、受けるとは言っていなくて。 だから合格したって伝えたら、両親はすごく驚いていました」 そしてまず言われたことが、「それで、仕事はどうするの?」という言葉だった。 辞めるというと、母は大丈夫なのかと心配したそうだ。 その後、父に「怒られるだろう」と思いつつ伝えると、意外にも「やりたいことをやったらいい」と言われた。 無事に 家族の理解は得たものの、もう一つ問題があった。 土日出勤に対応できないため、彼女は、合格すれば会社は辞めることになるだろうとオーディション前から店長に話していた。 しかしこの相談をしてからオーディションに合格するまでの間に、異動の辞令が出されたのだ。 新店舗に行き、立ち上げ業務を担当してほしいという。 「この時は本当に、どうしようって。 新店の立ち上げは誰もが経験できることではないので挑戦したい気持ちもあった。 でも念願の合格を手にしてしまった自分。 どちらを選ぶべきか真剣に悩みました。 で、そもそもなんで辞めなきゃいけないんだっけと考えた時に、土日に休めないからだと。 じゃあ平日働いて土日休みにすると、会社が理解を示してくれて。 イレギュラーな働き方を認めてもらえた。 」 こうしてSTAR JETSメンバーAyumiとしてのスタートを切った。 規模が大きくお客さんも数万人が入る野球と違い、バスケではメンバー同士の声も聞こえる。 球場では友達が客席にいても気が付かなかったが、今は顔が分かる距離にいる。 こうして夢を叶えたとはいえ、 週5日は会社員として働いて、 土日はパフォーマンスを披露する。 その生活は大変ではなかったかという問いに、彼女は少し悩んでこう答えた。 「大変だったけど、メンバーはみんなそういう生活。 今も、会社員とか学生をしながらチアをやってる。 日曜は何千人の前で踊っていたのに、月曜は朝からパソコンをカタカタやるという温度差で、ちょっと笑っちゃうこともある」 会社員とチアリーダー、二足の草鞋を履く彼女だったが、 社会人二年目の秋に三足目の草鞋を見つけた。 「ふいに、学校に行こうって思って。 大学進学するタイミングでちょっと興味があったけどチャレンジしなかった、 栄養士の資格を取りたいと。 仕事は楽しかったけど、一通りできるようになっていて、何か面白いことやりたくなったんです」 飽き性なのかなと笑う彼女だが、栄養士という資格にたどり着いたのには、 チアリーダーとしての生活がきっかけだった。 「栄養学から言うと、試合前にはエネルギーのもととなる糖質中心の食事をとるべき。 でも実際、私は体型維持の為に糖質制限をしてて、セオリーにそぐわない。 それから試合後は疲労回復の為に30分以内に糖質やたんぱく質をとるべきだけど、翌日も衣装を着るから、お腹は空いててもがっつり食事をとることはできません。 これってなんで?どうすればいいの?って思ったのが、学校に入ったがきっかけです。 」 しかし、すぐに入学を決めたわけではない。 学費の高さを懸念し、これが突発的な気持ちで、入ってから違ったと思いたくないと感じたのだ。 そこで、あと 一年どうするか考えながら貯金すると決めた。 社会人三年目の夏には気持ちも固まり、貯金の目処もたった。 そこで職場にだけ退職を相談し、入学試験を受けた。 「親には言わずひっそり受けて、受かってから両親に話しました。 『仕事やめる』『え、何するの?』『栄養士になろうと思ってる』『仕事は?お金どうするの?』『貯めた』って、母には有無を言わさない感じで(笑)」 父は相変わらず、やりたいことをやれと応援してくれた。 きっと学費の援助を頼んだらこうはいかなかっただろうと、本人は振り返る。 学生になってからも、もちろんチアの活動に全力だ 会社を辞め、学生をしながらチアを続けているなかで、 チアリーダーの専属マネジメント契約の話が沸いた。 オーディションを受けたいという気持ちはあったが、「どうしよう」という気持ちが大きかったという。 「学生だから日中は空いてないし、そもそも安定思考だから、定まってない世界に飛びこむのが怖い。 本当に大丈夫なのかなって思った。 色々考えて、プロデューサーにも相談した。 それで、あとから 『やればよかったな』ってなるなら、やってみるかと」 厳しいとは指摘されていたが、「それでも自分はこういうことができますというのがあれば、オーディションで是非見せて」と言われた。 そこで彼女が作ったものが、 やりたいことリストだ。 もし 合格したら、何を実現させたいのか。 それを伝えられるだけ伝えようと思った。 自分のビジョンを見せて、方向が合えばやらせてほしいと。 そのリストには「もっと地元に密着した市民に愛されるチームになり、野球やサッカーのような規模間まで引き上げたい」「地元の子供たちに夢を与えるために、幼稚園は学校を訪問したい」といった言葉が並ぶ。 Ayumiはオーディションを受ける前から、 プロ合格後の活動を見据えていたのだ。 他のメンバーにも同じことを考えている人はいたが、彼女は 「明確にしないとぼんやりしちゃう」と思い、 メモを作った。 少し照れくさそうに、当時のリストを見せてくれた そして 日本プロスポーツ界では初の試みとなる、 チアリーダーの専属マネジメント契約を結んだ。 その後追加オーディションによって、2017-18シーズン専属マネジメント契約メンバーは3名となった。 しかし当初は、たった一人での活動をしていた。 「一人での仕事が増えたけど、正解が分からないんだよね。 事例がないから、自分で考えても分からない。 でもイメージは独り歩きしていて、どうしようって。 本当にすごく考えた」 契約を結んだ彼女の胸にあったのは、「やってやろう」という思いよりも、不安だったという。 周りに相談する人はいても、同じ境遇の人間はいない。 しかし彼女には、実現させたいことがあった。 オーディション前に作ったやりたいことリストを見返し、それを実行するにはどうすべきか、自分一人で何ができるのか、順序立てして考えた。 気持ちの波を素早い切り替えで乗り越える 踊っている間、手を伸ばせば届く距離にメンバーがいる プロとしての契約後も、試合中のパフォーマンスには欠かさず参加している。 「パフォーマンス中にメンバー同士で目が合うことは、すごく嬉しい。 みんなの声や呼吸が聞こえるくらい近い。 ただ、チアと学生との両立は大変」 学校、試合、チームでの練習、自主練、チアスクールの講師、体作り。 すべてをこなすAyumiには、自分に使える時間がほとんどない。 美容院に行く2時間を捻出することすら、難しいという。 ただし、それをつらいとは思わないと言い切る。 他のメンバーも忙しく、むしろ時間がある方が不安になるそうだ。 そんな彼女に、 日々の仕事で大切にしていることを聞いた。 つかの間の沈黙の後、 「集中」という言葉が、一言返ってきた。 両手で膝を打ちながら、「集中」という言葉が飛び出した 「コートに入る時とか、踊ってる時、練習してる時に、『よし、集中』と自分に言う。 すべては一瞬のことだから、一本に集中するみたいなイメージ。 あれをやればよかった、というのがないように」 Ayumiの魅力は語りつくせないが、自分自身で自信を持っているのはどんな部分かを質問した。 「切り替えの早さかな。 例えば絶対に負けられない試合で調子が悪いと、会場の空気も悪くなるし、メンバーももどかしい感じになる。 でも、チアリーダーの私たちが何かをしたら点が入るわけでもないから、自分たちの力ではどうすることもできない。 そういう時に切り替えをすることによって、 自分のメンタルを一定に保つ」 波がないようにしようとしても、人間だから必ずしも上手くはいかない。 ただ、プラスマイナスで最終的に平坦になればいい。 ミスをしても、切り替える。 空気が悪くなっても、切り替える。 この切り替えの早さには、自信があるようだ。 反対に、もっと伸ばしたい部分もある。 「常にポジティブなメンバーもいるけど、私はそうじゃない。 考える癖があるから。 でも、考えても答えがないことも、自分が悩んでも仕方ないことも、たくさんある」 そんなことを考えてしまうところが、弱いと感じるそうだ。 自分自身を極端で波が激しいと表現する彼女は、「ドンと落ちても切り替えて、上げていく。 また落ちたら、また切り替える。 落ちてから上がってくるスピードは速いです!」と笑う。 「昔に比べて平坦になったと思うこともあるし、悟りを開く、みたいなこともある。 それに、あえて『いいや』って思うこともある。 一回悩むと長いけど、常にハッピーでいたい。 そこはもっと強くなれたらいいなと、ずっと思っているところ。 」 華やかに見える世界だが、その裏にはファンには見せない大変さがある 気分が落ちる原因には色々あるが、周りの環境に左右されることも少なくない。 大学に入り、企業に就職し定年まで働くという、いわゆる王道とは別の、 チアという道を進んだ彼女には、心無い言葉をぶつける人もいたようだ。 「そういう人には、『みてろよ』と思ってた。 マイナーな道だから、否定的な意見があって当たり前。 そういう人たちからしたら、知らない世界だし。 だから、結果を示す必要がある」 力強く語る彼女は、こう続けた。 「新卒で入った会社を辞めるのは、道がそれているのかもしれない。 でも、 そこに定年までいることが全てではないし、ベストとは限らない。 私は、それじゃ自分を活かしきれないと判断した。 だからネガティブな意見も飲み込むよ、飲み込むけど、見てろよ、と」 そういう人には立ち向かえばいい、そして結果を出せばいい。 日本プロスポーツ界初の専属マネジメント契約の締結という一つの結果を出したAyumiの口からは、頼もしいセリフが飛び出した。 「何か言われると、悔しいなと思う。 でもこれってバスケのチアがマイナーだから言われるわけで。 なら 自分でメジャーにすればいいと思ってる。 なんならこれが普通、くらいに」 Ayumiだからできる、チアへの恩返し これからの世代のために、先駆者として道を切り拓く 内には悩みを抱えながら、しなやかに自分の道を突き進むAyumiに、チアの世界を目指す子供たちへのメッセージをもらった。 「将来チアをやっていきたいと思ってる子は、 絶対にやった方が良い。 その子たちが私くらいの世代になったときは、この世界はもっと開けていると思う。 それに、どういうジャンルに進むかはそれぞれ。 私たちみたいにスポーツチームに属してもいいし、属さなくてもいい。 私が高校の時にやっていたような採点される競技チアとか、 いろんな世界がある」 大変だけど素敵な世界だから、やりたいと少しでも思えばチャレンジしたほうがいいと、後輩への思いを託した。 そして2018年12月に誕生日を迎える彼女に、今後のビジョンを聞いた。 「もともと自分の 現役としてのキャリアは、そんなに長くないと思ってはいる。 チアは、一生できる仕事ではない。 それをみすえて、栄養士の資格が取れる専門学校に行き始めたというのもあります。 現役を退いたときに、チアリーダーの世界に還元できるものや、恩返しできるものは何だろう、自分が関われる場所はどこだろうって考えた」 そんな彼女が目指すのは、 チアリーダーのサポート的役割を果たすことだ。 「私たちはハードスケジュールで、自分の体のケアもままならないこともある。 でも、面倒見てくれる人はいない。 選手なら体調管理してくれるトレーナーがいたり、控えの選手がいるけど不調をおしてでも試合に出るのが私たち」 ベストコンディションでなくてもやらなくてはいけないからこそ、サポートする側に回れたらいいという。 しかし、指導者などと違いすでに道があるわけではない。 現時点で、現役の チアリーダーを支え、ケアをする人間はいないのだ。 体作りやスケジューリングなど、チアは全ての活動を自分だけで管理する 「面倒を見てくれる人がいなくて一番大変なのは、体について。 私たちは太れないけど、動いてるからお腹は空く。 鍛えたいし細すぎてもダメで、全員が見て素敵だと思う体を作りたい。 そこをサポートしてくれる人がいたらいい」 体作りを含め、 現役のチアリーダーを支える道を拓くこと。 現役チアリーダーの価値が上がって、その周りの価値もあげること。 今の子供たちが大人になるころに、 プロでやるのが当たり前、選手のような待遇になっていること。 これが、Ayumiの描く将来図だ。 幼少期に親の許可が降りなかったバレエを何とか始め、ブランクがありながらSTAR JETSオーディションに合格し、学生とチアを両立している彼女。 苦悩しながらもやりたいことを成し遂げてきたAyumiなら、こんな夢もきっと実現させるに違いないと思わせる。 教室での彼女を一言で表現するなら、「猫」。 マイペースで、気ままに振舞う自由人だった。 しかしひとたび競技チアダンスのパフォーマンスとなると、一糸乱れぬ完璧で美しい演技を披露する、全く別の顔が現れる。 今回の取材で、私は彼女の新しい顔を見た。 チアという華やかな世界にいながら、将来を見据えて地道に勉強を重ねる姿は、新鮮だった。 彼女が現役を退いたとき、どんな新しい顔を見せるのか、楽しみで仕方ない。 しかしそんな日が来るまでは、チアリーダーAyumiの活躍を全力で応援したい。 【Ayumiさんの紹介】.

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千葉ジェッツふなばし

千葉 ジェッツ メンバー

アウェイ 株式会社千葉ジェッツふなばし 市場情報 非上場 本社所在地 〒273-0011 千葉県船橋市湊町二丁目3番17号 湯浅船橋ビル6F 代表者 代表取締役 米盛 勇哉 資本金 5155万円 純利益 7200万円(2019年06月30日時点) 総資産 5億6308万2000円(2019年06月30日時点) 決算期 6月末日 千葉ジェッツふなばし(ちばジェッツふなばし、: CHIBA JETS FUNABASHI)は、を本拠地とするバスケットボールチーム。 2011年、 千葉ジェッツの名称でに参入し、2013年からは「(NBL)」に移籍する。 2016年にbjリーグとNBLが統合されが設立されると、千葉はB1リーグ東地区に振り分けられた。 初のプロバスケットボールチームであり、チーム名の「ジェッツ」はのと同様に、()とジェット機にちなんでいる。 当初千葉県全体をホームタウンにしていたが、2016年のBリーグ参入とともにホームタウンをに、ホームアリーナをに定めた。 また、2017-18シーズンからチーム名を 千葉ジェッツふなばし(呼称は千葉ジェッツ)に改めた。 株式会社千葉ジェッツふなばし(2017年2月1日に株式会社ASPEから社名変更)が運営している。 2019年4月15日に新アリーナ建設に向けてと業務資本提携並びにグループ入りする事を発表した。 チームカラー [ ]• プラチナカラー 「ジェット機の無機質さ、強さ、唯一無二の存在であることを表現する色」• ジェッツレッド 「ジェット機の炎、熱さ、選手の志、ブースターの情熱、歓喜を表現する色」 ジェット機の無機質さと強さを表現するプラチナに、選手の志やブースターの情熱・歓喜を表現するジェッツレッドを合わせることによって、ジェット機の強さと人間の温かさを兼ねそろえたチームとして表現している。 チームロゴ [ ] 鉄壁な守備を現す盾から音速を超えるジェット機が飛び立つイメージを表現。 盾は音速を超えた際に起こるを表している。 カラーは、盾部分はプラチナの原型色、それが選手の想い、ブースターの声援(ジェッツレッド)によって磨きあげられて輝きを放つ千葉ジェッツの文字(プラチナカラー)になっている。 歴史 [ ] bjリーグ参入まで [ ] 3月1日、(bjリーグ)参入を目指して梶原健ら有志が集まり、千葉プロバスケットボールチーム準備委員会を設立。 3月31日にbjリーグへ正式に参入申請を行った後、リーグの審査を経て8月26日に2011-12シーズンよりのbjリーグ新規参入が正式決定する。 9月17日、チーム運営会社「株式会社ASPE」を設立。 11月25日、一般公募により決定したチーム名の「千葉ジェッツ」(命名、の会社員)やチームロゴなどを発表する。 bjリーグ時代 [ ] 2011-12シーズン [ ] ヘッドコーチに元HCのエリック・ガードーが就任。 に行われたドラフトでは、でのと前年度に活動休止したの、新人ドラフトで、育成ドラフトでとを指名し、獲得。 より、より、東京アパッチよりと、を経てドラフト外で、よりを獲得した。 また、、、の3人を獲得し、開幕を14選手で迎えた。 開幕後にリーチが故障したため、11月にを獲得するも、翌年の1月に契約解除し、2月にbjリーグのチームへの在籍経験があったを獲得した。 10月に参入初年度のシーズンが開幕。 10月15日の開幕戦で2010-11シーズンの覇者に77対74で勝利して公式戦初勝利。 1月にはbjリーグ所属チームとして初めて(オールジャパン)に出場した。 2回戦のツースリー戦は99対68で勝利したが、3回戦の戦は59対97で敗北した。 に行われたには、主催者推薦でモリース・ハーグロー、枠で石田剛規、アシスタントコーチにヘッドコーチのエリック・ガードーが選出された。 チームの得点源はリーグ得点ランク2位のモリース・ハーグローと4位のジャメル・スタテン。 開幕節の浜松戦で2連勝を飾ると、10月22日のホームゲーム開幕戦でbjリーグ参入同期のに勝利して3連勝を記録。 翌週もに連勝して10月は5勝1敗と好スタートを切ったが、その後は3度の5連敗を喫するなど低迷し、最終順位はイースタン10チーム中9位。 オフシーズンに一色が左膝外側半月板損傷・関節軟骨損傷、石田が右膝前十字靭帯損傷・半月板損傷の手術を行い、一色が全治5ヶ月、石田が全治8ヶ月と発表された。 2012-13シーズン [ ] が代表取締役社長に就任。 エリック・ガードーHCが退任し、後任に前HC代行のが就任。 前シーズンに在籍していた外国人全5選手を含む9選手が退団した。 一方で、よりを獲得。 外国人選手も、から交渉権を獲得したとは契約締結に至らなかったが、、、、 ()の4選手を獲得した。 その後12月に入ってから、ヒザの故障が癒えないサージ・アングーヌーとの契約を解除、直前にとの契約を解除されたと契約、さらに2月にから練習生契約でを獲得した。 1月から2月にかけてチーム記録の9連勝を達成。 レギュラーシーズンは26勝26敗の勝率. 500でイースタン11チーム中6位に入り、プレイオフ出場権を獲得。 カンファレンスファーストラウンドではイースタン3位のとアウェイ・ありそドームで対戦して、第1戦77-97で敗れた翌日、第2戦を103-73で取り返したが、決定戦17-19で敗れて敗退が決定した。 NBL時代 [ ] 2013-14シーズン [ ] からはが中心となって発足させた新リーグの(NBL)に参戦。 NBLは(JBL)とbjリーグを統合して発足する予定であったが、bjからは千葉のみの初年度参加にとどまった。 新ヘッドコーチは前年度までを率いてチームを2012-13シーズンのbjリーグ優勝に導いたが就任。 選手は(主将)、、の日本人選手3名のみが残留し、その他は入れ替えた。 佐藤は12月の第1回にチーム・メディア推薦で出場した。 シーズンは9月28日に行われた船橋アリーナでの開幕戦から日立と栃木を相手に4連勝を飾って首位に立つ好スタートを切ったが、5戦目で連勝が止まるとそのまま20連敗を喫して最下位まで順位を下げた。 12月のウエスタンとの交流戦で連敗を止めた後、再び4連勝を記録したが、上位には進出はできず18勝36敗のイースタン6チーム中最下位でシーズンを終えた。 2014-15シーズン [ ] はHCがレジー・ゲーリーが残留、さらに新外国人選手として横浜から、から、アメリカからを、日本人選手としてからを補強、開幕の代々木第二で行われた日立との連戦は連敗したが、ホーム開幕の戦に連勝し、さらに前年度全敗だった、に初勝利を挙げるが、に初敗戦を喫するなど安定した戦いは出来なかった。 イースタンカンファレンス34勝20敗でカンファレンス5位で終え、プレーオフにはワイルドカードで進出。 プレーオフではクォーターファイナルで日立東京に2連敗しシーズン終了する。 2015-16シーズン [ ] 、HCはに移籍したゲーリーに変わり、元和歌山トライアンズHCのを招聘。 外国人選手はバーレル、ホーンに変わりNBAでもプレー経験のある、からが加入。 日本人選手は広島から、からと、シーズン開幕直前になりアメリカ挑戦中だった元のを獲得、補強と昨シーズン終盤からの観客数・スポンサー数の増加などで開幕前は優勝候補にも挙げられていた。 しかし、開幕前に阿部がアキレス腱断裂の怪我で全治6ヶ月の離脱。 開幕後は新加入選手と既存選手とのフィットが上手くいかず、クックは10試合を終了した時点で契約解除となり、と入れ替わることになる。 けが人が大量に出たことやシーズン前の補強がジェリコHCの意図していない選手補強でもあって選手への戦術浸透もままならず、ジェリコHCは3月に契約解除となり、前シーズン限りで引退をした佐藤博紀が残りシーズンのHC代行を務めることになった。 佐藤HC代行に変わり、選手への戦術約束事を減らしたチームは立て直してレギュラーシーズンを22勝31敗と負け越しながらも8位に滑り込みプレーオフ進出を果たした。 その他、このシーズンは観客動員が好調で4月の千葉ポートアリーナで行われたリンク栃木ブレックス戦でNBL最多の6835人を達成した他、シーズンを通したホームゲーム観戦者数が累計10万92人となり、bjリーグ・NBLを通して日本のバスケットボールチームで初めて、シーズン観客数10万人突破を達成した。 Bリーグ時代 [ ] 2016-17シーズン [ ] 本拠地をに変更。 初年度となるは船橋アリーナでホームゲーム8割以上を行い、練習場も同所で確保。 1部リーグ(B1リーグ)・東地区でのスタートとなった。 HCは元広島ドラゴンフライズアシスタントコーチだったを招聘、選手はが現役を引退、前年途中からレバンガ北海道にレンタル移籍していたと(へ移籍)が契約満了となり、から、からの獲得を発表している。 開幕戦(・)はホーム・でと対戦。 1勝1敗のスタートとなった。 10月の試合は4勝6敗と負け越したが、11月の試合ではアウェー・仙台戦(、・)で2連勝を果たすと、7連勝負けなし。 の戦まで13連勝と盛り返した。 特にはチームにとって頼もしい存在だった。 では準々決勝に、準決勝にを破り、決勝戦ではを88-66で破り、初優勝を飾った。 創設6年目にして、クラブ史上初のタイトルを手にした快挙だった。 また旧に加盟していたチームの優勝も史上初である。 になっても、Bリーグでの千葉の勢いは衰えず、2月・3月の試合は僅か1敗ずつという驚異的な強さを見せる。 最終的に、東地区の優勝争いは栃木ブレックス、の三つ巴となった。 レギュラーシーズンはA東京とは同じ44勝16敗、勝率は. 733であったがも3位になった。 それでもワイルドカード上位枠でBリーグチャンピオンシップ出場を決めた。 クォーターファイナルではアウェーで東地区優勝の栃木と対戦した。 第1戦は80-73と完敗したが、第2戦は第1クォーターは千葉が33-13と大差でリードした。 一時は22点もリードするなど、第2クォーター終了時点で43-28と15点リードで前半を折り返す。 しかし第3クォーター以降は栃木が反撃の狼煙を上げる。 特に栃木はなどが奮闘を見せ、第3クォーターは9-21。 試合の流れは栃木に傾いていった。 第4クォーターでは残り6分、1点差に追い詰められた場面で、パワーフォワードのの無理な攻撃に対し、センターのが激怒。 プレーが止まった直後に殴り合い寸前のけんかが勃発した。 その事が響き、第4クォーターは18-28。 結果は70-77と逆転負け。 2連敗でクォーターファイナルで敗退し、後味の悪い終わり方となった。 シーズン終了後、、の退団が発表された。 またBリーグの年間表彰において、「ベストシックスマン賞」としてが、そしてベストファイブではが選出された。 2017-18シーズン [ ] 2017年7月1日、クラブ名を「 千葉ジェッツふなばし」、運営会社も先立って2月1日に「 株式会社千葉ジェッツふなばし」に変更する。 からは素早い攻撃を体現する存在としてを 、からはインサイドの主力としてを獲得。 7月26日には、ドイツでプレーしていたと契約した。 積極的な守備から攻撃に移るチームの戦略に適合する選手として契約したが 、11月27日にチームはガフニーとの契約を解除し 、代わってと契約する。 ライオンズは2016-17シーズン終了後に引退しファッションデザイナーとして活動していたが、現役に復帰した。 では連覇を果たした。 5月5日のリーグの戦で80vs76で勝利し、リーグ戦残り1試合を残して混戦の東地区で地区優勝を決めた。 2018-19シーズン [ ] 2019-20シーズン [ ] 2019年8月21日、島田社長が代表取締役会長に就任し、新社長に出身で3月に入社、4月に副社長就任したばかりの米盛勇哉が就任すると発表。 2020-21シーズン [ ] 2020年5月26日、島田会長の時期Bリーグチェアマン就任に伴い会長職を退任、併せて米盛社長も退任することが発表された。 後任には親会社ミクシィの執行役員スポーツ事業本部・本部長である田村征也が就任する。 ホームゲーム [ ]• のホームゲーム26試合中半分近くの12試合はで開催された。 次点に(6試合)、(4試合)と続く。 この他体育館とで各1カード(2試合)を開催。 は船橋アリーナ8試合、八千代市市民体育館4試合、浦安市運動公園総合体育館、市川市塩浜市民体育館で各2試合開催の他、、、で各2試合、で4試合があり、房総地区と県庁所在地である千葉市での初開催があった。 は船橋アリーナ12試合、千葉ポートアリーナ4試合、佐倉市民体育館、浦安市運動公園総合体育館、市川市塩浜市民体育館で各2試合の他、初開催となる体育館、成田市体育館、東京都墨田区のでの各2試合がある。 このうち墨田区総合体育館での試合は、「墨田区バスケ祭り」としてとのコラボレーション開催が行われる と同時に、チーム初の千葉県外での開催となった。 一方、日立東京もフランチャイズとしている柏市の柏市中央体育館では、同チームの主催試合2試合が開催され、チーム初の千葉県内でのアウェーゲームとなった。 のホームゲーム27試合中、船橋アリーナ14試合、千葉ポートアリーナ5試合、佐倉市民体育館、八千代市市民体育館、浦安市運動公園総合体育館、市川市塩浜市民体育館で各2試合が開催された。 のホームゲーム28試合中、船橋アリーナ16試合、千葉ポートアリーナ5試合、八千代市市民体育館4試合、市川市塩浜市民体育館2試合、佐倉市民体育館1試合が開催された。 のホームゲーム30試合中、船橋アリーナ24試合、千葉ポートアリーナ6試合。 Bリーグ1部基準である8割以上のホームゲーム開催は船橋アリーナでクリアをし、この年から1F席ホーム側サイドの席に指定席を導入、ファーストクラス、ゴールピット席は1列から2 - 3列と増加している。 のホームゲームは前シーズン同様。 指定席は1Fサイドの席が全面指定席化され、2Fのサイド席の中央部が指定席化されるなど、前シーズンに引き続き指定席が増加した。 また、アリーナ周囲の治安の観点から、入場待機列のルールが変更され、深夜・早朝(8:00以前)からの入場待ちと8:00 - 開場までの間のシート貼りが禁止された。 しかし、過度の自由席の確保や、観客同士のトラブルが散見されるなど、問題の解消には至っていない。 のホームゲームは前シーズン同様だが、千葉ポートアリーナ4試合、船橋アリーナ3試合平日開催が組まれる。 1Fが全面指定席に変更。 2Fもサイド席が全面指定に変更され、自由席は2Fのエンド席のみとなる。 また、サイン会、写真撮影会のルールが変更され、ブースタークラブ会員のうちダイヤモンド会員はこれまで同様全試合参加できるが、プラチナ会員、ゴールド会員は、来場ポイント、グッズ購入ポイントなどと引き換え 500ポイント に変更された。 また、チャンピオンシップホーム開催の不正転売、必要数以上の購入などの反省から1会員につき4枚までしか発券できないこととなった。 のホームゲームは千葉ポートアリーナの試合数が減らされ 4試合 、船橋アリーナの試合数が増加した 26試合。 原則全面指定席に変更され、待機列に並ぶブースターの減少、開場時の混雑緩和に努めるとしている。 しかし、シーズンチケットなどで1F席を中心にチケットが売れてしまっており、チケットが購入しづらい状況は改善されていない。 成績 [ ] B. LEAGUE [ ] ・ ・ ・ レギュラーシーズン プレーオフ 天皇杯 シーズン リーグ 地区 順位 勝 敗 勝率 ゲーム差 ホーム アウェイ 自地区 他地区 得点 失点 点差 総合 結果 備考 HC ref. 1 B1 東 3 44 16. 733 5 0 21-9. 700 23-7. 767 26-10. 722 18-6. 750 4935 4455 480 5 QF 敗退 優勝 2 B1 東 地区1 46 14. 767 0 0 22-8. 733 24-6. 800 22-8. 733 24-6. 800 5072 4409 663 2 準優勝 優勝 3 B1 東 地区1 52 8. 867 0 0 26-4. 867 26-4. 867 26-4. 867 26-4. 867 5157 4282 875 1 準優勝 優勝 ゲーム差:1位との差 PO圏との差 地区1 : QF :準々決勝 3決 :3位決定戦 SF :準決勝 FINAL :決勝 B1:9~14位はPOなし チャンピオン B2優勝 昇格 降格 残留 2020年06月27日更新 過去のリーグ戦 [ ] bjリーグ [ ] 年度 レギュラーシーズン 最終結果 HC 備考 勝 敗 勝率 ゲーム差 得点 失点 得失点差 順位 18 34. 346 19. 0 7. 0 78. 1 84. 5 -6. 4 東9位 17位 新規参入1年目 26 26. 500 10. 0 81. 7 80. 1 +1. 6 東6位 9位 プレイオフ 地区1回戦出場 ゲーム差は 外は1位、 内は圏との差をそれぞれ表している NBL [ ] 年度 レギュラーシーズン 最終結果 HC 備考 勝 敗 勝率 ゲーム差 得点 失点 得失点差 順位 18 36. 333 28. 0 13. 0 69. 4 75. 4 -6. 0 東6位 9位 転籍1年目 34 20. 630 11. 0 75. 4 71. 2 東5位 6位 ワイルドカードでプレイオフ クォーターファイナル進出 2015-16 22 33. 400 25. 0 73. 6 76. 3 -2. 入場者数NO. 1クラブ(2016-17、135,097人)• SNS増加数NO. 1クラブ(2016-17、137,161フォロワー) 全日本総合選手権 [ ]• 2012年 - 3回戦• 2014年 - 3回戦• 2015年 - 準々決勝(4回戦)• 2016年 - 3回戦• 2017年 - 優勝• 2018年 - 優勝• 2019年 - 優勝• 2020年 - 5回戦 スタッフと選手 [ ] ・ ・ ・ 選 手 スタッフ Pos 名前 年齢 身長 体重 国 出身 4. 05 m 6 ft 9 in 244. 71282 111 kg 245 lb USA 1. 67 m 5 ft 6 in 143. 3003 65 kg 143 lb JPN 4. 00 m 6 ft 7 in 224. 87124 102 kg 225 lb JPN 1. 90 m 6 ft 3 in 165. 3465 75 kg 165 lb JPN 2. 84 m 6 ft 0 in 185. 18808 84 kg 185 lb JPN 3. 91 m 6 ft 3 in 205. 02966 93 kg 205 lb JPN 4. 97 m 6 ft 6 in 218. 25738 99 kg 218 lb JPN 4. 06 m 6 ft 9 in 249. 12206 113 kg 249 lb USA 1. 77 m 5 ft 10 in 158. 73264 72 kg 159 lb JPN 1. 73 m 5 ft 8 in 154. 3234 70 kg 154 lb JPN 4. 06 m 6 ft 9 in 242. 5082 110 kg 243 lb USA 4. 02 m 6 ft 8 in 207. 23428 94 kg 207 lb JPN 2. 87 m 6 ft 2 in 211. 64352 96 kg 212 lb JPN 3. 97 m 6 ft 6 in 213. 84814 97 kg 214 lb JPN ヘッドコーチ 更新日:2020年06月27日 歴代ヘッドコーチ [ ]• エリック・ガードー()• (2013-15)• (2015-2016. (代行、2016)• (2016- ) 永久欠番 [ ]• 0 - チーム創設時より初代キャプテンを務めていた佐藤博紀が2014-15シーズンをもって引退した際、背番号0が永久欠番となった。 応援 [ ] ホームゲームでチアパフォーマンスを行っているのは 千葉ジェッツエンターテイメントチーム・で、メンバーはチアダンサーズ、チアアテンダント、ドラムラインで構成されている。 ディレクターは2011-12シーズン途中まで元NFLチアリーダーのが担当、2012-2013シーズンまではSTAR JETS兼任でがディレクターを務め、2013-2014シーズンからアドバイザーに、ディレクターにという体制である。 マスコットキャラクターはエンターテイメントチームの一員の ジャンボくん。 職業は世界最速「千葉ジェッツ号」の整備士で選手(パイロット)を目指している。 これら全員をチームでは「 フライトクルー」と総称しており、試合前の映像も飛行機のフライトにちなんだものになっている。 アリーナMCは2011-2012シーズンからが担当している。 西武ドームでのホームゲームのMCも務めているため、時折MCの代理もある。 応援マナーに関しては総じて良いと言えず、出待ちや自由席の過剰確保、ヤジ・誹謗中傷など、枚挙に暇がない。 しかし、千葉ジェッツふなばしは対策を殆どしておらず、ホームブースターだけでなく、アウェーブースターにも苦言を呈されている。 さらに、戦など人気カードを中心に、問題がある度に、SNSで言い争う一部ブースターも存在するため、「自己中心的」「日本一マナーが悪いブースター」「小学生のけんか」などと揶揄されている。 ユニフォームスポンサー (2018-19シーズン) [ ]• サプライヤー:• 金太郎ホーム(胸)• 胸上部・及び千葉ジェッツ選手フリースロー成功時の効果音• (パンツ左上)• (パンツ左下)• (パンツ右上)• (パンツ右下)• (背中 背番号上)• (背中 背番号下)• サテライトオフィス(胸上部) 脚注 [ ] []• 千葉ジェッツ公式サイト. 2012年6月23日閲覧。 日刊スポーツ. 2015年4月23日. 株式会社ミクシィ(2019年4月15日作成). 2019年4月15日閲覧。 読売新聞(2019年4月14日作成). 2019年4月15日閲覧。 普段のbjリーグ戦では外国人を複数名同時出場させている千葉だが、この大会ではルールにより1人しか出場させることができなかった。 逆に北海道には日本に帰化した選手が所属していたため、外国出身選手を2名同時起用することができた。 公式サイト 2012年6月1日• バスケット・カウント. 2017年4月11日. 2020年6月14日閲覧。 スポーツ報知 2017年5月15日. 2017年6月30日閲覧。 プレスリリース , 千葉ジェッツ, 2016年9月8日 , 2018年1月8日閲覧。 鈴木健一郎 2018年1月7日. バスケットカウント. ティーアンドエス. 2018年1月8日閲覧。 鈴木栄一 2017年12月17日. バスケットカウント. ティーアンドエス. 2018年1月8日閲覧。 バスケットカウント. ティーアンドエス 2017年7月26日. 2018年1月8日閲覧。 バスケットボールキング. フロムワン 2017年11月27日. 2018年1月8日閲覧。 大島和人 2017年12月10日. Yahoo! ニュース. 2018年1月8日閲覧。 日刊スポーツ. 2018年1月8日. 2018年1月8日閲覧。 バスケットボールキング. 2019年8月21日. 2020年6月14日閲覧。 プレスリリース , 千葉ジェッツふなばし, 2020年5月26日 , 2020年6月14日閲覧。 千葉ジェッツ2015年6月1日• bleague. jp 2017年5月7日. 2017年5月7日閲覧。 Bリーグ• 2017年5月8日時点 Bリーグ• 千葉ジェッツ2015年6月19日 関連項目 [ ]• - 船橋市の原動機付自転車用のナンバープレート(白色(第一種)・黄色(第二種乙)・桃色(第二種甲))としてジャンボくんをあしらったものを2016年9月21日より交付開始した。 船橋市のデザインナンバープレートとしては2例目。 - チームの運営会社であり、サービス創造学部の公式サポーター企業。 - 選手輸送用のバスを所有。 - オフィシャルイメージソング『全力エンジン』を歌うグループ。 - チームのラッピングを施した「ジェッツトレイン」(またはを使用。 愛称はシーズンにより異なる)を運行している。 また系列のがホームゲーム開催時に直通バスを運行する。

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チアリーダー Ayumi(千葉ジェッツふなばし STAR JETSメンバー)

千葉 ジェッツ メンバー

この日Ayumiは、いつもの練習場にユニフォーム姿で現れてくれた アーティストのライブに行って「目が合った!」と感じた経験はないだろうか。 残念ながら燦々と照明が輝くステージから、暗い客席はほとんど見えないらしい。 しかし、ステージできらきらと輝くパフォーマーと、 本当に目が合う場所がある。 熱い視線を送る先にいるその本人が、自分をしっかりと認識する場所。 それは、 バスケの試合会場だ。 「チームが負けそうなとき、ふと客席を見る。 そうするとそこには赤いウェアの人たちがいっぱいいる。 それを見ると、あ、頑張らなきゃって、ギアが一つあがるんです。 」 笑顔でこう語るのは、STAR JETSメンバーのAyumiだ。 STAR JETSとは、Bリーグの1部リーグに所属するバスケットボールチーム「 千葉ジェッツふなばし」の、専属チアリーダーである。 千葉県船橋市をホームタウンとし、試合中の応援やパフォーマンス、様々なイベントへの参加といった活動を行う。 チアリーダーは試合の合間にパフォーマンスを披露するが、彼女はその最中、ふと音が消える感覚になる瞬間があるという。 ふいに冷静になり、第三者的気分で、ブースターを見つめる。 距離が近いため、顔がよく見える。 まるで走馬灯のように、何も聞こえなくなる瞬間が訪れる その光景を見ていると、大勢の人が一か所を見つめて、全力で応援していることを改めて感じ「自分も、もっとやれる」と気合が入るという。 現在チアリーダーとして業界最前線を突っ走るAyumiの原点は、幼稚園時代にまで遡る。 当時仲の良かった友達が、 クラシックバレエを習っている姿を間近で見ていた。 彼女は母に、自分もバレエやりたいと言った。 しかし当時のAyumiは、髪はベリーショートで、あまりに元気すぎて園庭の泥で服を汚すため、必ず着替えを持たされる生活。 そんな活発少女だった彼女にバレエなんてと、やらせてもらえなかったそうだ。 しかし当時から、 彼女には人一倍の意志の強さがあった。 幼稚園から小学校に上がったあとも、日々「バレエをやりたい」と言い続けた。 そんな姿を見かねた祖母が「まあ一度、やらせてみたら」と言い、ついに母は根負けする。 小学校二年の時、Ayumiはバレエ教室の扉を叩いた。 「最初は楽しさしかなかった。 体も柔らかかったし。 でもバレエを始めるには遅い年齢だったから、同級生よりも下のクラスに入れられて悔しかった」 幼少期を過ごした宮崎から千葉に引っ越してからは、より一層バレエに熱が入った。 小中学校時代は、月曜から土曜日、学校と塾と平行しながら週6ペースで教室に通った。 同級生との差を埋めるために必死で練習し、バレエの幅を広げるために ジャズダンスにも手を出した。 そして中三の秋、とある契機を迎える。 「高校で部活をやろうなんて、一ミリも思ってなかった。 でも、学校説明会の部活動紹介を見た時、『これだ!!』と心が決まった」 彼女が衝撃を受けたのは、バトントワリング部が披露した 競技チアダンスのパフォーマンスだった。 先輩たちのダンスに、一気に魅了された。 コンクールはあれど点数のつかないクラシックバレエとは対照的に、競技チアダンスは明確に数字で評価が下される。 そして、団体で踊るという点もAyumiにとっては新鮮だった。 もともと別の高校への進学を考えていた彼女だが、その日を境に志望校を変更。 無事入学試験を突破し、競技チアダンスを始めた。 そして大学に進学し一年目の1月に、 プロ野球チームのチアリーダーのオーディションを受けた。 これに合格し、大学二年の12月までの一年間、チアとして活躍した。 「ダンスを仕事にするのは簡単ではないということは、若いながらに分かっていて。 大学四年間でダンスを仕事にする基盤が出来なかったら、その後はやらないなと、なんとなく思っていた」 クラシックバレエ、競技チアダンス、プロ野球のチアリーダーというダンス漬けの生活を送っていた彼女にも、就職活動の波が訪れる。 彼女は、 ブライダル業界を志望していた。 様々な企業があるなかで、ブライダルジュエリーを扱う企業から内定を獲得する。 「就活の流れに身を任せた感じはあるけど、でも精力的にやってた。 結果、入りたいと思ってたブライダルの業界に進めたので、ダンスを諦めたと言うより ブライダルをやりたいという思いが勝った感じでした。 」 ダンスを仕事にするのは、日本ではメジャーではない。 「職業:ダンサー」と名乗れるのは、一部の一流と呼ばれる層だけである。 そんな環境でもこの世界を目指す人間は数多く、食べていけない分はダンスの先生をしたりやアルバイトをしたりしてまかなう。 そんな現実を知っていたAyumiは、不安定な世界は怖いと思ったという。 「自分は結構、安定志向。 だからフリーターになることを否定はしないけど、私にはできないと思った」 当時は大学を卒業したら就職するのが普通だとも思っていたこともあり、就職を決めた。 一つの不合格と、一つの合格 STAR JETSメンバーになるまでの道は、平坦だったわけではない STAR JETSメンバーになるまでの道は、平坦だったわけではない 憧れのブライダル業界に入ったAyumiの 社会人生活は、目まぐるしいスピードで進んでいく。 「社会人一年目は、本当に大変。 覚えることが多くて、日々先輩に怒られて、仕事をこなして。 気がついたら、夏になっていて。 10月になったら一つ下の代の子たちがインターンで入ってきて、もう一年経つの?って」 実際に店舗に立ち、結婚指輪や婚約指輪を買い求めに来る客を接客し、決して安くない金額のジュエリーを販売する。 そうして会社員として働くAyumiの周りには、ダンスの専門学校を出てからアルバイトをしつつ、夢を追いかけるような生活をする友人が複数いた。 デンジャーな世界ではあるもののやりたいことをやる友人と、 仕事に疲れた自分。 そのコントラストを感じた時に「私、まだ22じゃん。 やれるじゃん 」と思ったという。 ダンスへの思いが、再燃したのだ。 あと5年も経てば、チャレンジすら難しくなる。 だったら、 今、やりたいことをやろう。 こう決めたAyumiは自分が何がやりたいかを考え、原点に返った。 大学時代にやっていた、プロ野球チームのチアリーダーのオーディションを受けることにしたのだ。 社会人一年目の12月、彼女が手にした結果は、不合格だった。 「オーディションには落ちたけど、落ち込むというより、むしろすっきりとした、晴れやかな気持ちで。 オーディションの日まで全力で頑張ったから、出し切ったなって」 だからこそ、「 よし、会社員に戻ろう」と思ったという。 オーディションの世界は厳しく、思うようにいかないことも多い オーディション後、STAR JETSメンバー経験があった友人と会った。 自分が落ちたことを伝えると、STAR JETSのオーディションを受けたらどうかと言われる。 しかしそのときのAyumiの心境は、複雑だった。 「野球からバスケに競技を渡り歩いたり、同じ競技でもチームを渡り歩いたりすることに対して、もやもやした気持ちを持ってた。 昨日まで違うチームを応援していたのに、今日からこっちというのは、どうなんだろうって。 だから自分が野球からバスケに移動したら、そう思う人もいるだろうなって」 そもそもAyumiはバスケの試合を見たことがなく、ルールすら曖昧だった。 そこで「まずは一回見てみよう」と思い、試合会場に足を運んだ。 そしてSTAR JETSのパフォーマンスを見た彼女は、 観客席で涙を流した。 「ものすごく衝撃だった。 自分は野球しか知らなかったから、パフォーマンスを見て、こういう世界があるんだって。 チアリーダーが会場を盛り上げるって、こういうことかと。 すごい、と思った。 しかしSTAR JETSのパフォーマンスはメンバーが手の届く範囲にいる。 そして野球と違い、試合中もずっとコートの横で選手たちを応援し続ける。 バスケチームのチアという 新しい世界を知り、すぐにオーディションについて調べた。 そして 社会人二年目の6月、彼女はSTAR JETSメンバー オーディション会場に立っていた。 本人は、受かるとは思っていなかったという。 プロ野球チームのオーディションに落ちたばかりであったし、会社員であるうえ、ブランクもある。 会場に集まったライバルたちは、みんな素敵に見えた。 しかし本人の予想を裏切り、Ayumiは その日のうちに合格を言い渡された。 「周りには言ってなかった、というか言えなかった。 自信がなかったから。 家族にも、こういう世界があるらしいよとちらつかせてはいたけど、受けるとは言っていなくて。 だから合格したって伝えたら、両親はすごく驚いていました」 そしてまず言われたことが、「それで、仕事はどうするの?」という言葉だった。 辞めるというと、母は大丈夫なのかと心配したそうだ。 その後、父に「怒られるだろう」と思いつつ伝えると、意外にも「やりたいことをやったらいい」と言われた。 無事に 家族の理解は得たものの、もう一つ問題があった。 土日出勤に対応できないため、彼女は、合格すれば会社は辞めることになるだろうとオーディション前から店長に話していた。 しかしこの相談をしてからオーディションに合格するまでの間に、異動の辞令が出されたのだ。 新店舗に行き、立ち上げ業務を担当してほしいという。 「この時は本当に、どうしようって。 新店の立ち上げは誰もが経験できることではないので挑戦したい気持ちもあった。 でも念願の合格を手にしてしまった自分。 どちらを選ぶべきか真剣に悩みました。 で、そもそもなんで辞めなきゃいけないんだっけと考えた時に、土日に休めないからだと。 じゃあ平日働いて土日休みにすると、会社が理解を示してくれて。 イレギュラーな働き方を認めてもらえた。 」 こうしてSTAR JETSメンバーAyumiとしてのスタートを切った。 規模が大きくお客さんも数万人が入る野球と違い、バスケではメンバー同士の声も聞こえる。 球場では友達が客席にいても気が付かなかったが、今は顔が分かる距離にいる。 こうして夢を叶えたとはいえ、 週5日は会社員として働いて、 土日はパフォーマンスを披露する。 その生活は大変ではなかったかという問いに、彼女は少し悩んでこう答えた。 「大変だったけど、メンバーはみんなそういう生活。 今も、会社員とか学生をしながらチアをやってる。 日曜は何千人の前で踊っていたのに、月曜は朝からパソコンをカタカタやるという温度差で、ちょっと笑っちゃうこともある」 会社員とチアリーダー、二足の草鞋を履く彼女だったが、 社会人二年目の秋に三足目の草鞋を見つけた。 「ふいに、学校に行こうって思って。 大学進学するタイミングでちょっと興味があったけどチャレンジしなかった、 栄養士の資格を取りたいと。 仕事は楽しかったけど、一通りできるようになっていて、何か面白いことやりたくなったんです」 飽き性なのかなと笑う彼女だが、栄養士という資格にたどり着いたのには、 チアリーダーとしての生活がきっかけだった。 「栄養学から言うと、試合前にはエネルギーのもととなる糖質中心の食事をとるべき。 でも実際、私は体型維持の為に糖質制限をしてて、セオリーにそぐわない。 それから試合後は疲労回復の為に30分以内に糖質やたんぱく質をとるべきだけど、翌日も衣装を着るから、お腹は空いててもがっつり食事をとることはできません。 これってなんで?どうすればいいの?って思ったのが、学校に入ったがきっかけです。 」 しかし、すぐに入学を決めたわけではない。 学費の高さを懸念し、これが突発的な気持ちで、入ってから違ったと思いたくないと感じたのだ。 そこで、あと 一年どうするか考えながら貯金すると決めた。 社会人三年目の夏には気持ちも固まり、貯金の目処もたった。 そこで職場にだけ退職を相談し、入学試験を受けた。 「親には言わずひっそり受けて、受かってから両親に話しました。 『仕事やめる』『え、何するの?』『栄養士になろうと思ってる』『仕事は?お金どうするの?』『貯めた』って、母には有無を言わさない感じで(笑)」 父は相変わらず、やりたいことをやれと応援してくれた。 きっと学費の援助を頼んだらこうはいかなかっただろうと、本人は振り返る。 学生になってからも、もちろんチアの活動に全力だ 会社を辞め、学生をしながらチアを続けているなかで、 チアリーダーの専属マネジメント契約の話が沸いた。 オーディションを受けたいという気持ちはあったが、「どうしよう」という気持ちが大きかったという。 「学生だから日中は空いてないし、そもそも安定思考だから、定まってない世界に飛びこむのが怖い。 本当に大丈夫なのかなって思った。 色々考えて、プロデューサーにも相談した。 それで、あとから 『やればよかったな』ってなるなら、やってみるかと」 厳しいとは指摘されていたが、「それでも自分はこういうことができますというのがあれば、オーディションで是非見せて」と言われた。 そこで彼女が作ったものが、 やりたいことリストだ。 もし 合格したら、何を実現させたいのか。 それを伝えられるだけ伝えようと思った。 自分のビジョンを見せて、方向が合えばやらせてほしいと。 そのリストには「もっと地元に密着した市民に愛されるチームになり、野球やサッカーのような規模間まで引き上げたい」「地元の子供たちに夢を与えるために、幼稚園は学校を訪問したい」といった言葉が並ぶ。 Ayumiはオーディションを受ける前から、 プロ合格後の活動を見据えていたのだ。 他のメンバーにも同じことを考えている人はいたが、彼女は 「明確にしないとぼんやりしちゃう」と思い、 メモを作った。 少し照れくさそうに、当時のリストを見せてくれた そして 日本プロスポーツ界では初の試みとなる、 チアリーダーの専属マネジメント契約を結んだ。 その後追加オーディションによって、2017-18シーズン専属マネジメント契約メンバーは3名となった。 しかし当初は、たった一人での活動をしていた。 「一人での仕事が増えたけど、正解が分からないんだよね。 事例がないから、自分で考えても分からない。 でもイメージは独り歩きしていて、どうしようって。 本当にすごく考えた」 契約を結んだ彼女の胸にあったのは、「やってやろう」という思いよりも、不安だったという。 周りに相談する人はいても、同じ境遇の人間はいない。 しかし彼女には、実現させたいことがあった。 オーディション前に作ったやりたいことリストを見返し、それを実行するにはどうすべきか、自分一人で何ができるのか、順序立てして考えた。 気持ちの波を素早い切り替えで乗り越える 踊っている間、手を伸ばせば届く距離にメンバーがいる プロとしての契約後も、試合中のパフォーマンスには欠かさず参加している。 「パフォーマンス中にメンバー同士で目が合うことは、すごく嬉しい。 みんなの声や呼吸が聞こえるくらい近い。 ただ、チアと学生との両立は大変」 学校、試合、チームでの練習、自主練、チアスクールの講師、体作り。 すべてをこなすAyumiには、自分に使える時間がほとんどない。 美容院に行く2時間を捻出することすら、難しいという。 ただし、それをつらいとは思わないと言い切る。 他のメンバーも忙しく、むしろ時間がある方が不安になるそうだ。 そんな彼女に、 日々の仕事で大切にしていることを聞いた。 つかの間の沈黙の後、 「集中」という言葉が、一言返ってきた。 両手で膝を打ちながら、「集中」という言葉が飛び出した 「コートに入る時とか、踊ってる時、練習してる時に、『よし、集中』と自分に言う。 すべては一瞬のことだから、一本に集中するみたいなイメージ。 あれをやればよかった、というのがないように」 Ayumiの魅力は語りつくせないが、自分自身で自信を持っているのはどんな部分かを質問した。 「切り替えの早さかな。 例えば絶対に負けられない試合で調子が悪いと、会場の空気も悪くなるし、メンバーももどかしい感じになる。 でも、チアリーダーの私たちが何かをしたら点が入るわけでもないから、自分たちの力ではどうすることもできない。 そういう時に切り替えをすることによって、 自分のメンタルを一定に保つ」 波がないようにしようとしても、人間だから必ずしも上手くはいかない。 ただ、プラスマイナスで最終的に平坦になればいい。 ミスをしても、切り替える。 空気が悪くなっても、切り替える。 この切り替えの早さには、自信があるようだ。 反対に、もっと伸ばしたい部分もある。 「常にポジティブなメンバーもいるけど、私はそうじゃない。 考える癖があるから。 でも、考えても答えがないことも、自分が悩んでも仕方ないことも、たくさんある」 そんなことを考えてしまうところが、弱いと感じるそうだ。 自分自身を極端で波が激しいと表現する彼女は、「ドンと落ちても切り替えて、上げていく。 また落ちたら、また切り替える。 落ちてから上がってくるスピードは速いです!」と笑う。 「昔に比べて平坦になったと思うこともあるし、悟りを開く、みたいなこともある。 それに、あえて『いいや』って思うこともある。 一回悩むと長いけど、常にハッピーでいたい。 そこはもっと強くなれたらいいなと、ずっと思っているところ。 」 華やかに見える世界だが、その裏にはファンには見せない大変さがある 気分が落ちる原因には色々あるが、周りの環境に左右されることも少なくない。 大学に入り、企業に就職し定年まで働くという、いわゆる王道とは別の、 チアという道を進んだ彼女には、心無い言葉をぶつける人もいたようだ。 「そういう人には、『みてろよ』と思ってた。 マイナーな道だから、否定的な意見があって当たり前。 そういう人たちからしたら、知らない世界だし。 だから、結果を示す必要がある」 力強く語る彼女は、こう続けた。 「新卒で入った会社を辞めるのは、道がそれているのかもしれない。 でも、 そこに定年までいることが全てではないし、ベストとは限らない。 私は、それじゃ自分を活かしきれないと判断した。 だからネガティブな意見も飲み込むよ、飲み込むけど、見てろよ、と」 そういう人には立ち向かえばいい、そして結果を出せばいい。 日本プロスポーツ界初の専属マネジメント契約の締結という一つの結果を出したAyumiの口からは、頼もしいセリフが飛び出した。 「何か言われると、悔しいなと思う。 でもこれってバスケのチアがマイナーだから言われるわけで。 なら 自分でメジャーにすればいいと思ってる。 なんならこれが普通、くらいに」 Ayumiだからできる、チアへの恩返し これからの世代のために、先駆者として道を切り拓く 内には悩みを抱えながら、しなやかに自分の道を突き進むAyumiに、チアの世界を目指す子供たちへのメッセージをもらった。 「将来チアをやっていきたいと思ってる子は、 絶対にやった方が良い。 その子たちが私くらいの世代になったときは、この世界はもっと開けていると思う。 それに、どういうジャンルに進むかはそれぞれ。 私たちみたいにスポーツチームに属してもいいし、属さなくてもいい。 私が高校の時にやっていたような採点される競技チアとか、 いろんな世界がある」 大変だけど素敵な世界だから、やりたいと少しでも思えばチャレンジしたほうがいいと、後輩への思いを託した。 そして2018年12月に誕生日を迎える彼女に、今後のビジョンを聞いた。 「もともと自分の 現役としてのキャリアは、そんなに長くないと思ってはいる。 チアは、一生できる仕事ではない。 それをみすえて、栄養士の資格が取れる専門学校に行き始めたというのもあります。 現役を退いたときに、チアリーダーの世界に還元できるものや、恩返しできるものは何だろう、自分が関われる場所はどこだろうって考えた」 そんな彼女が目指すのは、 チアリーダーのサポート的役割を果たすことだ。 「私たちはハードスケジュールで、自分の体のケアもままならないこともある。 でも、面倒見てくれる人はいない。 選手なら体調管理してくれるトレーナーがいたり、控えの選手がいるけど不調をおしてでも試合に出るのが私たち」 ベストコンディションでなくてもやらなくてはいけないからこそ、サポートする側に回れたらいいという。 しかし、指導者などと違いすでに道があるわけではない。 現時点で、現役の チアリーダーを支え、ケアをする人間はいないのだ。 体作りやスケジューリングなど、チアは全ての活動を自分だけで管理する 「面倒を見てくれる人がいなくて一番大変なのは、体について。 私たちは太れないけど、動いてるからお腹は空く。 鍛えたいし細すぎてもダメで、全員が見て素敵だと思う体を作りたい。 そこをサポートしてくれる人がいたらいい」 体作りを含め、 現役のチアリーダーを支える道を拓くこと。 現役チアリーダーの価値が上がって、その周りの価値もあげること。 今の子供たちが大人になるころに、 プロでやるのが当たり前、選手のような待遇になっていること。 これが、Ayumiの描く将来図だ。 幼少期に親の許可が降りなかったバレエを何とか始め、ブランクがありながらSTAR JETSオーディションに合格し、学生とチアを両立している彼女。 苦悩しながらもやりたいことを成し遂げてきたAyumiなら、こんな夢もきっと実現させるに違いないと思わせる。 教室での彼女を一言で表現するなら、「猫」。 マイペースで、気ままに振舞う自由人だった。 しかしひとたび競技チアダンスのパフォーマンスとなると、一糸乱れぬ完璧で美しい演技を披露する、全く別の顔が現れる。 今回の取材で、私は彼女の新しい顔を見た。 チアという華やかな世界にいながら、将来を見据えて地道に勉強を重ねる姿は、新鮮だった。 彼女が現役を退いたとき、どんな新しい顔を見せるのか、楽しみで仕方ない。 しかしそんな日が来るまでは、チアリーダーAyumiの活躍を全力で応援したい。 【Ayumiさんの紹介】.

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