所謂 しょせん。 石川啄木 所謂今度の事 林中の鳥

「所為」の意味と使い方、類語、「所以・所謂」との違い

所謂 しょせん

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所謂(いわゆる)の意味と使い方とは?由来や間違いやすい言葉などを解説

所謂 しょせん

二三日前の事である。 途で渇を覺えてとあるビイヤホオルに入ると、窓側の小さい 卓 ( しよく )を圍んで語つてゐる三人連の紳士が有つた。 私が入つて行くと三人は等しく口を 噤 ( つぐ )んで顏を上げた。 見知らぬ人達で有る。 私は私の勝手な場所を見付けて、煙草に火を點け、口を 濕 ( うるほ )し、そして新聞を取上げた。 外に相客といふものは無かつた。 やがて彼等は 復 ( また )語り出した。 それは「今度の事」に就いてゞ有つた。 今度の事の何たるかは 固 ( もとよ )り私の知らぬ所、又知らうとする氣も初めは無かつた。 すると、不圖手にしてゐる夕刊の或 一處 ( ひとところ )に停まつた儘、私の眼は動かなくなつた。 「今度の事は然し警察で早く探知したから 可 ( よ )かつたさ。 燒討とか赤旗位ならまだ可いが、 彼樣 ( あん )な事を實行されちやそれこそ物騷極まるからねえ。 」さう言ふ言葉が私の耳に入つて來た。 「僕は變な事を聞いたよ。 首無事件や五人殺しで警察が去年から 散々 ( さんざ )味噌を付けてるもんだから、今度の事はそれ程でも無いのを態と 彼樣 ( あんな )に新聞で吹聽させたんだつて噂も有るぜ。 」さう言ふ言葉も聞えた。 「然し僕等は安心して可なりだね。 今度のやうな事がいくら出て來たつて、殺される當人が僕等で無いだけは確かだよ。 」さう言つて笑ふ聲も聞えた。 私は身體中を耳にした。 今三人の紳士の取交してゐる會話は即ちそれで有る。 私の其時起した期待は然し何れだけも滿たされなかつた。 何故なれば彼の三人は間もなく勘定を濟して出て行つたからで有る。 火事の後、家を失つた三四萬の市民は、何れも皆多少の縁故を求めて、燒殘つた家々に同居した。 如何に小さい家でも二家族若くは三家族の詰込まれない家は無かつた。 其時私は平時に於て見ることの出來ない、不思議な、而も何かしら愉快なる現象を見た。 それは、あらゆる制度と設備と階級と財産との攪亂された處に、人間の美しき性情の却つて最も赤裸々に發露せられたことで有つた。 彼等の蒙つた強大なる刺戟は、彼等をして何の顧慮もなく平時の虚禮の一切を捨てさせた。 彼等はたゞ彼等の飾氣なき相互扶助の感情と現在の必要とに據つて、孜々として彼等の新らしい家を建つることに急いだ。 そして其時彼等が、其一切の虚禮を捨てる爲にした言譯は、「此際だから」といふ一語であつた。 此一語はよく當時の函館の状態を何人にも理解させた。 所謂言語活用の妙で有る。 これも亦等しく言語活用の妙で無ければならぬ。 「何と巧い言方だらう!」私は快く 冷々 ( ひや/\ )する 玻璃盃 ( コツプ )を握つた儘、一人幽かに微笑んで見た。 間もなく私も其處を出た。 さうして兩側の街燈の美しく輝き始めた街に靜かな歩みを運びながら、私はまた第二の興味に襲はれた。 それは我々日本人の或性情、二千六百年の長き歴史に養はれて來た或特殊の性情に就いてゞ有つた。 彼の偏へに此性情に固執してゐる保守的思想家自身の値踏みしてゐるよりも、もつともつと深く且つ廣いもので有る。 蓋し無政府主義と言ふ語の我々日本人の耳に最も直接に響いた機會は、今日までの所、前後二囘しか無い。 無政府主義といふ思想、無政府黨といふ結社の在る事、及び其黨員が 時々 ( じゞ )兇暴なる行爲を敢てする事は、書籍に依り、新聞に依つて早くから我々も知つてゐた。 中には特に其思想、運動の經過を研究して、邦文の著述を成した人すら有る。 然しそれは洋を隔てた遙か遠くの歐米の事で有つた。 我々と人種を同じくし、時代を同じくする人の間に其主義を信じ、其黨を結んでゐる者の在る事を知つた機會は遂に二囘しかない。 其の一つは往年の赤旗事件である。 帝都の中央に白晝不穩の文字を染めた紅色の旗を飜して、警吏の爲に捕はれた者の中には、數名の年若き婦人も有つた。 」と言つた。 それを傳へ聞いた國民の多數は、目を丸くして驚いた。 然し其驚きは、仔細に考へて見れば決して眞の驚きでは無かつた。 例へば彼の事件は、藝題だけを日本字で書いた、そして其 白 ( せりふ )の全く未知の國語で話される芝居の樣なもので有つた。 國民の讀み得た藝題の文字は、 何樣 ( なにさま )耳新らしい語では有つたが、耳新らしいだけそれだけ、聞き慣れた「油地獄」とか「吉原何人斬」とか言ふものよりも、猶一層 上手 ( うはて )な、殘酷な舞臺面を持つてゐるらしく思はれた。 やがて板に掛けられた所を見ると、喜び、泣き、 嬌態 ( しな )を作るべき筈の 女形 ( をんながた )が、男の樣な聲で物を言ひ、男の樣に歩き、男も難しとする樣な事を平氣で 爲 ( し )た。 觀客は全く 呆氣 ( あつけ )に取られて了つた。 言ひ換へれば、舞臺の上の人物が何の積りで、何の爲にそんな事をするのかは少しも解することが出來ずに、唯其 科 ( しぐさ )の荒々しく、自分等の習慣に戻つてゐるのを見て驚いたのである。 又隨つて觀客の方でも間もなく其芝居を忘れて了つた。 尤もそれは國民の多數者に就いてゞ有る。 中に少數の識者が有つて、多少其芝居の筋を理解して、翌る日の新聞に劇評を書いた。 「社會主義者諸君、諸君が今にしてそんな輕率な擧動をするのは、決して諸君の爲では有るまい。 そんな事をするのは、漸く出來かゝつた國民の同情を諸君自ら破るものではないか。 これは當時に有つては、確かに進歩した批評の 爲方 ( しかた )であつた。 然し 今日 ( こんにち )になつて見れば、其所謂識者の理解なるものも、決して徹底したもので有つたとは思へない。 「我は無政府主義者なり。 」と言ふ者を、「社會主義者諸君。 」と呼んだ事が、取りも直さずそれを證明してゐるでは無いか。 さうして第二は言ふまでもなく今度の事である。 今度の事とは言ふものゝ、實は我々は其事件の内容を何れだけも知つてるのでは無い。 秋水幸徳傳次郎といふ一著述家を首領とする無政府主義者の一團が、信州の 山中 ( やまなか )に於て密かに爆烈彈を製造してゐる事が發覺して、其一團及び彼等と機密を通じてゐた紀州 新宮 ( しんぐう )の同主義者が其筋の手に檢擧された。 彼等が檢擧されて、そして其事を何人も知らぬ間に、檢事局は早くも各新聞社に對して記事差止の命令を發した。 如何に機敏なる新聞も、唯敍上の事實と、及び彼等被檢擧者の平生に就いて多少の報道を爲す外に 爲方 ( しかた )が無かつた。 若しも單に日本の警察機關の成績といふ點のみを論ずるならば、今度の事件の如きは蓋し空前の成功と言つても 可 ( よ )からうと思ふ。 啻に迅速に、且つ遺漏なく犯罪者を逮捕したといふ許りで無く、事を未然に防いだといふ意味に於て特に然うで有る。 過去數年の間、當局は彼等所謂不穩の徒の爲に、啻に少なからざる機密費を使つた許りでなく、專任の巡査數十名を、たゞ彼等を監視させる爲に養つて置いた。 斯くの如き心勞と犧牲とを拂つてゐて、それで萬一今度の樣な事を未然に防ぐことが出來なかつたなら、それこそ日本の警察が其存在の理由を問はれても爲方の無い處で有つた。 幸ひに彼等の心勞と犧牲とは今日の功を收めた。 それに對しては、私も心から當局に感謝するものである。 蓋し私は、あらゆる場合、あらゆる意味に於て、極端なる行動といふものは眞に眞理を愛する者、確實なる理解を有つた者の執るべき方法で無いと信じてゐるからで有る。 正しい判斷を失つた、過激な、極端な行動は、例へば導火力の最も高い 手擲彈 ( しゆてきだん )の如きものである。 未だ敵に向つて投げざるに、早く已に自己の手中に在つて爆發する。 これは今度の事件の最もよく證明してゐる所で有る。 さうして私は、たとひ其動機が善であるにしろ、惡であるにしろ、觀劇的興味を外にしては、我々の社會の安寧を亂さんとする何者に對しても、それを許す可き何等の理由を有つてゐない。 若しも今後再び今度の樣な計畫をする者が有るとするならば、私は豫め當局に對して、今度以上の熱心を以てそれを警戒することを希望して置かねばならぬ。 然しながら、警察の成功は遂に警察の成功で有る。 そして決してそれ以上では無い。 日本の政府が其隸屬する所の警察機關のあらゆる可能力を利用して、過去數年の間、彼等を監視し、拘束し、啻に其主義の宣傳乃至實行を防遏したのみでなく、時には其生活の方法にまで冷酷なる制限と迫害とを加へたに拘はらず、彼等の一人と雖も其主義を捨てた者は無かつた。 主義を捨てなかつた許りでなく、却つて其覺悟を堅めて、遂に今度の樣な兇暴なる計畫を企て、それを半ばまで遂行するに至つた。 今度の事件は、一面警察の成功で有ると共に、又一面、警察乃至法律といふ樣なものゝ力は、如何に人間の思想的行爲に 對 ( むか )つて無能なもので有るかを語つてゐるでは無いか。 政府並に世の識者の先づ第一に考へねばならぬ問題は、蓋し此處に有るであらう。 歐羅巴に於ける無政府主義の發達及び其運動に多少の注意を拂ふ者の、先づ最初に氣の付く事が二つ有る。 一つは無政府主義者と言はるゝ者の今日迄に爲した行爲は凡て過激、極端、兇暴で有るに拘はらず、其理論に於ては、祖述者の何人たると、集産的たると、個人的たると、共産的たるとを問はず、殆ど何等の危險な要素を含んでゐない事で有る。 (唯彼等の説く所が、人間の今日に於ける生活状態とは非常に距離の有る生活状態の事で有るだけで有る)。 も一つは、其等無政府主義者の言論、行爲の温和、過激の度が、不思議にも地理的分布の關係を保つてゐる事で有る。 前者に就いては、私は何も此處に言ふ可き必要を感じない。 必要を感じない許りでなく、今の樣な物騷な世の中で、萬一無政府主義者の所説を紹介しただけで私自身亦無政府主義者で有るかの如き誤解を享ける樣な事が有つては、迷惑至極な話である。 そして又、結局私は彼等の主張を誤りなく傳へる程に無政府主義の内容を研究した學者でもないのである。 彼等の或者にあつては、無政府主義といふのは詰り、凡ての人間が私慾を絶滅して完全なる個人にまで發達した状態に對する、熱烈なる憧憬に過ぎない。 又或者にあつては、相互扶助の感情の圓滿なる發現を遂げる状態を呼んで無政府の状態と言つてるに過ぎない。 私慾を絶滅した完全なる個人と言ひ、相互扶助の感情と言ふが如きは、如何に固陋なる保守的道徳家に取つても決して左迄耳遠い言葉で有る筈が無い。 若し此等の點のみを彼等の所説から引離して見るならば、世にも憎むべき兇暴なる人間と見られてゐる無政府主義者と、一般教育家及び倫理學者との間に、何れだけの相違も無いので有る。 唯一般教育家及び倫理學者は、現在の生活状態の儘で其理想の幾分を各人の犧牲的精神の上に現はさうとする。 個人主義者は他人の如何に拘はらず先づ自己一人の生涯に其理想を體現しようとする。 社會主義者にあつては、人間の現在の生活が頗る其理想と遠きを見て、因を社會組織の缺陷に歸し、主として其改革を計らうとする。 而して彼の無政府主義者に至つては、實に、社會組織の改革と人間各自の進歩とを一擧にして成し遂げようとする者で有る。 既に性急である、故に彼等に、其理論の堂々として而して何等危險なる要素を含んでゐないに拘らず、未だ調理されざる肉を喰ふが如き粗暴の態と、小兒をして成人の業に就かしめ、其能はざるを見て怒つて此れを蹴るが如き無謀の擧あるは敢て怪しむに足らぬので有る。 凡そ思想といふものは、其思想所有者の性格、經驗、教育、生理的特質及び境遇の總計で有る。 而して個人の性格の奧底には、其個人の屬する民族乃至國民の性格の横たはつてゐるのは無論である。 そして今此無政府主義に於ては、第一は主として其理論的方面に、第二は其實行的方面に關係した。 第一の關係は、我々がスチルネル、プルウドン、クロポトキン三者の無政府主義の相違を考へる時に、直ぐ氣の付く所で有る。

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「所謂」はどうして「いわゆる」と読むのですか?|漢字文化資料館

所謂 しょせん

所謂の意味 「世間でいうところ」「俗にいう」「いうところの」という意味意味になります。 所謂の由来 漢文において、「所謂」を「言うところ」と日本語で訳していました。 奈良時代頃まで、受け身を示し助動詞として使われていた「ゆ」の連体形の「ゆる」が「言う」にくっついて「いわゆる」と言う言葉になりました。 言うの受け身なので、所謂 いわゆる は「 みんなの 言うところ」、「言われていること」と言う意味になります。 所謂の文章・例文 例文1. ここは所謂お化け屋敷みたいな家だ 例文2. あそこにいる彼は所謂みんなのヒーローだ 例文3. あの有名な音楽家は聴く人の心を掴む音楽を作る所謂天才というやつだ 例文4. 彼は所謂だ 例文5. 彼女は上司から毎日食事に誘われ所謂を受けている 「しょせん」と読んで使ってしまうと悪い意味で使われる「所詮」と間違って捉えられ相手を傷つけてしまったり話が噛み合わなくなってしまうので注意しましょう。 文章を書く際に「所謂」をひらがなで「いわゆる」と書いた方が読みやすくなる場合がありますので使い分けをするといいでしょう。 ただし、出来るだけ一つの資料で漢字かひらがなどちらかに統一した方がいいかと思われます。 所謂の類義語 「一般にいう」や「世間のいう」「俗にいう」という複数人が言っているという意味の言葉が挙げられます。 所謂まとめ 「彼は会社の危機を救った、所謂救世主だ」という文は、彼が会社に何らかの貢献をし、たくさんの社員を救った、世間で言う「救世主」であることを表します。 「たくさんの社員を救った」とは文章ですので「所謂」の後には続きません。 また、多用しすぎると知ったかぶりのような印象を受けたり上から目線だと思われてしまう場合がありますので注意が必要です。

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